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Y・Yさん
大阪府在住 【2024年卒】厚生会高津病院 勤務
いつかは看護師免許をと考えていましたが、仕事や家庭の状況的に今は難しいと思っていたところ、友人から一緒に山口県にある東亜看護学院に通わないかと誘いを受けました。一度は断ったものの、このタイミングで誘われたのも何かの縁と思いなおし、通学日数が大阪より遥かに少なく、放送大学で単位を取得する必要がないこと、授業料が安いこと、寮が併設されており遠方からでも通いやすいことなどすべての条件が合い決意をしました。日々、仕事や家事に追われている中での紙上事例は本当に大変でした。いくら考えても答えがでない中、時間だけが過ぎるような気がしていましたが、熟考し仕上げ、クリアしていきました。後々、紙上事例演習課題は各教科の特徴が盛り込まれており、丁寧に取り組むことでアセスメント力もつき、国家試験の勉強にもなり、学びの中で辛かったことは無駄ではなかったと思うことができました。また、実習前の事前学習は膨大な量で多くの時間を要しましたが、この知識や理解を深めることが国試対策になると思い励みました。面接授業では、年齢や置かれている状況が違っていても同じ志を持った仲間がいて、悩みを打ち明け合い共に励まし合いながら学習し成長していくことで絆が深まり、大きな心の支えになりました。2年間はあっという間に過ぎ、気が付けば国家試験2ヶ月前でした。気持ちは焦りましたが、そのころには国家試験の過去問題が解けていたように思います。学院のカリキュラムをこなす中で、知識は確実に増えていったのだと感じました。「習うは一生」という言葉がありますが、私たち看護師は免許を取得した後も質の高い看護を提供するために、生涯にわたり学び続け、自らの資質向上を図ることが求められます。同じように看護師を目指す方々には、わからないことはそのままにせず、探求心をもって取り組むことをお勧めしたいです。必ず自分の知識となり今後の看護にも役立つことと思います。そして、仲間と共に自分の夢に向かって邁進してほしいです。

D.Cさん
鳥取県在住 【2024年卒】医療療養病棟勤務
 私は高校卒業後、働きながら准看護師の資格を取りました。その頃から既に「准看護師は廃止になる」という噂を耳にしていましたが、実習が嫌で進学はあきらめていました。しかし職場の先輩から「貴女は看護師になるべきだ」と強く背中を押され、東亜看護学院に入学しました。 1年生の頃はコロナ禍の為、全て在宅学習でした。始めの頃は環境の変化に身体がついていかず、心身共にとても辛かった記憶があります。私は課題を終える毎にご褒美を設定し、メリハリをつけることで何とか踏ん張ることが出来ました。一番骨が折れたのは紙上事例演習課題です。看護展開をするには様々な知識や視点が必要であり、机や床に沢山の参考書を広げながら紙の上の患者さんの事を考えました。何度も煮詰まり、その都度先生に電話やメールをしてアドバイスを頂くことで、徐々に理解を深めることが出来ました。 コロナの規制が緩和された為、2年生からは学校での面接授業が始まりました。1年生の頃感じていた孤独も「まぁこういうものか」と慣れた後だった為、はじめは友達もできなくてもいいかな…と思っていましたが、面接授業で生涯付き合っていきたいと思える学友に出会えました。 国家試験の勉強をする際は、先輩に勧められた問題集を使いました。私は模擬試験の必修問題を5/6という確率で落としていたので、とにかく必修を重点的に勉強しました(一度間違えた問題に付箋を貼り、5回連続で正解するまでは付箋をはがさない!といった方法)。そうして本番の国家試験では、無事必修を9割取ることが出来、何とか合格しました。 この2年間色々な事がありました。「寝なければ終わる」「明けない夜はない」と何度も自分に言い聞かせて過ごした日々が、今では懐かしいです。そしてスキルアップは勿論ですが、過酷な環境の下、頑張り抜けたという経験は自信となりました。これから進学される方、そして迷われている方。長い人生の中の僅かな期間です。人生は一度きり。後悔のない選択をなさってください。心から応援しています。

O.Mさん
広島県在住【2024年卒】
「進学して看護師目指したら?絶対進学したほうが良いよ。」と、准看護学校を卒業する際に担任の先生から言われたのですが、進学せずに准看護師としてずっと働いていました。しかし、ある日病院で一緒に働いていた看護師さんに「准看護師の人と初めて一緒に仕事をします。准看護師は、看護師の指示のもと働くんでしょ?」と言われ、その一言がとても悔しく、東亜看護学院を受験して看護師を目指すことを決めました。6歳、8歳とまだまだ幼い子供たちを夫に見てもらいながら、朝早くからの実習や下関の泊りがけの授業、テストや紙上事例など怒涛の日々でした。。面接授業で下関に行くとき「いかないで・・・」と涙する子供たちに後ろ髪を引かれる思いで新幹線に乗って学校に向かいました。レポートや課題、紙上事例の提出などが重なり「もう無理かもしれない。やめてしまおうか」と何度も思いましたが、一つずつ着実にやればきっと終わりは見えると自分に言い聞かせ仕事や家事をしながら必死に勉強をしました。授業では、課題やテストも多くありましたが、たくさんの仲間や先生方に出会い支えられ乗り越えられました。子どもたちも次第に「がんばれー」と応援してくれるようになり、いつの間にか成長したのだと嬉しくなりました。勉強嫌いの私でしたが、この2年間で勉強することの大切さを実感しました。夫や子供達、周りの支えもあり、無事卒業し、国家試験にも合格することが出来ました。諦めなければ夢は絶対に叶います。看護師を目指し一緒に新たな扉を開きましょう。

天ヶ瀬 敬帆さん
福岡県在住【2024年卒】S病院勤務
私が准看護師免許を取得したのは34歳の時でした。そのまま看護師の学校に進みたいという気持ちもありましたが、子どもも小さく、また金銭的にも厳しかったため、進学をあきらめ就職しました。その後、准看護師として働きながらも看護師との待遇の違いや知識の差を感じ、やっぱりいつかは私も看護師の免許を取りたいという気持ちを諦めきれませんでした。 准看護師として6年目の春、友人に来年から通信制の学校に一緒に行こうと誘われました。免許を取りたいと思うものの、仕事と子育てをしながら大丈夫なのかという不安があり、なかなか勇気が出ませんでした。とりあえずいくつか通信制の学校のパンフレットを取り寄せ比較し、その中でも東亜看護学院は年間の面接授業の日数が34日と少なく、これだったら仕事と子育てと両立できるかもしれないと思い入学を決意しました。  大変だろうとは覚悟はしていたものの、入学してからはブロードバンド授業、事前学習、単位認定テスト、紙上事例と想像を超える忙しさで、このまま2年間やっていけるんだろうかと不安になりました。また、コロナ禍でもあり、予定されていた学校行事や授業はブロードバンドに変更になり孤独な日々でした。慣れない学校生活と子育ての壁にもぶち当たり、私はもう無理かもしれないと諦めそうになり、その時どうして良いのかわからず担当の教員の先生に相談をしたことがありました。先生は私の話を親身になって聞いてくださり、温かい言葉をかけてくださいました。お陰で私は一度はあきらめかけていた気持ちがスッと楽になり、前を向いて進むことが出来ました。 2年生になってからは、病院見学実習も始まり本当に目の回るような忙しさでしたが、あのときの先生からかけてもらった励ましの言葉や自分の気持ちを思い出すと前に進むことが出来ました。 卒業までの2年間はとにかく必死で気づいてないこともありましたが、いまとなってはブロードバンド授業や面接授業、紙上事例のどれもが国家試験の、看護師になるためにつながる知識となっていました。 私が卒業できたのは、家族、教員、事務局の方、職場の方のご協力があったからだと思っています。本当に感謝しています。 これから入学を考えている皆さん、東亜看護学院では諦めなければ夢は必ず叶います。辛い時こそ自分を信じて前向きに頑張って乗り越えてください。

狩俣綾香さん
沖縄県宮古島市在住 【2024年卒】訪問看護ステーション サンライズ勤務
私は准看護師として働く日々の中で、いろんな意味で看護師との差を感じ「いつか必ず看護師になる!」と考えていました。自力で知識を深めようと参考書を準備して読んでみても頭には入らず、まず何から勉強していいのかわからなかったときに、思いつきました、「経験年数をクリアしたから通信制看護学校に行こう!」と。 完全にノリでしたが、「他人にできることが、自分にできないわけがない」と、そのままの勢いで入学しました。4歳、6歳、8歳の子どもの育児、家事、仕事に追われながらの勉強は、時間の確保がハードでしたが、時間は工夫すれば作れます。私の場合は勉強することが習慣になると勉強が当たり前の生活となり、効率的な時間の使い方が身につきました。 その中で大事なことはオンオフを切り替えること。「やるときはとことん集中して勉強して、遊ぶときは全力で遊ぶ。そして次の楽しみのために全力で勉強する!」これが私の勉強方法であり、モチベーションを保つ方法でした。 最初は意味不明な紙上事例も、進めていくごとに知識が増えていき、先生の言っていることの意味や意図が理解できるようになりました。また先生方が私の個性を見抜き、見事に私の反骨精神を着火させてくれ、その結果グンと成長することが出来ました。国家試験に向けての期間は、仲間たちと勉強方法等の情報交換をしながら励まし合い、先生方から模擬試験を活用するアドバイスもいただき、看護の学習動画も見漁って挑戦し、見事合格でき看護師になりました。知識が増えることで、日々の看護の視点も変わり、自身の看護観に自信がつきました。 振り返れば2年間の中では課題に追われつづけ気分が落ち込むことがありました。それでも長い人生のうちのたった2年間です。大人になって勉強する機会はなかなかありませんが、本気で取り組み、乗り越えました。 その先の人生が変わります、挑戦してみませんか? 共に看護師になりましょう!

K.Eさん
広島県在住【2023年卒】
准看護師として働きながら、何度も進学を考え、看護学校の願書を取り寄せてはみるものの、金銭的なことや時間的なことから、実現できないまま年数を重ねていました。進学が可能な環境が整ったときに既に40代後半。いまさら進学しても意味がないと思う気持ちもありましたが進学への想いは完全には消えていませんでした。 そんな私の葛藤をずっと見ていた家族が背中を押してくれ、最終的には「自己満足でもいい」と、後期入試の願書を締め切りぎりぎりに勢いで提出して進学しました 。コロナの影響で面接授業や実習の中止が相次ぎ、同期の方と知り合う事も出来ず、とても孤独で不安でした。仕事と家庭に加え、ブロードバンド授業、紙上事例やレポート課題、事前学習、単位認定試験、面接授業、臨地実習や代替実習、模擬試験に再提出となった課題…。期限厳守の山のようなタスクで心が折れそうな毎日でした。常に追い込まれている日々でしたが、目の前の事を一つ一つやり続ければ必ずゴールがあると自分に言い聞かせながら、とにかく前進し続けました。教科書の小難しい文章や図で理解できないことは、SNSやYoutubeの動画にも助けてもらいながら、限られた時間で試行錯誤しながらの2年間でした。無事、国家試験に合格して看護師になれましたが、東亜看護学院での2年間の学生生活で得たのはそれだけではありません。数少ない回数ではありましたが、臨地実習などを通じて同期の方と知り合うこともでき、相談したり励まし合ったりできる関係を築くことが出来ました。これからも大切にしていきたいつながりを得ることが出来たことは、私の人生の中で重要な出来事だと思っています。2年間は本当に大変なことも多いですがあっという間です。そして、歩みを止めず前に進み続ければ、必ずゴールに到達できます。これまでたくさんの卒業生が到達したゴールを目指して、皆さんも頑張ってください。

R.Kさん
山口県在住【2023年卒】消化器外科クリニック勤務
私は高校卒業後に4年制の看護学校へ入学しました。 そこは看護師と保健師を目指す学校でした。 しかし、2年の終わりに先生に「貴女は絶対に看護師にはなれない」と言われ退学。医療事務の資格を取得し、透析クラークとして働きました。そこでの日々や看護師さんの背中にあこがれていましたが、以前の学校の先生の言葉に自信を無くしていた私は看護師の道を諦めていました。 そうした自信がないゆえに、どの職場でも長続きはせず、逃げるように結婚し出産するもシングルマザーとなり、准看護師になりました。今の職場では救急車もたくさん来て、急性期病院という事で、もっと患者さんのためになりたいという強いもあり、自分の知識を高めたく入学を決心しました。勢いで入学したものの、子どもは年長の園児と小学1年生、きちんと家庭と仕事と学業をこなしていけるのか不安でいっぱいでした。そんな中迎えた単位認定試験では上手く解くことが出来ないまま終了してしまいました。驚き、不安、やはり自分はダメな奴だと色々な思いで号泣しながら担任の先生に電話をしました。東亜看護学院は通信制で孤独と思われるかもしれませんが、いつでも見守り、相談に乗ってくださる先生がいます。紙上事例演習課題も分からないときには何度も電話をかけて指導を受けることもできます。不安でいっぱいだった2年間でしたが、あっという間に過ぎてしまいました。看護師国家試験も無事に一発で合格することが出来ました。今では自信をもって患者さんと接しています。しかし、まだまだ成長したいと思い、来月はBLSの資格を取得しに行く予定です。 自分に自信がなくても、自分を信じてなりたい自分になれるように努力をすると、報われることを身をもって体験しました。今読んでいる方は、悩んでいることでしょう。時には勢いも大事です。なりたい自分を諦めないで!絶対に看護師になれないと言われた私がなれたのだから。自分を信じて。

山田 絵美さん
島根県在住 おかだファミリークリニック勤務【2023年卒】
小学生の頃「膝が痛い」と言う祖母を見て「私がおばあちゃんの膝を治してあげる」と話したことが、私の看護師を目指すきっかけでした。一度はあきらめた夢ですが、友人の勧めで20歳の時に准看護師免許を取得しました。しかし、准看護師という事で看護師との格差を感じる場面も多く悔しい思いを幾度となく経験し、自分の知識不足や未熟さに情けない思いをしました。そのことが、看護師へのステップアップを志す誘因となり原動力となりました。そこで、まず周囲に意思表示を行い自分の意思が揺るがないよう自分の歩く道を作りました。この行動により自己を奮起させることが出来、看護師免許取得へ向けて挑戦することが出来たと思います。 コロナ禍だったことから学院への登校も制約がある中でしたが、入学ガイダンスで運命的な出会いがあり、戦友とも呼べる友人が出来ました。この友人と苦楽を共にすることが出来たことで、2年間を乗り越えることが出来たと思います。その友人は今でも大切な存在であり、今後の看護師人生を共に歩んでいく同志だと思っています。 しかしながら通信教育は自分との戦いとなる面もあります。事前学習や紙上事例演習課題、国家試験対策など多くの学習時間をどのように確保するか悩みました。仕事や家事に追われ、夜は疲れているので早く寝たい。朝はギリギリまで布団から出たくない。そんな私が見つけ出した勉強時間と場所は、日中の自宅外です。平日は勤務先の昼休憩中に、休日は喫茶店や図書館を利用して学習時間を確保しました。場所を移動するだけでモチベーションが上がり、集中することもできました。国家試験対策には過去問題集を6周、過去10年分の国家試験を2周。「なぜ、そうなのか」を意識して解きました。根拠を理解することが正答への近道です。そして自信につながります。2年間を振り返り、東亜看護学院で得た友人と学びは私の宝物になったと言えます。皆様も一生の宝物を手に入れましょう。

土井山 つぎみさん
山口県在住【2023年卒】 高齢者介護施設勤務
看護師国家試験合格、卒業までの単位数の取得を多くの方々のおかげで達成できたと感じています。高校の看護科を卒業して37年がたち、一昨年の秋ごろ、職場の同僚から「貴女には、看護師として生きていってほしい」と強く背中を押してもらったことが、看護師を目指す大きなきっかけでした。入学してからは課題の中でも紙上事例演習課題が特に苦手で、コロナ禍ではありましたが学院で直接指導いただける機会もありました。指導を受けながら、私の中で急に理解が深まり先が見えるという事もありました。ですが教科や疾患が違えば捉え方も違うので、課題の度に大変ではありました。課題の提出が重なり、「なんて私はダメなんだ」と落ち込み、学院にお尋ねの電話をすると、「ほとんどできてるんだから大丈夫よ、あと少しよ」と、優しく声をかけていただいた時の先生のお声と、ほっとした気持ちは今も忘れません。 家族の協力も得られ、職場では、「家事に育児に勉強、すごいね」と声をかけてくれる同僚たち、課題を学院に持参した際に「大したもんじゃ」と声をかけてくださった事務局の方、担当の先生の優しさあふれるメールの文面、すべてのことに支えられ2年の課程を修了しました。実習で出会った仲間たちと頑張った証として卒業式に参加し、良い思い出もできました。 国家試験の勉強方法の一つに過去問題に取り組む方法があります。疑問を掘り下げていくことはもちろんですが、ブロードバンド授業や事前学習、紙上事例の疾病や薬の特徴なども過去問が国家試験、看護師免許につながることを私は後々気づきました。様々な状況の中でどれをとっても自分との戦いですが、貴重な学習体験を無駄にすることのないように取り組まれることをお勧めします。 最後になりましたが2年間はあっという間で、振り返って思う事は、関わってくださった皆さんからの励ましやサポートがあり目標が達成できたという事です。感謝を胸に、看護師として新しい一歩を踏み出します。これから看護師を目指す皆さんの「道しるべ」になれれば幸いです。

長瀬 静香さん
大分県在住【2023年卒】
気付けば准看護師として10年、幾度も「あの時、看護師免許を取得していれば…」と後悔する日がありました。そんな思いを繰り返すたび、いまさら勉強するのもな…と、諦めていました。人生一生後悔して過ごすより、2年間頑張って後悔せずに過ごそうと思い立った時、自分の中でこたえは決まりました。確かに、仕事、家事、育児もあり、学院からの課題や実習を乗り越えることが出来るか不安もありました。実際にブロードバンド授業が始まり、とにかく時間の調整がとても難しく感じました。途中、何度もくじけそうにもなりました。分からないことは学院の先生に正直に何度も聞き、そのたびに、あたたかな言葉をいただき涙することもありました。実習でもメンバーに支えられ乗り切ることが出来ました。国家試験前の不安や勉強方法を話したり、励まし合いながら高め合うことが出来ました。今では、あの2年間があったことで自分自身の成長と時間の管理、すべてが看護師に業務につながり今の自分があると胸をはって言えるようになりました。たくさんの方々のサポートもありましたが、自分で決めて自分で進んでいく決意は、他の誰のものでもありません。どんなに苦しくても自分自身で乗り越えていくしかないのです。今、この瞬間、迷っているのであれば一歩踏み出してみてください。2年間は長いように感じますが、ふり返れば、あっという間です。踏み出す勇気があれば、あとはやるしかない!きっと皆さんの自分の人生が輝いて行けることを願ってます。夢は必ず叶います。一歩踏み出してみましょう。応援しています。

市原 晴美さん
鳥取県在住  特別養護老人ホーム あいご勤務【2023年卒】
私は社会人で准看護師の免許を取得し、仕事をしていく中で同じ業務でも看護師との違いを感じる日々を常に持ち続けていました。その違いは何か。それは知識です。 業務を行うことは一通りできていましたが、なぜそうするのかといった根拠が曖昧でありいつしか手順としてだけの看護をしていたかもしれません。 いつかは通信制の学校へ通い看護師免許を取得したいとは思っていましたが、准看護師での学校の辛かった記憶もあり、なかなか踏み切れないでいました。そんな時に本校との出会いがあり、恩師からもらった言葉「チャンスは前髪をつかめ」を思い出し、2週間というスピード決心で進学を決めました。 実際に入学してからは正直、通信制だから楽とは言えません。日々の勤務と勉強の両立は想像以上に大変な事も多かったです。また、コロナ禍であったということもあり、出校は全て中止、同級生との関わりもほとんどなく孤独感は大きく自分が一番出来ていないのではないか、、という不安が大きかったです。しかし、そんな時は学園へ電話やメールをし(しつこいくらい(笑)先生方も存分に付き合ってくださいます(笑))分からない事はその時に解決していくことに心掛け取り組んだ駆け足のような2年間でした。 今振り返ると学習を進めていく中で不確かさが知識となって形となり自身の力になっていく実感を持つことができました。特に紙上事例では看護の大切な視点を学んだことで、これから看護師として仕事をしていくうえでの大きな力になったと思います。  これから進学を考えておられる方、辛い時も多いかと思いますが、長い人生の中でわずか2年間です。看護師免許を取得することは大きな目標ですが、これから看護師としてどう働き、どういう生きるかを学べる2年間になると思います。 何歳からでもチャレンジはできます!前髪をつかんで下さい!

成田 薫さん
東京都在住  清瀬博済堂クリニック勤務【2023年卒】
入学の動機は、副師長の役職をしていた私に、師長にとのお話をいただいたタイミングで、東亜看護学院の卒業生でもあるクリニックの技士長から、看護師免許の取得を強く勧められたのがきっかけでした。やるからには、腹を決めてやり抜くと決め、入学したものの、役職者として働き、家事をこなしながらの勉強の大変さは想像を遥かに超えるものでした。心が折れそうになった時は何度もありましたが、その度に、実習にいっしょに行った仲間が励ましてくれたり、担当の後藤先生が私の思いに傾聴し、激励してくださり、また自分の力で頑張れるよう導いてくださいました。二年生の夏には一家でコロナに感染し、在宅看護実習の延期、また秋には主人が大腸憩室穿孔で入院するなどハプニング続きでしたが、東亜の学長はじめ、先生方に励まされ乗り越えることができました。国家試験対策では、准看の私達は、どうあがいても現役の大学生、専門学生には、勉強量では敵わないと思い、仕事の休憩時間を利用して、国家試験過去問の勉強をするなど、工夫をして勉強時間を確保しました。そして国家試験本番までに、QB過去問題集を3周、1か月前からは、一日100問の必修問題過去問をやり抜きました。その結果、今年度から出題傾向が変わり難しいとされた試験でしたが、試験翌日の自己採点では、必修46点、一般問題190点で、合格判定Aの結果、そして見事合格を勝ち取ることができました。このように合格を勝ち取ることができたのは、職場のスタッフの協力と応援、学院の先生方や、実習仲間の励まし、そして手抜きの食事にも文句を言わず、協力してくれた家族の存在があったからです。看護師の資格取得を考え迷っている方々、そして後輩の皆様、二年間、東亜の仲間と共に、本気で看護を学んでください。 そして自信を持って看護師として、医療現場で活躍されていかれる事を心から願っています。

新本 真由美さん
東京都在住  社会医療法人社団 森山医会 手術室勤務【2023年卒】
私は、一般企業に就職していましたが「手に職を」と思い、働きながら准看護師の資格を取得しました。現場では、准看護師も看護師も同じ業務であり、責任は同じ。しかし、知識不足は明らかであり、予てから看護師の資格取得を考えていました。職場には、学院1期卒業の先輩をはじめ多数の先輩方がおられ、働きながら子育てしながら資格取得ができる学院の良さは知識としてあり、子どもが留守番できるようになった事をきっかけに願書を提出しました。郵便局の不備にて、学院からの合格通知や学費の振込用紙がなかなか届かず問い合わせをしたところ、事務局の方の迅速な対応のおかげで期限までに学費を振り込むことができました。入学後は、とにかく期限までに提出物を仕上げることで、あっという間に月日が経過していました。基礎看護の紙上事例では、どう書いて良いか不安になって担任の先生に緊張しながら電話をかけたはずが、話し終わってみると何故か元気を頂いていました。2年生になってもコロナ禍で学院に行くことができず、担任の先生とも同期にも会えずに実習となり不安でいっぱいでしたが、同期は同年代で同じような境遇ということもあり意気投合。何度も返ってくる紙上事例の恐怖や、実習への不安など、お互いに励まし合い乗り越えることができました。また、実習前に職場で足趾の半抜爪をしてしまった時も、担任の先生以外の先生からもアドバイスを頂き安心して実習に行くことができました。学院での出会いを振り返り、家族も含め沢山の方に自分のスキルアップに為に協力して頂いたことは本当に感謝しかありません。大人になってから人から教わる事の有り難さを実感できる貴重な時間でもありました。これから看護師になる!と考えられている方、諦めずに是非挑戦して頂きたいと思います。

見越一美さん
広島県在住  I脳神経外科クリニック勤務【2023年卒】
母子家庭だったため子供のころから家事手伝いが当たり前で自分のやりたいことは後回しだった。 看護学校に入学しようと考えたのは子育てに区切りがついた60歳になる年だった。そこで某看護学校を受験したが不合格となってしまった。落胆している私を励まし、東亜看護学院を見つけてくれた娘と、「母さんは家族のことばかりしてきた。もう自分のしたいことをしんちゃい」と言ってくれた息子、二人の言動がうれしく大きな支えとなり、再度奮起して受験したところ、なんとか合格することが出来、久しぶりの学生生活が始まった。ブロードバンド授業・単位認定試験、前期、後期の面接授業、そして実習、これだけなら何とか学習することが出来ると思っていた。しかし実際にはこれに加え紙上事例があるのだ。目の前におられない患者の病態や生活背景、話される言葉から推測する思いや考え、まさに空想の世界である。まずは疾患の学習をし、様々な生活場面での看護問題を抽出する。そして、その看護問題の優先順序を決め、具体的な解決方法を出さなければいけない。もちろん、再提出、再々提出である。先生が赤字でアドバイスしてくださっているところを寝ても覚めても考えに考えた。そして、なぜここまで紙上事例をする必要があるのだろうという素朴な疑問を持った。そして、わかった。紙上事例を各科目、疾病ごとに学習するのは准看護師の時になかった看護師としての根本的な考え方を学ぶためではないだろうか。だから何度も何度もアドバイスをくださり理解できるようにしてくださっているのではないだろうか。ならば学ばなければならない、何が何でも先生のアドバイスを理解しよう、看護師になる一歩であり、看護師になる為なのだからやらなければと思うようになった。そして娘や息子だけでなく、主人や職場の人、友人の応援をもらい、東亜看護学院を卒業し、国家試験に合格することが出来た。何歳になっても意思のある所に道は開ける。私の座右の銘である。初めてのことばかりで辛いのは当然で、みんな同じだ。でも最後まで強い意志を持っていればきっと乗り越えられると信じている。ずっと応援している、仲間になりましょう。

城代恵美さん
広島県在住【2022年卒】
私が看護師を目指したのは、子どもの頃にテレビで観た看護師の番組がきっかけで、番組の中では、看護師が手際よく仕事をして患者にも優しく接している姿でした。高校を卒業後は准看護師の学校に進学し准看護師として働いていました。看護師資格を目指したいという気持ちはどこかにありましたが、結婚、出産、子育てに追われ何年も経っていました。しかし、当時勤務していた病院の師長からの「看護師を目指してみたらいいのに」という言葉で、私はもう一度頑張ってみようという気持ちを奮い立たせることが出来ました。そして通信制なら働きながら学ぶことが出来ると思い、ブロードバンド授業で登校日数の少ない東亜看護学院を選択し、入学しました。最初は、仕事、家事、勉強の時間配分の難しさに苦戦していましたが、毎日必ず机に向かって2時間は勉強することを習慣づけることを目標にして頑張りました。そうすることで徐々に時間の使い方も上手になり、学校と仕事の両立も板についてきました。仕事をしながら課題をこなすことは正直心が折れそうになることもあります。紙上事例では、再提出になり時間に追われ寝不足になることも多々ありました。私たちの学年は、コロナ禍であり学院に登校することも3回程度でした。コロナ禍で見学実習にも行けないことで代替実習になり不安な日々もありました。しかし、同じ目標に向かっている学校の友人と励まし合い助け合う事や職場の方や家族の協力もありこの2年間をやり遂げることが出来ました。人生の中で2年間というのは過ぎてしまえばあっという間です。自分が努力したことは裏切りません。看護師になりたいという強い思いがあれば夢は叶います。私でも出来て夢がかなったのですから。まずは1歩を踏み出しましょう。ご健闘をお祈りいたします。

 M .T さん
 福祉施設勤務 広島県在住【2022年卒】
入学の動機は資格手当てが上がるといいなくらいの気持ちでした。志がささやかすぎたのか、看護師がだめでも生活していける准看護師の資格をすでに持っている状態で国家試験までの期間のモチベーションを保つのは大変でした。勉強に取り組めない(取り組まない)言い訳なんて私の周りにはいくらでも転がっていました。課題を開けば何をどう取り組んでいくことが求められているのかさっぱりわからない紙上事例演習。仕事から帰ってポストを開けると学院のA4の白い封筒。「今度は何が入ってるん?」と警戒し、中身(次の課題だったり、再提出の課題だったり合格したのも返ってくるけど)に一喜一憂。パソコンを開けば掲示板やメールに書き込みがあり(再提出のお知らせとか)。次々に迫ってくる課題に教科書を読んで自分の頭の中でだけ考えても何も解決しない。そういうときは学院に電話することです。実際に「何から考えて何を書いたらいいのか全く分かりません。何を質問するべきなのかさえわかりません」と電話をかけていました。それも何度も。その度に先生は答えは教えてくれないけど、ヒントをちりばめた話をしてくださり、そのヒントを手繰りながら紙上事例演習課題は空欄がなくなっていき提出に漕ぎ着ける。コロナ禍で面接授業が次々に中止になり、電話での指導が続いて、そのたびに挫折しないように励まされながら(それでも届く「再」のハンコにショックを受けるけど)そういうやり取りを重ねるうちに卒業、国家試験合格までたどり着くことが出来ました。2年生に上がる頃、課題と再提出と再々提出の多重課題に直面して、入学したことを後悔さえしていました。いつ辞めようかと考えたりもしました。今でも鮮明にその時の気持ちを覚えています。1年前の自分へ、2年前の自分へ。看護師を志す方へ。「前に進む限り必ずゴールに着く。勉強したことは自分の自信につながります。辞めなければ何とかなる日がきっと来ます。」歩幅はともかく前進あるのみ!

矢庭 智絵さん
医療法人 伸寿会 高須クリニック 広島県 福山市在住【2022年卒】
私は准看護師として看護師と同じ業務を行い、同じ責任の重さを抱えているにもかかわらず、目に見えない「知識や資格の差」に何度も歯がゆい思いをしてきました。いつかは看護師資格を取得したいと考え、仕事や家庭との両立が可能な通信制の学校の資料を取り寄せました。そしてその中でも、学内の配信授業のみで単位取得が可能で、登校日数が少ない東亜看護学院への入学を決めました。それでもシングルマザーの私には、学習面や学習時間の確保など多くの不安があり、一歩を踏み出せずにいましたが、子どもに頑張る親の背中を見せたくて入学を決意しました。不安要素であった学費に関しては、事務の方に相談したときに専門実践教育訓練給付金の制度を教えていただき、不安は減りました。学習時間に関しても放送大学と違い配信期間中は24時間、いつでも、何度でも、視聴することが出来たので、問題なく単位を取得出来ました。学生生活で一番苦労するのは紙上事例演習だと思います。ですが、何事も人生で一回目が一番難しいだけで、後は慣れです。担当の先生からのアドバイスをいただきながら課題に取り組むことで、理解することが出来るようになり、楽しみながら課題をクリアすることが出来ました。実習を心配される方も多いと思いますが、准看護師の時とは違い、学習に取り組むことで援助の根拠を理解することが出来たからこそ、以前とは違う視点や気づきが出来る、貴重な体験をすることが出来ました。そして何より、一番の目標の看護師国家試験合格は、参考書や問題集選び、勉強方法を先生と相談を重ねながら行ってきて、一回で合格することが出来ました。何事も始める前は不安が多く、なかなか踏み出すことが出来ないものですが、頑張って一歩踏み出して下さい。大変じゃないと言えば嘘になりますが、楽しい事や素敵な出会いもたくさんあります。勉強のやり方すらわからなかった私でも無事に目標達成出来ました。悩んでいるなら頑張ってみる価値はあると思います。まずは一歩踏み出しましょう。

T . Mさん
介護施設勤務 大阪府在住【2022年卒】
私は、准看護師として介護施設で働いていました。子供たちが成長し、自分たちの将来を考え行動に移していく姿を見て、私自身も知識を深め看護師国家試験に挑戦してみたいと思い、学院に入学しました。入学当初は学習の習慣がなく、仕事と家事に追われていることを言い訳に、なかなかブロードバンド授業も進められずにいました。授業が進むにつれ、自分の知識のなさを痛感し、自信を無くし勉強が思うように進まなかったり、落ち込むことが何度もありました。そんな時、同じ実習グループのみんなの言葉に励まされ、同じ状況でみんなも頑張っているんだと思うと頑張ることができました。仕事、家庭、勉学の両立は本当に大変でした。辛いと思ったことも何度もありました。学院の友達がいなかったら諦めていたかもしれません。これから入学される皆さんも、諦めようかなと思うことがあるかもしれません。でも大丈夫です、みんな同じなんです。みんな仕事や家事で忙しい中、時間をつくり勉強しているのです。「できない。」ではなく、「とりあえずやってみる。」私は何度もこの言葉を思い2年間を過ごしました。私に出来たのだからこれから入学をされる方、今入学を考えている方、たった2年ですが自分の人生において忘れられない2年間となり、実りのある2年間となることは間違いないと思います。とりあえずやってみたことが自信につながり看護師として、職場に貢献出来るようになりうれしく思っています。皆様も自分の環境では無理、出来ないではなく、肩を張らずにとりあえずやってみられたらどうですか?夢を諦めずに一歩行動に移しましょう。

S . Hさん
F病院 神奈川県在住【2022年卒】
私が看護師を目指した理由は、自分の知識不足を充足しもっと専門性を持ち学びを深め患者様に寄り添う介護が実践できるようになりたいと思ったこと、もう一つは、自分の子供に頑張っている姿を見せたいと思ったことが動機でした。また、先輩方から東亜看護学院について教えていただき背中をおしてくださったことも入学動機の一つでした。通信制の学校でも様々な特徴がありますが、ブロードバンド授業を受け単位取得ができることからスクーリング参加が少なく働きながら学びやすい東亜看護学院を選択しました。入学してからは、仕事、家庭と両立しながらのブロードバンド授業、紙上事例演習、病院見学実習、面接授業と、しばらく机に向かう事のなかった私は、毎日少しでも勉強する時間が取れるよう、家族にも家事を協力してもらいながら、学習に取り組みました。提出期限があるため、スケジュール管理を行い、効率よく進めて行けるよう工夫しました。休日はほぼ勉学にあて、隙間時間があればアプリを活用しながら国試対策をするといったように学習を進めていきました。勉学に励みたいのに、度々睡魔に襲われることもあり、勉強が進まずといったこともありましたが、気持ちを奮い立たせ勉強しました。実習では、困ったときなど電話ですぐに対応してくださり、無事に実習も地元神奈川で終えることができました。コロナ禍の中、登校日は少なかったですがその時に出会えた仲間、先生に励まされ、自身のモチベーションを保ち、乗り切ることができました。私が学院を卒業でき、看護師国家試験に合格できたのは、学校の事務局の皆様、先生方からのご指導、職場の方々の配慮、友人、家族の支えが力となり、子供も私の後姿を見て育ち、成し遂げることができたと思っています。看護師を目指したい、学びたいと思っている皆様、東亜看護学院で夢は叶います。看護師免許取得のために自分を信じ前に進んでください。

永野 美紀さん
医療法人博耳会 かとう耳鼻咽喉科クリニック 大分県在住【2022年卒】
准看護師として、これまで五人の子育てと家庭の両立をしながらクリニックで働いてきた。そんな中「あの時に進学していれば・・・」と、思う場面に何度も直面した。今から二年前、勤務を終え家に帰ると台所には実母の準備した夕食の鍋、その下に一枚の紙が敷かれていた。手に取ると「通信制で准看護師から看護師へ」と書いてあり、気がつけば時間外の学院に「願書はまだ間に合いますか?」と電話をかけていた。鍋敷き広告がまさかの入学のきっかけとなった。勤務先で、院長に私の看護師への想いを話すと「いいじゃないか」と賛同してくれた。しかし、世の中は新型コロナウイルスによるパンデミックの嵐。学院でも入学式、ガイダンスは中止となり、未知なる通信教育の幕開けとなった。看護師に必要なカリキュラムをブロードバンドで学び、中止となった面接授業はオンデマンドとなり、課題の疑問があれば学院に連絡し何度も教わり提出物をクリアさせた。また、病棟経験のない私が最も悩み、考えさせられた紙上事例演習では、電話で理解できない点を思い切って学院に出向き、対面で指導を受けた。課題の重複や再提出に何度も限界を感じ、時には家族に八つ当たりもした。そんな中で、提出期限に何も言わず下関まで送迎してくれた夫には感謝しかない。また、思考の浅い私の事例を見て、「この看護計画で!?この患者さん、本当に良くなる?」と熱心に指導してくれた先生の愛ある言葉を昨日のことのように思い出す。同級生との出会いもまた私の励みとなり、対面では難しい状況下でも時々近況を知らせ合う事で苦しさを分かち合い心の支えになったことは言うまでもない。大学病院の実習で学んだ専門性の高い看護は今後の私の看護師人生に何かしら影響を与えるだろう。そしてついに、私は第111回看護師国家試験に合格した。二年間、私をはじめ私を支える家族を支援してくれた大切な人に今、感謝を伝えたい。心からありがとう。皆さん、目の前の困難や失敗を原動力に変え、不撓不屈の精神を持ち続け、必ず看護師の夢をつかんでください。

山﨑 泰子さん
 訪問看護ステーションすこやか 山口県 萩市在住【2022年卒】
私は40年近く慢性期病院で准看護師として働き、70歳でやめようと決めていました。退職して何をしようかと考えた時、この仕事以外に何も思いつかず、准看護師のまま終わっていいのかと思いました。在職中には、今までやってきた業務が准看護師ではできないとなったことが増え悔しい思いもしました。准看護師であることが理由で降格になり、みじめで体調を崩す経験もしました。知事表彰をいただいたときも、准看護師であることが後ろめたくてうれしい気持ちにはなれませんでした。そんな悔しい思いの度に看護師の免許を取得したいと何度も思いましたが、仕事との両立は無理とあきらめていました。退職すれば勉強だけすればいいと思う反面、70歳の私はパソコンも苦手で不安で恐怖にさいなまれる心もあり、進学は迷っていました。そんな私の背中を押してくれたのはオープンキャンパスに付き添ってくれた夫で、私は入学を決意しました。入学してすぐはブロードバンド授業を受けて認定試験を受け単位を修得していくテンポについて行けず、再試験を受けることもありました。課題が辛くて 何度もやめたいと思いました。ところが2年目になると、実習メンバーでまるで息子のような若い仲間ができ、連絡を取り合い三人で助け合い「三人一緒に国家試験を受験できるように頑張ろう」と励ましてくれました。私は最後まで紙上事例演習では苦しみましたが、2年間で卒業できました。実習の仲間三人、看護師国家試験に合格することができました。早速事務長さんに報告し、「看護師免許を取っただけではダメだよ、これからは社会に貢献しないとね」と励ましを受け、在宅看護実習の際に興味を持つようになった、退院後の患者がどのように生活しているのか知りたくて、また、その患者が様々な環境の中で、その人が望むその人らしい生活を支えるため病院の外でできる看護がしたいと思い、72歳なった4月から看護師として自信をもって新たに学びながら楽しく訪問看護ステーションで働いています。勉強は若いに越したことはないですが年を取ってもやれます。後悔しないようにチャレンジしてほしいです。

橋本 ひふみさん
 日良居病院 山口県 周防大島在住【2022年卒】
高校卒業後は何か資格取得したいと思い、准看護師の学校に進学することにしました。その後、准看護師として就労し、経験を積みながらも頭の片隅では看護師への道を思い、進学の決断ができずにいました。子供たちが独立し、自分の時間が持てるようになり、もう一度勉強したいと思い立ち、東亜看護学院を受験しました。50歳過ぎという年齢を気にして受験のタイミングや決断が遅かったのもあり、後期入試で一度は不合格となってしまいました。元来、文章を書くのはとても苦手な私は、小論文で不合格となり、一度はあきらめようかと考えましたが、事務局の方の助言もあり、再チャレンジで無事入学することができました。入学させてもらったからには、覚悟を決めてやるしかないと思いました。先輩方の「卒業生の声」は非常に参考になりました。私たちの学年はコロナ禍で、面接授業はたった1度だけで、自分自身との戦いでした。最初は机に向かう習慣をつけ、毎日コツコツ勉強することにしました。一番苦労したのは紙上事例で、何度も返ってくるのは当たり前でくじけそうになりましたが、教科書を中心として学習することと、先生方と連絡を取り、指導を仰ぐことで合格できました。時間に追われ提出期限もぎりぎりでしたが、今思えば大変充実した学びの時間だったと思います。東亜看護学院に入学して間もなく母の介護が始まり、介護と仕事を両立しながらの学びとなりました。この2年間で家族の死も経験し、精神的にもきつく、休学しようか、辞めようかと悩んだ時期もありましたが、そのたびに先生方に連絡を取り、相談に乗っていただきました。そんな私でもいろいろな人々の支えで何とか卒業、看護師国家試験に合格し、今後は看護師として院内や地域の為にお役に立ちたいと思っています。私の道しるべとなった「卒業生の声」を今書いています。皆さん2年間はあっという間に過ぎます。是非挑戦してみてください。


Y.Aさん
 K病院勤務 島根県在住【2021年卒】
私が看護師を目指した理由、一つは今よりさらに知識を身につけ准看護師の現在以上に能力的に、また資格の壁に阻まれることなく対応できるようにすること、もう一つは看護師資格を得なかったことを後悔したくない思いからです。准看護師のまま時を過ごすのか、経験ばかりで知識を深めなくて良いのか、資格の壁に阻まれ業務が制限されてしまう今の立場のままでよいのかと疑問を抱いている准看護師の方々は少なくないと思います。私自身も歳月を重ねるにつれ、普段の業務に身を任せるだけ、准看護師の資格に甘んじていてこの先通用するのかと意識し、知識をより深め、能力と資格双方に対応力を強める必要性を感じました。その様な折、東亜看護学院の卒業生であった友人から体験談を聞くにつれ「自分もやれるかもしれない、やるなら今しかない」と思い切って入学を決断しました。通信制で仕事に影響がなく授業も受けられる点、授業概要などすべての面で今の自分に適していたことが入学理由です。想定していたとはいえ、限られた時間での学習はやはり容易ではなく、あいた時間や休日はほぼ学習に費やす日々でした。特に紙上事例演習は再提出が常でアセスメントの甘さは先生方指導の専門家、しっかりもれなく修正を求められましたが、自ら答えが導き出せるよう指導してもらい、学びを重ねるにつれ視野の広がりを実感できました。日々の積み重ねは長く感じますが、知識の深まりが充実感となりました。また2年目は国家試験まで目まぐるしく日々が過ぎ、振り返れば2年間は意外と苦ではなく早く感じています。学びは本人の意欲が第一ですが、その気があれば意外とやり遂げられ、また先生方も卒業までしっかり指導してくれます。社会経験を積んだ皆さんなら乗り越えられるスキルが備わっています。私も卒業でき、国家試験に合格できましたから心配は無用です。

穂森 智子さん
 訪問看護ステーション勤務 大阪府在住【2021年卒】
高校卒業後、准看護師の学校に進学、准看護師として勤務しながら、結婚、出産、子育てをしていました。以前から看護師免許を取得したいと思っていましたが、現実は家事と子育てに追われる毎日で自分に余裕がなく、また学力にも自信がなく諦めていました。子育てをしている中、長女が看護師になると専門学校に入学、勉強と実習に追われている姿をみて、同じ職業を目指している娘に根拠のわからないアドバイスをしてはいけないと自分の知識の狭さに引け目を感じていました。日に日に自分も国家試験を受けたいと強く思うようになり、通信なら働きながら家族にも負担をかけずに進学できるのではと、資料請求をしました。その中で東亜看護学院は、遠方でしたが登校日数も少なく、卒業生の声のホームページを読み、諦める前にチャレンジしてみようと思い、家族と職場に相談し入学しました。この歳で不安なことは沢山ありましたが、同級生にはさまざまな年齢の方々もおり、同じ目標に向かい勉強していく中で友達もでき、先生方も相談や励まし愚痴なども聞いてくれ、温かく見守って下さいました。正直学力がついて行けるのか一番不安でしたが、看護師になりたい、国家試験を受けたいと自分の目標達成に向け二年間自分の出来る限り頑張りました。もちろん一人では達成出来なかったことです。同級生や先生には本当に救われここまで来れました。国家試験目前、先生に電話で弱音を吐き、励ましてもらいました。現在世間はコロナという状況の中、自己学習が多くなり不安なことも沢山ありますが、看護師になりたいという気持ちはますます強くなり、無事合格することができました。2年間サポートしてくれた家族、東亜の講師方、職場に感謝しています。今、少しでも看護師を目指して、悩んでいるのなら、一度チャレンジしてみてください。勉強していく中で知識も深められます。何より看護師としての自信がつきました。今は学校を卒業して少し寂しく思える程、自分の中では久しぶりの学生生活が楽しく、いい経験になりました。

中野 奈美子さん
 公益社団法人静岡県看護協会訪問看護ステーションいわた勤務 静岡県在住【2021年卒】
私が准看護師免許を取得したのは、制度廃止が取りざたされ通信制がスタートした時期です。子育て中ということもあり、実務経験を満たすことを目標に働き、通信制で必要となる放送大学の単位も取得していました。やっと実務経験が満たされ、勤務先で進学の相談をすると、「准看で引け目を感じることはない、看護師になっても給料は変わらない」など、進学は勧められず、看護師への夢を一度は封印しました。しかし、子どもも成長し高校卒業を契機に、自分の人生に悔いが残るのではないか、挑戦するだけして駄目だったら諦めようと思い、職場を変え進学を決意しました。東亜看護学院は通学日数が少ないことが魅力です。しかし、遠方のため迷いながらも電話で相談すると事務長さんが親身に相談に乗ってくれ、オープンキャンパスに参加。放送大学の単位も認めてもらえるし、宿泊施設も完備されている。なにより先生方や事務局の方々の人柄に安堵し、ここならやり遂げれると確信しその場で願書を提出してきました。入学後は想像していた以上に過酷な日々で、馴れないパソコン、紙上事例に加え、文章力がない私はレポート、実習記録には特に悩まされました。更にコロナ禍で、直前の実習変更で予定が重なり、何度も辞めたいと思いましたが、「人は限界と思ってもまだ頑張れる」との先生の言葉を思い出し、家族の励ましや協力で、なんとか卒業まで辿り着くことができました。国試対策に取り組めたのは12月に入ってからです。解剖生理の正常な状態を理解するように努めると、答えを導き出せるようになりました。在学中は苦しかったけど高い壁を越えて得た経験は、かけがえのない宝物で自身の成長にも繋がったと思います。今春からは、訪問看護の看護師として新たなスタートラインに立つことができ、嬉しさでいっぱいです。迷われている方、自分の人生です。長い人生のたった2年で看護師になれるのです。まずは、新たな一歩を踏み出してみてください。

坂本 美奈さん
社会福祉法人あすなろ会勤務 鳥取県在住 【2021年卒】
私は現在、特養に勤務している。高齢者が好きで特養で仕事がしたいと強く思い勤めているが自分に自信をなくし辞めたいと思った時、次の仕事に訪問看護を選択しようとしていた。しかし、訪問看護は募集自体、看護師のみのところがほとんどだった。入学金や授業料がもったいないから看護師までは…と長い間、進学は考えていなかったが急いで入学を決めた。入学前に入学金や授業料の支払いのことなど学院に相談し細かいアドバイスをいただき本当に感謝している。入学後は必須科目である基礎看護での初めての紙上事例が理解できず質問の内容もわからないことから自分一人が取り残された感覚に陥った。進級できないと思いもうダメだと落ち込んでいた時に職場での何気ない会話の中で「夢は脳内で再現ドラマや映画のように具体的にイメージできないと叶えることができないんだよ」という話を聞いた。聞いたときに目の前の世界がキラキラした気がした。その日から声に出して「私は天才。絶対いける」と言い続けた。国試対策は学院のスマホ教材を活用した。入浴中、通勤、寝る前など繰り返し過去問を聞き、そこからわからないことは調べ理解を深めた。マークシートの練習を兼ね、実際の模試や過去問も何度も行った。繰り返し行うことで暗記してしまうほどになったためそこから関連問題につながるように知識を広げた。入学と同時に異動があり、新しい職場の方にはたくさん迷惑をかけた。たくさんの休みをいただき本当に感謝している。また、家族の協力もとてもありがたかった。「看護師としてたくさんの人を笑顔にしたい」という気持ちを大切にしてきた。そのために努力し国家試験に合格した今、これからもその気持ちを大切にして職場に貢献していきたい。東亜看護学院に入学された皆さんへ。夢は叶うものではなく叶えるものである。声に出し合格すると言い続け前に進んでほしいと願っている。

杉田 侑加さん
有限会社 ハニーレモン勤務 京都府在住 【2021年卒】
准看護師の免許を取得後、実習が苦手で進学はあまり考えていませんでした。ある日友人から、東亜看護学院の通信制で卒業した先輩の話を聞き、スクーリングが日本一少ない学校だと聞きました。自分にもできるかもと思い、入学願書だけでも出してみようと安易な気持ちからの受験でした。いざ学校が始まると20年ぶりの学生生活。学生としての心得や勉強する方法もわからず戸惑いましたが、まずは勉強する時間の確保をすること、大好きな韓国ドラマ視聴の禁止等、日常生活から変える努力をしました。生活をすぐに変えることは難しかったですが、ブロードバンド授業が始まり課題、単位認定試験、面接授業、二年次からは事前学習等、つぎからつぎへと押し寄せる課題をこなすにはそうせざるを得ない状況でした。そんな中、ブロードバンド授業の偉大な恩恵に出合いました。旅行に行ったフィリピンのセブ島でコロナ禍でまさかの足止めとなり、日本への帰国の予定がわからず勉強することができなくなるかと心配しましたが、インターネットを利用した学院での学習は海外でも影響なく進めることができ、思いがけず学院のグローバルな学習環境の提供を享受しました。海外に滞在していても勉強する習慣が板についた生活になっていましたが、そんな中でも紙上事例の課題はとても大変でした。わからないことは先生にメールや電話で伝え、何度も質問しました。先生方はヒントを与えてはくれながらも、自らが考え答えを出していけるように指導してくれ、合格をもらえた時は半端ない達成感と自信がつきました。国家試験の勉強を始めると不安な気持ちと広範囲にわたる勉強の量に悩まされましたが、先生から「量より質だよ」とアドバイスをもらい「基礎がわかっていないと的を絞るにも時間がかかる」と気づきました。これから学ぶ皆さんには、基礎から日々少しずつやることがおすすめだと伝えたいです。学校の課題をひとつずつ丁寧にこなすことで基礎は出来上がります。先生方がおっしゃっていた「基礎の積み重ね」、このことが身に染みた試験勉強でした。私は訪問介護、放課後等デイサービスの福祉を経営してから15年目になります。訪問看護へのチャレンジも視野に入れていましたが、知識がないことでスタートが切れずにいましたが、この学校で学んだことで自信と確信と、看護師免許を得ました。自分の夢のために封印していた韓国ドラマも封印を解き見ていますが、俳優の言葉にも根拠を求める癖がつき楽しさが倍加しています。これから看護師になる夢にチャレンジする皆さんも東亜看護学院で学び自信をつけることで、自分の道が見えてきます。入学すれば何とかなります。一歩を踏み出してみてください。

小柳 伊織さん
長崎県病院企業団 長崎県富江病院勤務 長崎県在住 【2021年卒】
現場では仕事内容は同じでも、看護師の資格を持っていないことから発せられる言葉「准看だから…」に引け目や惨めな思いをいだきながら、看護師免許の取得を諦めていた自分の生き方にも自己嫌悪に陥っていた。私は高校卒業後に、准看護師免許を取得し、短期大学に進学するも精神的な弱さから中退した。その後、結婚・出産を経験し、子どもが小さいことを理由に看護師免許の取得を諦めていた。しかし、シングルマザーになり、子どもを育てていくためにも自己嫌悪を払拭し、強い親を子どもにも見せて鼓舞する必要があると自覚した。そんな矢先に、実務経験7年で通信制の入学が許可されたことを機会に、東亜看護学院への入学を決意した。先輩が卒業生ということもあるが、勤務しながら進学でき、かつ通学日数が少ないことに一番惹かれた。私は、のんびりな性格であるため、入学時に先生が教えてくれた、「トイレにスケジュールを貼る」ことをまず実行した。テスト期間、紙上事例の締め切り、ブロードバンドの配信期間などは、机の上に日付を記載した付箋を貼り、完了すると一つずつ消去していく。住んでいるところが離島であることから、課題は天気予報を確認しながら、配送にかかる日数を考慮して早めの提出を心掛けながら乗り切った。2年次は、新型コロナウイルス感染症の影響で、学内実習、家庭での実習、家庭でのブロードバンド授業と切り替わり、パソコンと向き合う時間も多くなり学校で友達と学ぶより孤独を感じたこともあった。そんな中でも成績がひとつずつ認定されていき評価がでる喜びや、返却される課題レポートに一人一人に寄り添って書かれている先生のコメントを読むのが楽しみになっていった。看護師国家試験の勉強は、なかなか取り掛かることができなかったが、ブロードバンドの練習問題やアプリを活用し寸暇を惜しみ、休憩時間には必修問題を10問解く習慣を作った。また子どもが眠っている間に苦手分野をじっくり解くなど空いた時間を活用して取り組んだ。2年間は想像を遥かに超える辛さ、孤独、不安との闘いがあった。こうして私が今、無事卒業し、国家試験に合格し、看護師としての新たな道が開けたのも、家族や職場の方々、仲間達の支えがあったからである。これから看護師を目指す皆さんへ。ブロードバンドを使用した通信教育は地方在住の方には地域や場所を気にせずいつでも学べます。長いようで2年はあっという間です。看護師免許を取得した先には、明るい笑顔の自分がいることを想像して、一歩踏み出してみてください。応援しています。

府川 陽子さん
T病院勤務 東京都在住 【2021年卒】
私は31歳の時に准看護師の資格を取りました。学生時代は、子どもの行事に参加できなかったことが悔やまれ、進学は考えられませんでした。准看護師でも仕事はこなすことができましたが、知識不足や根拠がわからないという事が多くあり、もう一度勉強しなおしたいという気持ちが年々強くなりました。通信制での看護師資格取得が経験7年からとることができるようになり、8年目に通信の学校に行くことに決めました。放送大学での単位取得がいらない学校に行きたいと思い、距離は遠いですが東亜看護学院に入学することにしました。学生生活はコロナが猛威を振るい始めた時で、私生活での感染の恐怖や、職場での感染対策に追われるなどのストレスと、勉強との両立がとても大変でした。自分の周りにコロナ患者が出てしまったら…。明日の自分がどうなるのか不安で勉強どころじゃないという時期もありました。私は幸いすべての実習に参加することができましたが、実習病院によってはほぼ実習ができない状態だったところもあったようです。心の支えは学校で知り合った友人と連絡を取り合ったことだと思います。不安を吐き出し励まし合えたことが一番頑張れた要因だと思っています。コロナの影響で、友人に会える登校日が減ってしまったことが、とても残念でした。授業の進捗状況の確認や、提出物の期限などを忘れないようにスケジュールを管理し、先の予定なども計画的に行う訓練ができました。紙上事例演習は、本当に難しく苦しかったですが、先生に電話で相談しながら進めていく中で、わかってきたときは自信がつき、面白いし深いと思いました。そこまで根拠を深く考えるのかと、看護師ってすごいなと思いました。そして学びなおして本当に良かったなと思っています。皆さんも頑張ってください。夢は叶います。


町田 美香さん
広島中央保健生協協同組合生協さえき病院 勤務 広島県在住【2020年卒】
私が東亜看護学院に入学したきっかけは、50歳を過ぎて進学することに自信がなく迷いながら参加したオープンキャンパスで先生から「一緒に頑張りましょう。絶対に出来ます!!」と心強い言葉をかけてもらい背中を押してもらったことと、「一緒に看護師を目指そう」と言ってくれた仲間の言葉である。ブロードバンド授業が始まり課題や勉強を進めていくうちに、自分の知識のなさやこれまで根拠を踏まえて看護を行っていなかったことを痛感した。特に紙上事例の看護過程の展開は難しく教科書や参考書を何冊も広げ、数行展開していくことに何時間もかかりながらなんとか仕上げて提出しても、再提出で返却されることもあった。その度に先生方に電話やメールでご指導頂き何とか乗り越えることができた。大変辛かった紙上事例だがそのお陰で「思考を深めながら根拠をふまえた看護が少しずつ行えるようになり、その時に得た知識はただ暗記する勉強とは違い、知識として身につき国家試験にも役立ったと思う。暗記するだけでは限られた問題しか解けないが、理解していれば問われる形が違っていても自信を持って解くことができる紙上事例や学院のテスト勉強、実習の事前課題などやらなければならないことが山積みで仕事や家事などの合間を縫って、今日は過去問10問解こう、今日は20問、とコツコツ毎日勉強した。早い時期から過去問に取り組みながら、理解できていないと感じるところは時間を掛けて理解していけるようにした。学院に向かう車の中で友達と問題を出し合いながら通ったことも良い思い出である。辛い時も友達や仲間と励まし合えたから頑張ることができた。また先生方からの激励や職場の上司と同僚の理解と励まし、家族や友人の見守りがあったからこそ、国家試験に合格することができた。今もし看護師に挑戦することに迷っている人がいたら、「頑張れば絶対にできる」「努力は絶対に裏切らない」と伝えたい。東亜で夢の実現を果たしてください。

二井谷 誠さん
 独立行政法人国立病院機構 鳥取医療センター勤務 鳥取県在住【2020年卒】
私は4月から看護師免許資格の取得を契機に、県外の病院に転職し高齢者認知症病棟に勤めている。それまでは一般病棟と精神科の准看護師として症状が多岐にわたる患者と関わっていた。10数年の准看護師として満足いく看護ができていたかというと、自分の中では納得できていないことが多い。特に高齢の患者から疾患に関することや看護についての質問に答えるとき、説明できる知識がなかったために相談した高齢者を安心させることができなかった。それは、自分の看護が日々の業務に基づく経験の中で判断して対応してきたからだ。自分が行う看護の不満に気づいたとき、その気持ちが浮かんだ時から、進学の機会があれば行きたいと考えて、志は強いものがあったと今でも思う。進学のタイミングは、同じ准看護師の同僚が進学したいと相談を受けた時だった。同僚への対抗心なのか、学校に行く仲間がいて安心したからか、実際の学院での授業は振り返ると1人では卒業まで乗り越えることは難しかったと思う。特に1年次後半からは紙上事例と病院見学実習が始まる。紙上事例演習での記録は与えられた看護情報から記録を必要とする。その情報から1人の患者さんへの看護の根拠を考えることが重要となる。そして自分の思いや考え、知識だけでは限界がある。実習ではメンバーと多彩な意見を相談し合い自然と打ち解けた。社交性が乏しい自分でも、東亜看護看護学院には仲間ができた。仲間からの多様な意見は学びを深くさせてくれた。進学される学生のみなさんには、当初の志を忘れず、壁に向かい会ったときには他の意見が聞ける勇気があれば、患者の将来に携われる看護師になれることを伝えたい。最後にこの言葉がいつ掲載されるかわからないが、今現在では新型の感染症が人々の生活を脅かしている。多くの医療者の絶え間ない苦労がある。その中で進学を決意するあなたは人並みなならぬ強い志と同時に進学後に苦難があるかもしれない。だからこそ乗り越えて病気と闘っている患者の手助けになってほしい。

宇野 香織さん
 医療法人社団佐貫内科医院 勤務 島根県在住【2020年卒】
「看護師」と「准看護師」言葉は違っていても業務は同じです。一番の違いは「知識」。この知識が職場では大きなハンディとなる。与えられた仕事をこなし、給料がもらえればそれでいいと言う考えは私にはなかった。患者様の小さな変化に気づき、検査項目や体調不良から何が考えられるか…など日々観察し考えなければならない。しかし私には知識が薄く、独学ではどうにもならないと感じており、年齢も40半ばで物覚えも悪くなっている。学校に通いたいが仕事を休めないし学費もそれなりにいる、そう思っていた時に友人に東亜看護学院を紹介され条件一致で入学を決意し、「通信制だから楽だろう」と思っていたが、すぐに考えが一変した。自分で予定を立て、抜けがないか確認し、効率よく提出物をこなさなければならない、決して楽ではない…、入学を間違えたと思った。しかし、その苦労の時間の中で人間的にも学力的にも目覚ましい成長遂げている自分がいることに気付いた。気づけるのは国家試験を受ける時、あの時の苦労や、涙しながら先生に電話し事例の助言をいただいた日が懐かしい。先生達は助けを求めて来た生徒を見放すことなく助言をしてくださった。優しい先生だけではなく厳しい先生もいるだろう、しかしそれは私達が大きく成長する過程の1つの関門であり、その厳しさの中に何があるのかを理解できる能力を身に付ける事ができた。それは今後自分自身にとって大きな糧となり、後は自分との闘いになるが、親友が出来、励まし合い助け合って共に学び2年間を乗り切り、一緒に合格できた。辛いだけ、楽しいだけが人生ではない。一度きりの人生です、思い立った時がチャンスと捉え東亜看護学院での波にもまれ、更なる自分を見出し、桜を咲かせてください。

H.Kさん
 S病院 勤務 奈良県在住【2020年卒】
子供の頃から看護師になるのが夢でした。しかし、様々な事情から医療系の別の資格を取得して勤務していました。准看護師免許を取得しようと志したのが42歳、そして10年後東亜看護学院に入学しました。心のどこかに夢を叶えていないまま人生が終わってしまっていいのかという思いがあったのだと思います。子育てや介護の真っ只中にあったため強い覚悟が必要でしたが、友人や職場の先輩の言葉に背中を押され、思い立ったこのタイミングが夢を叶えるチャンスなんだと信じ、入学を決断しました。東亜看護学院は奈良から随分と遠く感じますが始発電車に乗れば面接授業の1限目に充分間に合います。日帰りも可能です。学院に入ってから知り合った奈良の友達、他府県の友達とは宿舎で遅くまで一緒に勉強したり、食事を楽しんだりしました。仕事をしながら、課題をこなす事は、正直、心が折れそうになるほど辛いものでしたが、友達に励まされ支えられることで乗り越えることができました。一生のかけがえのない友達ができたのです。心配していた金銭面においては、教育訓練給付制度があり、学院からも具体的な説明や書類の準備をしていただくことができ安心して手続きをスムーズに進めることができました。看護師を目指す皆さん!チャンスがいつも自分のそばにあります。努力は裏切りません。どんな時も自分を信じることを忘れないで、今よりちょっとだけ頑張ってみてください。必ず道は開けます。

田邊 沙文さん
 西伯病院 勤務 鳥取県在住【2020年卒】
「学び続けるのは、優しさを身につけるため。揺るがない強靭な優しさを身につけて、信頼され、その信頼に応えることのできる人になること。それが学ぶことの目的」東亜看護学院に入学が決まった時、私の恩師が贈ってくれた言葉です。私は早くに結婚・出産をし、一度社会に出た後に准看護師免許を取り、看護職として働き始めました。自分の知識不足を感じることが多く、いつか進学をしようと思っていましたが、日々の業務と子育てに追われる毎日で、今は子供のことが忙しいからなどと理由をつけ、具体的なことを考えていませんでした。しかし、上司からその時はその時の問題があると言われたことで、今は今の問題があるが、これから先もその時々の問題があり、そのたびに先延ばしするのかと考えた時、今しかないと強く思い、近県であることと通学日数が少ない東亜看護学院を志望し受験しました。入学後はブロードバンド授業に始まり、単位認定試験、紙上事例、そして実習と徐々にハードなスケジュールとなってきました。さらに家での学習で孤独を感じることや、怪我をして手術をするなどのハプニングで、くじけそうになる時もありました。しかし東亜看護学院の先生方の丁寧な指導や、面接授業などで出会った気の合う仲間との励まし合い、そして職場の上司や同僚、子供や母親など多くの人たちの応援と協力があり、私は働きながら学ぶという2年間と看護師国家試験を乗り切ることができました。この2年間で私はとても大きく成長できたと思っています。そしてこれからも恩師の言葉を胸に、成長し続けたいと思っています。努力した分だけ結果はついてくるということが、この学院に行き本当に身をもって実感できました。東亜看護学院に入学し、必ず卒業時には成長した自分を感じられるはずです。是非頑張ってください。

飯塚 聖美さん
医療法人社団 同愛会病院 勤務 千葉県在住【2020年卒】
私は、准看護師免許取得後すぐ進学を望んでいました。しかし子供達もまだ小さく、また我慢を強いる生活をさせてしまうのではないかと思い諦めました。その後、准看護師としてやりがいを感じながら働き、忙しく過ごしていく中で看護師免許取得という想いは薄れていきました。そんな日々の中で、病院の先輩方が次々と看護師免許を取得され、生き生きと自信に満ち溢れ仕事をしている姿を目の当たりにし、私もスキルアップしたいと看護師免許取得を切に思うようになりました。准看護師として10年目となり、子供達もそれぞれに巣立つ時期で主人の後押しもあり、通信制の学校にチャレンジしたいと考えました。幸い周りには、通信制の学校に通って看護師免許取得した先輩方が沢山おり東亜看護学院の卒業生が多数いました。東亜看護学院の先生方は親身になって指導される先生方ばかりでとても良い学校だったと聞き、関東からは遠いですが、私も是非入学して勉強したいと思い受験を決意しました。同じ思いの友達も一緒に受験し、入学する事となり心強く、この先の不安な気持ちが少し軽減されました。でも通信の勉強は自主性が求められる孤独なものでした。今までパソコンほぼ使用したことない私には学院のホームページにアクセスする事も右往左往。いざカリキュラムが始まり、ブロードバンドの授業、課題や紙上事例をパソコンで行うことも戦いでした。それでも先生方の指導、寮で大きなカメムシを駆除してもらった事務長、学校で仲良くなれた友人たちと切磋琢磨し、家族の協力や励ましを受け無事卒業し、国家試験にも合格する事が出来ました。この2年間は、本当に辛い時期もありましたが、これからの看護師人生においてかけがえのない時間でした。自分が勉強できる環境、それを支えてくださる先生方、家族、友人、職場の方々に感謝し、過ぎてしまえばあっという間の2年間です。悔いのないよう過ごしてください。最終目標の国家試験突破を祈っております。

榎本 香菜さん
新小文字病院 勤務 福岡県在住【2020年卒】
私は当時准看護師としてまだ7年の経験年数しかなく通信制の学校に通うのも対象外だと思っていたのと、2人の子供がまだ幼稚園であったのでいつか子供が成長したら通いたいなと考えるだけでした。しかし入学要件7年の経験年数に変更されたことをどこから聞き、進学を考えるようになりました。仕事や家庭、育児、金銭面など様々なことを考え不安でしたが、頭の中では考えるだけでは何も変わらないと思い、まずは願書を出し行動してみました。金銭面はハローワークの専門実践教育訓練給付金の対象校であったためそれを活用しました。そして私は自分の行動を周囲に伝え、口に出したからにはやるしかない状況を作り出しました。勉強は必ず毎日決まった時間までは起きて勉強すると決めていました。紙上事例でもテスト勉強であっても良いので勉強する癖をつけました。時に、眠気に負けてできない日もありましたが、何事も積み重ねが大切だと思います。しかし、それを持続するのは大変ですのでリフレッシュをしっかりしました。後は授業を真剣に聞きました。ただ聞くのではなく理解しながら聞く努力をしました。自分で教科書を読むより理解を深められたと実感しています。余談であっても紙上事例で考える視点で大切なのではないかと授業で先生が伝えていることの意味を考えました。しかし、疾患や病態生理など、しっかりと理解し、考えられるようになったのは国家試験に向けて本格的に勉強を始めて少し経ってからです。学生と違って時間がないのでまずは、過去の問題や問題集の見直しをしました。しかし、自分の苦手とする解剖生理を理解できていないと、同じ間違いをしていることに気づきました。時間がないので焦りがありましたが、解剖生理を理解して疾患を学ぶことで理解が深まり、答えを導き出すことができるようになり長年の夢を実現させました。いつか看護師になりたい皆様へ。まずは一歩踏み出し挑戦してみて下さい、行動すれば夢は叶います。

竹田 雅代さん
医療法人社団明和会 大野浦病院 勤務 広島県在住【2020年卒】
私は20年以上を准看護師として勤務してきました。結婚・出産し、その後子供が4歳の時にシングルマザーとなり、これまで育児に追われ、進学のことは考えることができないまま過ごしてきました。今回進学を決めたきっかけは東亜看護学院を卒業し、看護師資格を取得した友人にオープンキャンパスに誘われたことがきっかけでした。オープンキャンパスで先輩方や、先生などから話を聞くことができ、私にもできるかなと思えたことで、チャレンジしてみようと、入学を決めました。しかし、仕事や家事をしながら、授業を受け、課題に追われる日々は、正直想像していた以上につらく、ダメかも…辞めたい…と思ったことは何度もありました。そんな状態でも卒業まであきらめずに頑張れたのは、先輩である友人の応援や、子供・職場の同僚からの応援。そして、何よりも学院で知り合った同級生の仲間の頑張りに、自分も負けてはいけないと思えたことでした。仲間と会えるのは、面接授業のある時だけで、いつも一緒になるとは限りませんが、学院で会えた時には、お互いに励まし合い、困難を乗り越えていきました。そんな仲間との出会いが、自分を強くしてくれたと感謝しています。そのおかげもあり、何とか国家試験にも無事合格することができました。通信教育とはどんなものか?と不安に思っている方も多いはずです。でも通信教育だからこそ、普通知り合う事の出来ない他県に住む仲間と知り合う事も出来。同じように苦難を乗り越えているからこそ、仲間との絆は強いものとなります。そして、その仲間と、卒業・合格の喜びを分かち合えた時には、心から頑張ってきてよかったと思えるのだと実感しています。今現在、進学を悩んでいる方に言いたいのは、勇気を出して始めてみてほしいという事です。かけがえのない仲間と出会い、苦難を乗り越えられた時、間違いなく自分自身が成長したことを実感することができます。そしてこの経験は、この先看護師として働く中での強さにもなるはずです。皆さんも夢の実現の喜びを感じてもらいたいと思っています。


塩見 君代さん
 協立病院 勤務 京都府在住【2019年卒】
准看護師として30年間勤務している中で様々な経験をし、患者様との関わりの中で責任の重さと、やりがいも感じてきた。しかし広い知識のある看護師とは学問の差を感じ、自分に自信と達成感の稀薄をいつも感じていた。研修等に参加して自己の力量向上も図ってきたが勤務現場でもチーム医療の実践や、より専門性の高い看護が必要とされ、患者様に適切な医療提供や有効な情報提供は自己のスキルアップを図らねばならず、そのためには広い知識と自信を持つ看護師に成長しないといけないと考えた。勤務を継続しながらのスキルアップを考えた時に、知人からの紹介で通信制の看護学校の中でブロードバンド利用で登校日の少ない東亜看護学院を知り、電話で問い合わせをして自分の勤務や生活習慣からして出来ると感じたが今一歩決断が出来ずにいた。会話の中でオープンキャンパスの開催を知り、休日で参加特典もあり、日帰り出来るために京都から参加した。説明を受け、パソコンで授業を見て参加する中で、40歳後半で出来るかと思っていたが、勉強方法が新鮮で出来ることを確信することが出来た。自分が遠方と思っていたが関東圏の参加者もいて、自分より先輩格の方も散見され、心強く思い入学を決意して、前期試験を受験して入学した。始めは自宅学習で孤独感も感じたが、面接授業や実習では全国の同期生と同じ目的のため話が弾み、人生相談や夢を語りあえる生涯の友とも出会え、授業科目を切磋琢磨で乗り切り、12月末で課程の勉強をどうにかこなし、1月から国家試験勉強にシフトして国家試験対策講座にも参加し、2月の受験に邁進した。なんでも根拠、根拠と2年間学び、辛かった紙上事例の展開だったがその事例が多く設問にあり、改めて紙上事例に感謝した。国家試験にも合格でき看護師となった今、通学を理解し支えてくれた職場や同僚、家族の協力に感謝し、学院で教わった看護人材から看護人財へ精進していく所存です。看護師を目指し夢に見る皆さまへ、このような勉強の場があることをお知らせし、お勧めいたします。夢は必ず叶います。

岡本 裕子さん
 松井外科整形 勤務 山口県在住【2019年卒】
私は現在42歳で、夫と3人の子供の5人家族です。長女が中学3年生で、一番下が小学1年生です。東亜看護学院に入学した時はまだ幼稚園児でした。3人目を出産する前にも一度、入学願書を取り寄せてみたり、職場や家族と相談をしたりして何度も断念しました。3人目の出産をし、准看護師として仕事をし、あわただしく毎日が過ぎていく中で、いつかは看護師免許を取得したいと常々考えていました。一番悩んだのは、入学のタイミングでした。私の場合は、一番下の子が幼稚園に入園したばかりだったので、せめて小学生になってからにしようか、それとも、上の二人が高校を卒業してからにしようか、とタイミングを考えていました。考えれば考えるほど、私自身の自信や勇気が無くなる事に気づいたとき、「考える前に行動しよう」と決めました。翌日には、願書を取り寄せ、3歳の子供を連れて、願書を提出しました。入学してしまえば、あとは自分の状況がどうであれ、頑張るだけ!と割り切れました。面接授業や実習の事前学習、紙上事例などの膨大な課題等。もちろん初めてのことばかりで、不明で理解できないことはすぐにメールで質問して、抱え込んでストレスをためないようにしました。市内でもあり学院へ行き直接先生に相談に乗っていただくこともあり、遠方の方からすれば非常に幸運でした。正直、准看護師としての経験が役に立つかどうかはわかりません。中途半端な知識が邪魔になる事もありましたが、どんなに毎日が大変でも、私が学校をやめようとは思わなかったのは、「きっと通学生はもっと大変なんだろう」と自分を慰めてきたからだと思います。私たちは准看護師としての経験を認めてもらえて、実習も少なくてラッキーだ!と、考え方を変えた時、「課題」が提出するための「宿題」ではなく、「知識」として素直に頭に入るようになりました。おかげで、国家試験にも合格する事が出来て、母親である私が夜ひとりで勉強していると、中学生の娘たちが私のとなりで勉強したり、家事を進んでしてくれるようになりました。卒業した今思えば、2年間はあっという間だったように感じますが、睡眠時間を削り、疲れた身体で仕事に向かい、子供たちにも沢山我慢をさせた2年間でしたが、子供たちに、頑張れば成し遂げられるということを体現できた貴重な2年間になったと思っています。准看護師として苦渋を味わい、看護師の夢は持っているがタイミングがつかめない皆様へ、私のように長い事迷うより、まず行動されたら良いかと思います。2年後には夢が叶いますよ。ご健闘をお祈りいたします。

妹尾 梨花さん
 公立 世羅中央病院 勤務 広島県在住【2019年卒】
看護師を目指している皆様へ。信念を貫き通せば必ず夢は叶う。私はこの言葉を常に自分に言い聞かせ、2年間学んできました。私は第108回看護師国家試験を受験し合格しました。現在は公立病院に就職し、公務員看護師として勤務しています。准看護師として15年勤務し、看護師になりたい思いは常に抱きつつも、家事や育児、業務に追われる日々になかなか進学に前向きになれませんでした。東亜看護学院を卒業された同じ職場の先輩に背中を押して頂き、受験を決めました。准看護師として経験を積まれてきた在学生の皆様、これから東亜看護学院の受験を考えられている皆様も、看護師国家試験合格までの道のりが楽なものではないと重々承知であると思います。ブロードバンド授業、単位認定試験、病院見学実習、面接授業、模擬試験等、今までの日常になかったこれらを、日々の自分たちのスケジュールの中に振り分けなければならない生活が続きます。ですが、効率よく時間管理をするとともに、看護師になりたいという強い思いがあれば、乗り越えられると思います。家族には「長い人生の中のこの2年間、看護師になるために時間が欲しい、私に協力してほしい」とお願いし、東亜看護学院入学と同じタイミングで小学校に入学した息子と机を並べて課題に向き合う日々が始まりました。学習していく中で、日々の業務でも看護の視点が変わりました。自分がいかに知識不足の状態で働いていたのかを実感し怖くなることもありました。昨年の夏は、病院見学実習が立て込んでいる中で西日本豪雨災害にも遭い、一時は実習先の変更まで危ぶまれる状態でした。そんな中、東亜看護学院の先生方や、共に学ぶ仲間の支えもあり、無事に乗り越えることができました。一人で悩むことはありません。東亜看護学院には先生方や同じ夢を志す仲間たちがいます。私は東亜看護学院に入学し、夢を叶えました。次は皆様の番です。夢を叶えましょう。

松浦 静香さん
 周南リハビリテーション病院 勤務 山口県在住【2019年卒】
東亜看護学院に入学しようと思ったきっかけは、仲の良い同僚が在学中であり、彼女の話を聞くうちに私にもできると思い夢が膨らんだときに、私の背中を押してくれたことでした。しかし、入試の条件である小論文が自己流であったこともあり、不合格通知が届きました。しかも、後期の試験であったため、来年まであきらめるしかない状況でした。しかし、偶然にも、後期追加試験があると聞き、論文の書き方の本を参考にしながら、小論文を書き直し、後期追加試験に臨み合格して入学することが出来ました。ただ、入学してからは、ブロードバンド授業、紙上事例、苦手なレポートの繰り返しであり、いつ国家試験の勉強ができるのだろうかと不安な毎日でした。仕事の公休や有休を使って面接授業や実習に行きそれ以外の日は通常勤務と家事に追われ、合間に課題をし、多忙な日々の繰り返しでしたが、学校の登校日数が少なくて助かりました。ようやく国家試験の勉強ができると過去問を開くことができたのは2年生の12月頃でした。国家試験まであと2か月、こんな勉強方法でよいのだろうか、自分の勉強方法は間違っているのではないかと不安しかない2カ月間でした。この間に3日間の学校主催の国家試験対策講座を受け傾向やポイントを押さえることが出来手応えを感じました。卒業も出来て国家試験に合格した今、これから看護師を目指す方や頑張っている在校生の皆さんに伝えたいことは、面接授業で学ぶ紙上事例は、必ず国家試験につながっています。ですから本気で真剣に取り組みましょう。とりあえず期日までに間に合わせようとして提出した課題は必ず再提出となります。再提出になれば、新たな課題と重複し倍の時間が必要となってしまいます。2年間はあっという間にすぎます。苦しい時期もあっという間です。准看護師として働いた期間は、必ず国家試験の役に立ちます。入試の小論文で不合格だった私がこんなレポートを書くのもおかしな話ですが、看護師を目指す皆さんには自信をもって通信制の東亜看護学院でチャレンジして看護師の夢を実現していただきたいと思い、文章力がないながらも一生懸命書かせていただきました。頑張ってください。必ず道は開けます。夢は叶います。

新田 由紀さん
山口県在住【2019年卒】
私は、准看護師として働きながら、看護師の免許を取得する夢をあきらめきれずにいました。現在は結婚し子育てと仕事を両立させています。金銭的と時間的に余裕がなかったため、看護学校に行けない状況で看護師の夢は半分あきらめていました。この度、東亜看護学院の通信制があることを知り、友人に誘われて受験してみることにしました。なぜなら、2年で自宅での勉強と実習日数が少ないことから、これなら私にもできるかもと思ったからです。でも入学してから今思えばあっという間の2年でした。ブロードバンドの視聴に追われ眠気と毎日戦いました。その中でレポートや事例の提出と度重なり、とにかく期限だけは守ってきました。特に苦労したのは紙上事例です。何度も返却され本当に悩まされました。何度も先生方に指導してもらい、それでも理解ができずに悔しくて泣いたことも。あれもこれもしなくてはならない課題と重なり両立することも厳しいと挫折しかけたことも度々でした。でも、とりあえずやってみようと期限に間に合わせ、単位も取得し無事卒業することができました。国家試験勉強に励みましたが、金銭的な余裕がないことから看護師予備校などは一切受講しませんでした。自分の勉強法をただひたすら信じて進めていました。家事は夫の協力を得て、空いた時間は勉強に集中し、模擬試験では成績が悪かった私ですが、もう一度解いてみると成績も上がり自信につながりました。国家試験当日は確かに解けない問題もたくさんありましたが、今までやってきたことは必ずテストの答えを導いてくれます。まずは自分を信じることです。私は絶対合格してやると思いながら試験を受けていました。そして私は、無事に国家試験も合格することができました。みなさんもわからないことは何度でも先生に指導をしてもらい、理解を深めて、まずは卒業を目指し、最後まであきらめないでがんばってほしいです。そのためにはまず入学しなければ夢は始まりません。まずはオープンキャンパスに行って、相談をお勧めします。実際の勉強の様子や金銭的な相談、何でもありでした。看護師合格を祈念いたします。

竹森 美穂子さん
医療法人社団唱和会 明野中央病院  大分県在住【2019年卒】
 看護師の叔母に憧れ子供のころから看護師になりたいと思っていました私は、物事を理解するにも人一倍かかる、なにをさせても要領が悪く時間がかかる、勉強も苦手で看護専門学校の受験に失敗した落ちこぼれでした。それでも看護師になりたいという気持ちは変わらず准看護専門学校に入学し看護師をめざしました。准看の免許は取得できましたが、高等看護専門学校の受験はここでも失敗し再度挑戦はしませんでした。 通信制度ができて大分県内でも学校が開校した時も過去の失敗と通信で課題や実習を仕事と家事育児しながらできるのか、など一歩踏み出す勇気と自信がなく迷っているうちに県内にあった通信制の学校が閉校となり一度は諦めました。 現在勤務している病院には准看護師が私一人だったこと、リエゾンマネージャー取得には国家資格が必要だったことから再度看護師めざし、通信制で看護師を取得した先輩に東亜看護学院を勧められ入学しました。しかしもともと勉強が苦手であり実習や事例課題が苦手であったため、在籍中も紙上事例や実習レポートも再提出は当たり前、単位が取得できるかという出来の悪い生徒でした。提出期限ギリギリでも課題ができない時にはあきらめようかと何度も思いましたが、そのたびに先生に指導していただき同期生に励まされ乗り越えることができました。 通信制は確かに自分との戦いですが一人ではありません。くじけそうな時や諦めてしまいそうな時には学院の先生や同じように苦しみながら頑張っている同士の助けを借りて目標達成、夢の実現めざし頑張って欲しいと思います。 夢は必ず叶います!  諦めず自身の可能性を信じて挑戦してみてください。


Y.Sさん
グループホーム(認知症対応型共同生活介護) 愛媛県在住【2018年卒】
今年79歳にして看護師国家試験に合格しました。おそらく学院では最高齢ではないでしょうか。いまさら資格を取って何になると言われる方もいるかと思いますが、今でも現役でグループホームの責任者として在職しています。過去、准看護師や診療所の職員、有料老人ホームやグループホームの看護職員として40年余り働いてきました。入居者は全員高齢の方で認知症症状に加え様々な持病があり、薬の管理から体調の変化の早期発見など普段医師不在のところで介護職員と協力し務めていますが、やはり知識不足もあり不安でした。以前勤務した施設の同僚が、通信制の看護学校で学んでいたことを思い出し、自分も志し東亜看護学院の入学を決意しました。入学試験は論文提出と面接でしたがスムーズにいかず苦労したのを覚えています。通常の2年で単位取得が出来ず足かけ6年費やし一度退学しました。妻からもいい加減にしたらと言われながら再度入学し今度は晴れて卒業することが出来ました。 この間、学院の先生方や事務局の方々には大変お世話になり、適時連絡を受けて叱咤激励の言葉をいただき、折れそうになる気持ちを支えていただきました。自宅への電話受信の際に頂く温かい言葉に感謝して電話口で思わず頭を下げていたところを妻に見られ、妻には威厳を示す私がまるで子供のようにぺこぺこしている姿を見て情けないと思ったのか、事務長さんに憤慨したようでした。卒業後も看護師国家試験に挑戦し合格までの後1点が取れず悔しい思いもしました。そんなある日、書店で111歳の後藤はつのさんが書いた「いつでも今から」を見つけ73歳で絵を描き始め99歳まで100号の絵を描き続ける後藤さんの「何かを始めるのに遅すぎることはない、やるかやらないかだ」と話していて、当時の自分にピッタリだと思い、後藤はつのさんの言葉を職場の玄関先の柱に貼り付け意識改革を図りました。 そのご利益か今年2月の第113回看護師国家試験に合格する事が出来ました。学院の先生方や事務局の皆様の温かい声援を受け。妻や子供たちの励ましもあって頑張った甲斐があったと思います。79歳から看護師としての看護業務が始まりですが、さらに勉強して入居者の皆様のお役に立てるよう精進したいと思います。皆さまも夢はあきらめず人生一回限りですから人に喜ばれる看護師になりましょう。

菅原 悦子さん
岩手県在住【2018年卒】
准看護師であることに引け目を感じつつ三十数年。二年前「人生、このまま終わってよいのか?」と自分に問い、看護師への道、希望の光、東亜看護学院と出会った。ここは、通学の日数も他の学院より少なく、学費も他より安い。また放送大学と並行の学校より、卒業に不安なく国家試験を受けられるとおもった。しかし高齢の姑と同居であり職場の環境等すべてを考えるとあきらめるしかなかった。このような時、妹から背中を押され、この難問を決意と勇気で乗り越え入学することとなった。 ところが入学直後パソコン問題発生、田舎の環境のための事態。2年生では落雷でパソコン故障。次女の里帰り出産等、家庭にも問題発生。この難関は学院の職員、先生方の親身な指導等で打開した。学習と仕事との両立で睡眠時間を学習時間に変換し、休日は終日学習し、トイレ、食事等の時間短縮等で学習の時間を作りました。中でも紙上事例演習の課題は難題で、時間に追われる日々。徹夜したままの日勤を連日。一年の夏頃からは、期限内の課題提出の目標をクリアすることも困難となり、職場に相談し、協力を得て乗り越えました。年齢的に、限界に近い状態で、それを自分の決意の強さで乗り越えてこれました。事前学習、実習、国家試験の学習も同様で精神力、決意で乗り越えたように思います。国家試験の学習方法が見つからず、過去問といわれる分厚い本は開くだけで時間がかかり、二年生の1月上旬から中ごろに、本格的に、国家試験の体系と特徴を調べ始め、試験学習はアプリを最大限利用し学習しました。在学中、楽しかったことは小旅行ができたこと、友人ができたこと、友人たちと一緒に夕食を食べたり、唐戸市場で買ってきたふぐをみんなで集まって食べたこと、テストの前日友人と一緒に勉強したこと、唐戸市場から船で門司へ行きお土産を買った事、小倉、下関の神社で合格祈願し第107回看護師国家試験に合格したこと。この学院に入学の皆さん、一旦決意した自分の目標達成のための「自分との戦い」に勝ってください。夢の実現。そして新しい自分の人生を胸を張って歩んでください。

川島 靖子さん
医療法人社団 同愛会病院 東京都在住【2018年卒】
 准看護師として働きながら、看護師になりたいと思ってはいたのですが、結婚、育児と忙しい日々を過ごすうちにその思いがうすれてしまいました。 育児が落ち着き、職場に復帰したところ、医療の進歩、病院自体も体制が変わり、ついていくのがやっとでした。“このままではだめだ、もっと勉強しなくては”と思い、看護師になることを決意しました。職場には東亜看護学院の卒業生が多く、学院について話を聞く機会が多くありました。自分も頑張れるやっていけそうと思い入学しました。 東京から山口へ面接授業で1週間家を空けることが何回もありました。主人は家のことはやっておくよ、がんばれと言ってくれました。パパのお手伝いするから大丈夫と言ってくれた子供たち。さみしい思いもさせました。家族、職場スタッフみんなのおかげで私はやってこれました。まわりの人達の協力がなかったら、今の自分はいないです。 国家試験対策はすべての面接授業が終わってから本格的にやり始めました。私は過去問題を重点にやりわからないことは調べながら何度も何度もやりました。模試で間違えたところ、わからないところもやるといいかと思います。人生の中で一番勉強したかもしれません。いろいろな勉強法があるので自分に合った勉強法を見つけてください。私はあまり成績が良くありませんでした。最後まで先生方に心配をかけました。こんな私が合格できたのは先生方のおかげです。感謝しています。大切なことは、一歩を踏み出すこと。自分を信じること。私は合格する、大丈夫と根拠のない自信を持つことも、時にはいいんじゃないかと思います。思いを言葉にすることで、なんかできそうになってきます。2年間の学校生活、友達もでき、来変なこともありましたが、とても楽しく充実した2年間でした。皆さんもこの東亜看護学院で学び素敵な看護師目指して頑張ってください。

藤本 規子さん
市立重症心身障害者(児)支援センター 大阪府在住【2018年卒】
私は准看護師免許を取得したころからずっと看護師免許を取得したいと思っていました。しかし、結婚し、出産・子育てをしているうちに、なかなか学校に行くという機会がなく、准看護師免許取得から17年がたっていました。そんな中、離婚することを決意し、心機一転するために転職する際言われたのが「准看護師さんの募集はしていません」という言葉でした。私はその時、自信が准看護師であるという引け目と、自分が働きたいと思う病院に就職できないという悔しさを感じました。また、二人の子供を育てていかなければならないということから看護師免許を取ることを決意し、この東亜看護学院に入学しました。1年目、私は2交代勤務の本職に加え、夜勤や休みの合間に訪問看護のバイトをしながら家事・育児をし、さらに離婚裁判、子供会会長の役まで抱えながらのスタートとなりました。過度のストレスと睡眠不足により体調不良となり、正直これはさすがに無理かもしれないと、不安とあきらめの状態でしたが、やると決めた以上、途中でやめる姿を子供たちに見せるわけにはいかないと気持ちを入れ替え、内服治療をしながら、一つずつ課題をこなしていきました。2年目になると裁判の決着、子供会会長の任期終了と少し負担が減りましたが、2年目は実習、紙上事例演習と1年目よりさらに厳しい課題が増え、提出期限もぎりぎりで今度こそもうダメかもしれないと追い込まれる時期がありました。しかし、先生方のご指導やご支援、「〇〇の期限いつまでやで!」「頑張って卒業しような!」と声をかけ、支えてくれる友達の存在のおかげで何とか課題をこなすことができ、無事に卒業し、看護師国家試験に合格することができました。通学制とは違い、通信制は孤独であり、自分との戦いにもなります。けど、一人じゃありません。支え応援してくれる人たちがいます。何らかの事情を抱えた人も頑張っています。長い人生の中のたった2年。この2年頑張るだけで夢は叶います。努力は無駄にならないし、自信にもつながります。この達成感、是非味わって頂きたい!!

廣木 加代子さん
広島県在住【2018年卒】
私は、看護師にあこがれを抱きつつも、毎日、仕事に追われ、なんとなく日々が過ぎていく中、友達に誘われてオープンキャンパスに行ったことが契機となり、東亜看護学院に入学することになりました。友達と一緒に入学でき心強いと思う反面、36歳で准看護師を取得して以来、20年が経過し年齢的にもできるかの不安のほうが先に立ちました。入学後、ブロードバンド授業、紙上事例演習、単位認定試験と目の前のことに追われ必死で学習しました。何度か、「もう無理」と思うこともありましたが、先生方に励まされたり、学院のホームページにある卒業生の方々のアドバイスを幾度となく読んだり、多くの仲間に支えられ、「この大変な時間をみんな乗り越えてきたんだ」「つらいのは自分だけじゃない」と言い聞かせることで頑張れてこれたのだと思います。初めは、先の見えない感じでしたが課題が一つ終わるたび、達成感がありました。しかし、その達成感と同時に国家試験に対する不安が増していったことも事実です。目の前の課題をしっかりやることも国家試験につながる大切な学習ですが、毎日、過去問を少しずつでもやっておけばよかったと後悔しました。年齢的にも記憶力が低下し、ただ、教科書を読んだだけで覚えることが難しいため、ひたすら過去問をして、分からないことはそのままにせず、解説を何度も読み返したり、先生方に質問することで、自分なりに納得できるまで取り組みました。2年間は長いようであっという間です。どうか皆さんのも看護師という自己実現に向かって、踏み出そうとしている自分を誇りに思い、充実した価値ある時間を送ってください。 確かに挑戦しなければ辛さや失敗もないかもしれません。しかし、目標に向かって必死に学んだことで得た知識とともに達成感や充実感を心の潤滑油とし、看護に生かすことができると思います。

原田 幸恵さん
東ソー日向株式会社 保健室 宮崎県在住【2018年卒】
准看護師VS理系大学院卒管理職。私の勤務している会社では、メンタル不調者が出たらこの構図での会議が始まる。入学動機は、何回かこの会議において、自分の勉強不足・知識不足・学力不足を痛感したからである。入学しこの2年間の中で、私が最も苦手としたものが、紙上事例演習である。ほぼ全領域において再々再提出であったが、毎回その領域の先生へアポを取り、車を飛ばして行き指導をしていただいた。宮崎日向市からは高速で3時間程度で到着する。先生はかなりの時間を過ぎても根気強く指導してくださったおかげで何とか乗り越えることができた。その当時は「とにかく留年だけは避けたい」の思いで、先生にしがみついていった。あまりにも出来が悪く、担当の先生には心配をかけてしまったと思う。本当に、首の皮一枚つながった状態での進級・卒業であったように思う。勉学を続けていくことに自信が持てず、入学を躊躇している方もいらっしゃるだろう。しかし必要なのはあきらめない心とガムのような粘り。あとは学院の先生方が引っ張っていってくれるはずだ。また、事務の先生方にも大変お世話になった。迅速で丁寧な対応であり、勉強以外に気をもむことは一切なかった。 国家試験について、最後の最後まで必修が8割取れなかった。担当の先生に相談したら次の日には山のように必修の問題がアップされていた。そのおかげで国家試験の必修は私にとって最高得点だった。実習中は臨床看護の道に行こうかとも考えたが、もう少し産業看護の道を歩みたいと思う。今後は、会議に引け目なく参加し、従業員のアドボケートとして生涯勉強と考えている。看護師VS理系大学院卒管理職、この構図からさらにステップアップしていきたい。色々な意味で、東亜看護学院を卒業することができて本当に良かったと思っている。自分の夢を持っている皆さん、まずは看護師免許取得だと思います。躊躇せずまずパンフレットを所望しオープンキャンパスに参加すればそこから道は開かれます。夢の実現を祈念いたします。

杉原 清子さん
愛知県在住【2018年卒】
東亜看護学院で夢を・・・・3年前、私は東亜看護学院の存在を初めて知りました。先輩から一緒に進学しないかと誘われたことがきっかけでした。進学自体、過去に考えた時期もありましたが話を聞いた時の私には忘れかけていたものでした。もう一度夢を…。通学日数やブロードバンド授業など内容を確認し愛知県と山口県、遠距離でしたが東亜看護学院なら今の仕事をつづけながら「看護師」になるという私の夢をかなえることができるのではないかと思い入学を決意しました。親の体調が思わしくなく1年遅らせての入学となりました。仕事、家事の合間にブロードバンド授業の視聴、課題と勉強時間を作ることが難しく試行錯誤しながら自分の勉強方法を見つけていきました。紙上事例と多重課題、2年生では実習と面接授業、つらく何度も投げ出したい気持ちもありましたが、先生や同じ夢を持つ友人と励ましあいながら進めていくことができました。面接授業ではわからない部分をあやふやにせず先生に何度も理解できるまで質問しました。課題の提出期限と優先順位を考えながら課題をこなしていきました。これも国家試験勉強につながっていますし現在の看護業務にも役立てることができていると思います。また、面接授業に向かう新幹線では友人と乗り合わせ、楽しい会話をしながら駅弁を食べる時間も楽しみの一つでした。本格的な国家試験の勉強は、実習と面接授業が落ち着いた11月ごろから始め、必修と一般状況を最低でも2~3回、1月までに終わらせ2月に入ってからは見直しを含め確認を行いました。自己学習はつらく苦しい時期ですが友人や担任と励まし合い目標の2年で卒業、国家試験合格と2つの夢を同時にかなえることができました。今は学院を教えてくれた先輩に感謝しています。東亜看護学院なら看護師になる夢を必ずかなえることができます。さあ次は貴方の番です。東亜看護学院で一緒に夢をかなえましょう。

岡村 紀子さん
厚狭セントヒル泌尿器科 山口県在住【2018年卒】
2018年3月26日私は51歳で「第107回看護師国家試験」に合格しました。試験前日も通常業務をこなし新幹線で過去問を解きながら受験地へ向かいました。私は准看護師として25年働いてきましたが職業欄に准看護師と書くのが本当に嫌でした。どうしてあの時看護学校へ進まなかったのか、結婚なんてしなければよかったと、長い間後悔をしてきましたが、子育てをしながら看護学校で学ぶ勇気はありませんでした。その後子育てが一段落した頃、看護協会から送られてきた冊子の「2年間の通信制で看護師国家試験の受験資格が得られる」という資料に目がとまり「これだ!」と思い、さっそく勤務先の師長に相談しました。休暇を取ることで職場に迷惑をかけることもあると思いましたが、師長をはじめ看護師である同僚たちが「がんばれ!」と背中を押してくれました。入学してからは次々とはじまるブロードバンド授業、単元ごとのテスト、レポート提出、模擬試験と悩む暇もないくらいに目まぐるしく時間が流れていきます。紙上事例、実習、事前学習、面接授業が始まると休日や睡眠時間も返上して取り組むことになり「時間がない!」と何度も叫びながら連日学習を重ねていきました。学んでも、学んでも不安は大きくなり国家試験前は精神的にも追い詰められます。しかしそんな日々のすべてが宝物となり、輝いていた日々だったと思える時は必ず来ます。共に学び、つらいときには励ましあった友人たち、そして何より親身になりいつも励ましてくれた諸先生方、事務の皆さんと過ごした2年間は人生の中でかけがえのない時間です。人は長い人生の中でいくつかの転機があると思います。国家試験を迎える前の緊迫感、高揚感、合格した時の達成感、看護師として働けることの充実感を皆さんにも感じてもらいたいです。今「どうしよう。」と悩みながらこのホームページを開いたあなたの転機は今かもしれません。勇気を出して、まず1歩踏み出してみませんか?

渡邊 尚加さん
 福岡県在住【2018年卒】
「これからの時代は手に職が必要だ!人の役に立つ仕事をしたい」と思い30歳を目前に准看護師の資格を取得しました。卒業後、看護師の学校へ進もうとも考えましたが子供が欲しく断念し、いつか必ず看護師の免許を取りたいと思っていました。しかし子育てをしながら学校へ通うのは難しく迷いました。その時、先輩看護師から背中を押され「そうだ!後悔はしたくない!」と思い家族の協力を得て自身の生活スタイルに合わせた通信制の進路を選び東亜看護学院に入学することができました。しかし周囲に通信制に通っている知り合いはなく、またほかの学生はどのようにしてテストや課題をこなしているのかもわからず不安ばかりでした。私は分からないことは登校し質問に行きました。すべての先生方が、いつでも笑顔で迎えてくれ何でも相談し課題に取り組むことができました。1年目は他の学生と会うことはほとんどないのですが、実習や面接授業が始まるといろんな人と知り合いになることができ、情報交換や不安に思っていることを話したり、学校へ行くのが楽しくてたまりませんでした。仕事や子育てをしながらの課題やテスト、紙上事例は確かに大変で実習は夜明け前に家を出発し帰ってレポートを書く。思い返すとよく頑張ったと自負しています。私が国家試験の勉強として取り掛かったのは1月ごろからで、購入していた唯一の問題集もほとんど手付かずの状態での国家試験でしたが、無事合格することができました。これは学校での授業や課題、テスト、紙上事例での学習の成果であり10年以上病院で勤務し培った経験が実ったのだと思います。2年間ほとんど子供たちとも一緒に寝てあげることができず寂しい思いをさせたのも事実です。しかし無事に合格したことで子供たちに努力をすれば夢は叶うと身を以て教えることができたと思います。やり遂げた充実感も計り知れません。准看護師で頑張っている皆さん、看護師になる夢がかないます。一度しかない人生のうちの2年間を費やす価値は十分にあり、努力は必ず実ります。まずは学校案内を取り寄せましょう。

重田 久恵さん
一般財団法人京都南西病院 京都府在住【2018年卒】
54歳にしてやっと桜の花が咲きました。准看護師学校を卒業してから32年、勉強があまり好きではなく常に楽なほうへ流されていました。しかし仕事をする中で後輩が免許を取得し、知識も自分の知らないことが多くなり、ましてや褒められることもない。「勉強は嫌だけど看護師免許は取得したい」そんなジレンマと日々葛藤していました。ある日職場の上司に進学のことを相談すると、看護協会主催の進学セミナーへ行くことを勧められました。そこで東亜看護学院の紹介があり、インターネットを利用したブロードバンド授業であることを知りました。しかし、その時は東亜看護学院が遠方であることから他校の通信制へ入学し、そして半年で通信制の厳しさを痛感し退学。その後セミナーで紹介された東亜看護学院のブロードバンド授業のことを思い出し、これなら私にでも理解ができるかもしれないと思い、オープンキャンパスに出かけました。実際に先生方や事務局の方々の温かさに触れることができ、東亜看護学院でなら絶対、資格取得できると確信しました。そして入学後、先生から言われたのが「答えは合うが、根拠がわかっていない」でした。その通りで、今まで根拠を理解せず経験だけでとらえていた自分がいました。学院での学習はすべてが根拠につながる学習で、アセスメント力を培うことができました。また学習してきた内容は国家試験にも確実に反映されました。先生方は、自己管理のできない学生には厳しいですが、それ以外はフランクで何でも相談ができ、そしてパソコンができなくても、プロフェッショナルな事務局の方が丁寧に誘導してくださるので安心して学習ができました。「一以てこれを貫く」孔子が言った言葉です。これは自分の進む道は一つ。それも自分の選んだ道ならば、その道で貫く覚悟が必要であると説いています。この言葉に出会った時、私は覚悟を決めました。入学当初、周りの人には「なんで今さら。」と思われていたと思います。しかし人がなんと言おうと決定するのも実行するのも自分の心ひとつです。後悔のない看護職人生を送り、良き人財となれるよう是非東亜看護学院で合格を勝ち取ってください。



宮野 美砂さん
 山口県在住【2017年卒】
これまで夫の転勤に伴い8か所の医療機関で約20年間准看護師として勤務してきました。その間、常に「看護師の資格を取りたい」と思っていましたが、子育てや度重なる転勤でなかなかその機会を得ることができませんでした。このままでは後悔すると思い東亜看護学院に入学したのは還暦も過ぎた2年前のことです。入学して、さあ頑張って勉強しようと意気込みは良かったのですが、授業に必要なパソコンの基本操作がうまくできず勉強どころではありませんでした。子供たちに教えてもらってもわからず、何度も学院の先生に電話してご指導いただき、何とか勉強に専念できるようになりました。本格的に勉強するのは四十数年ぶりのことで、様々な困難に直面しました。レポートや試験の提出期限は厳しく、思うように進まず徹夜することもたびたびでした。年齢によるものか記憶力の悪さにも悩まされましたが、時間をかけて繰り返し勉強する事でなんとかそれを補うことができました。一つ工夫したことは授業で必要と思われる所を自分なりの方法でノートに取ったことです。この作業は少々面倒でしたが理解と記憶を助けてくれました。作成したノートはレポート作成や各単位試験ばかりでなく看護師国家試験受験の際にも大いに役立ちました。私にとって授業の中で最も難解なものは「紙上事例演習」でした。事前学習をしっかりしてもなかなか理解できず、そのつど学院に通って先生に丁寧なご指導をしていただきました。国家試験が近づくと教室が解放され、疑問のある個所は先生が講義をしてくださったので試験ギリギリまで勉強しました。試験が近づくにつれ不安が大きくなりましたが先生の励ましと共に学んだ仲間の存在が支えとなって最後まで頑張ることができました。看護師を志す皆さんの中には、勉強しようと思っても様々な事情によりできない方もおられるでしょう。一人で悩まず経験豊富な学院の先生のアドバイスや家族の助けを借りて困難を克服し夢に向かって進んでください。夢は必ず叶います。私が叶ったのですから。ご健闘をお祈りいたします。

塚本 直美さん
特別養護老人ホーム サン・アクエリア 大阪府在住【2017年卒】
「看護師でないと看取りはできない」この言葉がきっかけになり看護師の資格を得るために東亜看護学院を受験し二年間学びました。私は今、特別養護老人ホームに勤務しています。病院と同じように時間に追われ、健康管理やケアに追われる毎日ですが、病院との違いは常に医師がいない為、早期発見、早期治療の判断力が重要視されます。また、人生の最後を自分らしく快適に生活する居住の場であるため何年もホームで生活されている方もおられます。一人一人の人生観、価値観、アナザースカイを聞きながら時には人生相談も聴き、学ぶことが沢山あり、次第に「利用者」ではなく、家族のように思えてきます。そんな家族のような存在の最後を幸せだったと思えるように私は最後まで援助していきたいと思っています。在校生の皆さんは今、実習や課題、単位認定試験、過程や家族、仕事で目まぐるしい日々を送り、目の前のことしか見えなくて、早くから国家試験の勉強をした方がいいとわかっていても、ひとつ乗り越えることが精いっぱいで国家試験への現実味がないと思います。私も同じでした。しかし、スマホを片手に過去問を1日5問を目標に、通勤時間や仕事の休憩時間に解説を理解し、分からないことは調べながらほぼ毎日取り組みました。担当の先生からのアドバイスで、「覚えたことを人に教えることで覚える」を職場で実行し、職場のスタッフも協力的で私が楽しくできるように看ゴロも教えてくれました。看護師国家試験2か月前から先生や先輩方の「早くから」の言葉が身に染みていました。覚えたいものが焦って覚えることができない、わからない問題に直面するなど、不安になっていました。しかし、試験は待ってくれませんから不安や焦りをすべてポジティブに考えることが大切だと思います。焦りは「大丈夫、試験までに覚えられる」。不安は「今この問題に出会ってよかった、本番じゃなくて良かった」と考え、勉強して理解すると自信に変わっていきました。最大のポイントは日ごろの一日5問だったと思います。理解しながらやれば記憶にも残っていて、本格的に試験勉強に取り組むときにとても役立ちました。試験の前夜は羊を何匹数えても緊張で眠れないと思いますが、2年間の努力と支え合った友人や自分を支えてくれた沢山の人たちを思い出して自信を持って受験してください。自信は不安を撃退する上に最高の合格薬です。頑張ってください。

岡部 義幸さん
積愛会 横浜舞岡病院  神奈川県在住【2017年卒】
ふぐ扱い日本一の唐戸市場の隣にカモンワーフと言う飲食ビルがあります。1年の秋の基礎看護学の面接授業の初日に座り合わせた同級生9人でこのカモンワーフに行きました。 関門海峡を挟んだ対岸の門司の夜景、スポットライトに照らされた関門大橋を眺め各地から集う同級生と笑い、語り、酌み交わした獺祭は非常に旨いものでした。在学中はSNS(ソーシャルネットワーク)を使って、メッセージを送り励ましあい、課題について意見をぶつけ合いました。 2年生の後半は毎月5回の夜勤をしながら多い時は3週間で面接授業3コマと見学実習2コマをこなすこともあり、事前学習やその他準備で容量超えによる高ストレスにもなりましたが、仲間と連絡を取り合いモチベーションを維持し取り組むことができ結果的に9人全員が国家試験に合格することができました。9人全員このグループの存在がなかったら卒業も国家試験合格もまず無理だったと思っています。東亜看護学院で出会え繋がった仲間とは今でも楽しく語り合う、これから一生付き合うことのできる友人となりました。 通信制は1人の戦いで特に自分自身との戦いです。休もうと思ったり怠けようと思えばいつでもその誘惑に負けてしまいます。近場でなく全国各地の友だから励まし合うことで乗り越えられたのです。これからキャリアを生かす上でも友人の存在はとても大切です。さて国家試験についてですが、第106回を受験し考察力を問う問題にシフトしたと痛感しました。今後この傾向は続くのではないでしょうか。過去問を含め多くの予測問題を解答してください。解答を出せない問題は消去法を使い、消去しきれなかったり迷った問題は文章を否定文にしてください。観念的であったり概念的な問題は特にこの否定法が効きます。これで10点は点数を上げました。学院での紙上事例演習が国家試験に大変役立ちました。東亜看護学院は「入学しやすい」「進級しやすい」「卒業しやすい」「スクーリングが最も少ない」「学費が安い」日本一の通信制です。関東在住なら東亜一択です。現在は免許証が送られてくるのを首を長くして待っております。届いたら下関のふくを肴に美酒で祝い、看護師として精進し次の目標に向かいます。皆様も看護師の夢を実現してください。

光持 実佐子さん
医療法人明心会 仁大病院 愛知県在住【2017年卒】
私にも今年桜の花が咲きました。第106回看護師国家試験に合格することができたのです。准看護師となってから、看護師になるチャンスはありましたが挫折してしまい看護師になることはあきらめていました。結婚、育児と家庭に入り、充実した日々を過ごしていましたが次男が小児がんになり、闘病生活の中で看護師としてもっと知識があれば早期発見し命を救うことができたのではないかと後悔していました。このことは一生忘れられない出来事でした。私は、それまで「もう二度と看護の仕事につくのは嫌だ。」と考えていましたが長女の保育園入園を機に近くの精神科の病院に再就職しました。「私は准看護師としてパートで定年まで働くことができればいい」そう考えていたのです。その後同居していた義祖母が認知症になり老衰で亡くなると、今度は義父ががんで入退院を繰り返し最後は緩和ケアで在宅看護をしていました。義父は私を頼ってくれましたがその時もっと看護の勉強をして知識を得ていたら…と考えていたころ、インターネットで東亜看護学院のホームページにたどり着き「卒業生の声」を読み入学を考えるようになりました。学院へメールを送ったり、質問の丁寧な回答を電話でいただき不安が吹っ切れて入学を決定するきっかけとなったのです。 学院入学後BB授業、看護展開、レポート課題提出、実習に追われ、また仕事と家庭もあり何度もくじけそうになりながら、一つ一つ乗り越えることができました、私の勤務先の上司、同僚の方々の協力、家庭では家族の支え、東亜看護学院の同級生、先生方が励ましてくださり大変感謝しています。そして今、2年間苦労を共にしたかけがえのない友達を得ることができました。私は、看護師になるまで時間がかかりすぎましたが今振り返ってみるとチャレンジして本当によかったです。次は「あなた」の番です。東亜看護学院へ入学し2年後には自分らしい花を咲かせてください。

藤田 礼子さん
飯野小児科内科医院 京都府在住【2017年卒】
私が看護師を目指したきっかけは、当時小学生だった娘の作文でした。そこには看護師として働く母はすごい、私も看護師になって困っている人の手助けがしたい。と書いてありました。准看護師として働きながらも「このままでいいや」と思っていた私は、その文章に恥ずかしさを感じました。なぜなら、看護を専門的な方向から学んでいない自分に引け目を感じていたからです。入学しようか迷っていましたが一年先に友人が東亜に入学し、一生懸命勉強に挑んでいる姿に刺激を受け入学を決意しました。ブロードバンドの授業では、睡魔に襲われながらも懸命に視聴していましたが、戦い敗れ寝てしまうときも多々ありました。テストや課題の提出に追われる日々は想像以上に過酷で、何度も心が折れました。時には泣きながら課題に取り組んだこともあります。そんな時に心の支えとなってくれたのは家族とともに学ぶ友人たちの存在でした、入学当時は孤独でしたが気がつけばたくさんの友達ができ、つらいのは私一人ではないと自分を奮い立たせることができたように思います。2年時には国家試験に向けて、模擬テストや参考書の問題から解けなかった部分を徹底的に調べ、何度も書いて理解に努めました。寝不足でしたが家族の励ましや協力のおかげもあり勉強に取り組むことができ、無事に国家試験に合格することができました。今では泣きながら課題に取り組んでいた日々が懐かしく、東亜で学んだ2年間が宝物に思えます。国家試験の合格通知が届いたときの喜びはこれまでの辛く厳しい日々を吹っ飛ばしてくれます。私のように入学を迷っている方がいるなら思い切って踏み出し一生懸命勉強してみませんか。東亜でなら絶対できます。2年はあっ!という間です。辛くても努力した分は必ず自分に返ってくる。継続は力なりです。自分を信じて桜咲く季節を迎えましょう。

川立 京子さん
医療法人社団仁和会 児玉病院  広島県【2017年卒】
65歳の定年を間近に控え、これまで働いてきた様々なことに思いを巡らせました。何度か看護師の学校に進んでみたいと思うことがあったが、色々な事情で果たせないまま年月が過ぎ、いつからか諦めてしまっていた准看護師としての数十年を振り返りました。そして、超高齢社会となった現在はどんな勉強をするのだろうかと考えるうち、今からでも勉強してみたいという思いが強くなりました。しかし年齢のことを考えると無理だろうとの思いもあり、できるところまででよいと思って、「やってみよう。また家族の悲しい過去ばかりにとらわれないためには、何かに熱中することが私には必要だ」と考えたのが東亜看護学院入学の動機でした。仕事と勉強を両立することとなり、何十年ぶりに教科書を広げると若いころを取り戻したような新鮮な気持ちでわくわく感があり仕事から帰るとブロードバンド授業を受けるのが楽しみでしたが、課題提出期限まで間に合わそうと机に向かい、教科書、参考書をめくる日が続くとかなりのストレスとなり、続けるのは無理と幾度となく悩みましたが、学院に電話して率直な気持ちを吐露し、指導、助言を受け、気を取り直し続けることができました。職場の協力を得ながら課題提出、単位取得、そして国家試験合格につながったと思っています。面接授業では、目標を同じくした一生懸命学習に取り組んでいる仲間がいます。親身になって相談に乗ってくれる教職員がおられます。不安はありますが、一歩踏み出すと何とかなります。一生懸命やっていると2年間はあっという間に過ぎてしまい、得られた知識は自信となりこれからの人生を変えるかもしれません。夢は必ず実現します。看護師を目指す皆さん、今が学ぶチャンスだと思って挑戦してみてください。私にとっての東亜看護学院で学んだ2年間は、今までの人生の中で最も充実した日々でした。

向井 彩さん
光中央病院 山口県在住【2017年卒】
准看護師として働く中、知識に基づく看護とは言えず、「いつかは進学しないと」とは思っていました。しかし、結婚や出産を挟んだことから、なかなか一歩が踏み出せずにいました。実務経験が満たされていないための私の「いつか」はまだまだ先と考えていました。ある夜、ふと自分が十年の実務経験が満たされていることに気付く、その年のオープンキャンパスに行き、入学を決めました。そこからの二年間は本当にあっという間でした。私には、通信という勉強法が合っていたということもあり、学生生活は本当に「楽しかった」の一言です。もちろん、日々の授業やレポート、紙上事例に追われながら、仕事と家事を両立させることは大変でした。しかし、この年になって勉強できることがすごく新鮮であり、勉強したことが業務の中での知識につながっていくことから、すごく楽しく勉強できました。そして、先生や友人との出会いが本当にありがたく、私にとっての第二の青春という感じでした。住居も年齢もバラバラですが目標に向かう同士であり、若い頃の友達ともまた一味違う、素晴らしい出会いでした。勉強法においては、期日を確実に守るために早め早めにすることをお勧めします。私も小さい子供を抱えていたことから、何事も期日の3日前までに終えるようにしていました。それから事前学習は重要だと思います。事前学習をしておくことで看護や治療の意味が分かり、アセスメントもしやすくなります。たくさん授業や実習などが重なると大変ですが、するとしないとでは、理解度も大違いですし実習も多くの学びを得ることができると思います。決してこれまで優秀な人間ではなかった私ですが、努力してきたことが、国家試験の結果をはじめ本当に身になっていると感じる日々です。そして、楽しく勉強する環境を与えてくれた職場、家族にも感謝しています。勢いで飛び込んだ学校でしたが本当に行ってよかったと心から思います。准看護師というだけで、どこか引け目を感じたり待遇が違ったりという思いを一度はされたことがあると思います。大変なのは本当に一瞬です。こんな私でも無事に卒業し看護師資格を取得することができましたのでぜひ一人でも多くの准看護師の方に夢の実現を決定していただきたいと思っております。



池田 恵子さん
八尾徳洲会総合病院  大阪府在住【2016年卒】
私は、10年間准看護師として勤務しやっと、今回通信による看護師学校を受ける権利ができ、東亜看護学院を受験し合格することができました。大阪在住でなぜ山口県にある東亜看護学んを選択したかというと、全く知らない土地で全く知らない環境下で仕事から離れ、勉強モードに自分を置き、勉強に集中するために選択をしました。また、自分と同じ職場で同時期に准看護師から看護師になりたいという同僚がおり一緒に勉強をすることができるといった環境も大きな支えになりました。1年次はブロードバンド授業を視聴し、ノートにまとめ、それをもとに課題レポートを作成する。思考、体力、時間をできる限り使い必死で提出日に間に合わせる毎日に追われていました。その中でも臨地実習では、他の病院へ実習に行き同期生と実習をする中で、情報共有をし、励ましあいながら行ってきました。新たな実習先に行くと本当の私はこんな介護がしたかったのに今の職場では出来ないことがたくさんあるなぁ、こんな看護の仕方もあるんだなぁと新しい発見をし新しい気持ちで勤務ができる充実感もありました。2年次は面接授業後、担任先生との面接があり、いろいろな悩み相談や勉強の方法を学びました。その中で印象にあるのが、国家試験、課題、授業、実習といったストレスを抱える中で悩みが頂点に達していたころ「やればできる。やらなかったらできない。自分の選択した道で、自分から受験し看護師になろうと思った心が大切。なんとかなると。必ず出口があるから」この言葉に本当に救われました。看護師になりたいと自分で決め、この東亜看護学院に入り勉強しているのは自分で決めた道。2年間という人生でこんな短い期間で看護師になれる。と思った瞬間吹っ切れた感じがありました。みなさん。必ず出口はあります。2年というあっという間の期間。思う存分悩み、気付き、得るものを多くできる2年間にしてください。

吉田 智子さん
医療法人大植会葛城病院 大阪府在住【2016年卒】
准看護師として働き始め10年が経過し勤務する中で自己の知識不足を感じ、もっと医学・看護を学びたいと思いながらも、仕事と家庭の両立で進学したいけれど難しいだろうなと考えていました。そんな時、職場の先輩や同僚から通信制の看護学校なら看護師を目指せるのではと、アドバイスを受け多くの不安はあったものの東亜看護学院を受験しました。学院に入学が決まり喜んでいたのも束の間で勉強の難しさやレポートの大変さに呆然となりました。何もかもわからないことだらけで困り、質問しようにも私は大阪府に住んでいたため、近くに先生や友人もいませんでした。そのため質問があるたびに学院に電話し担当の先生に指導していただきました、電話での指導にもかかわらず先生方は、時には何時間も指導をしてくださることもあり、そのおかげで単位を無事に取得することができました、国家試験が近づきプレッシャーがどんどん大きくなる中、実習やレポート、面接授業に追われ何度もくじけそうになりました。ある先輩に言われた言葉で「1年後の自分を想像してみてください。1年後のこの場所には看護師となり成長したあなたがいますよ。だから今はつらいことばかりと思う毎日ですが今この瞬間、少しだけ頑張りましょう。」と言われ私は、来年には国家試験に合格して絶対看護師になると決意を強く持ち、勉強と仕事と家庭の3つを両立し看護師という資格を得ることができました。看護師を目指したいと思っているなら、少し勇気と自信をもって前に進んでみてください。今の准看護師としての自分より、必ず充実した毎日、生活が送れるはずです。不安や心配がある人でも、必ず東亜看護学院の先生方、周りの人たちが助けてくれます。人生80年、一生のうちのたった2年間です。是非、頑張ってください。

増川 育代さん
上善会 かりゆし病院 沖縄県在住【2016年卒】
私は准看護師として27年働いていました。以前は埼玉県にいたので学校に行くチャンスがなかったわけではありませんが、出産や子育てに追われそちらを優先していました。17年前から沖縄の離島に住むようになり、ますます看護師になる道は遠のき、もうこのまま定年まで無事に勤められればいいと思っていました。ところが、今の職場の上司がこの学校を卒業し、看護部長になっていることや、活躍している先輩もこの学校で勉強し看護師資格を取得していることを知り、少し欲が出てきました。年齢的にもう無理かとあきらめていましたが、部長や先輩の勧めもあり、やってみなくてはわからないと前向きに考え、家族に相談し学校へ通うことを決意しました。通うといっても、主にはブロードバンド授業で実際に通学する日数が少ないのが魅力でした。また、病院実習や面接授業で係る交通費などが免除(上限アリ)になる修学金などの情報も学校から教えていただけました。面接授業で学校へ行くときは、学校の寮に宿泊しました。そこでは全国から幅広い年齢で、様々な思いを抱えた学生が集まっているので、いろんな情報や貴重な話を聞くことができ、お互いに励ましあって、苦労しているのは自分だけではないと頑張ることができました。何年も働いてきてからの看護師の勉強は、今だからこそ学ぶ事の素晴らしさがとてもよくわかり、授業を受けながら准看護師の自分に問いかけることが何度もありました。提出物の期限に追われながら仕事と勉強を両立するのは簡単ではありませんでしたがやり遂げることができた時の達成感は言葉にできないほど感動的です。看護師を目指した以上、准看護師で終わるなんてもったいないです。無理、できない、通えないなどと思いこまずに、あきらめずにこの是非チャンスを生かして看護師免許を手にしてください。未来の自分はもっと輝いているはずです。がんばって!!

高橋 ゆみさん
医療法人 青樹会 リバーサイド病院 大分県在住【2016年卒】
私は、高校卒業後、准看護師として約18年間病院勤務をしてきました。その間、結婚、出産、育児に追われ、自己のスキルアップのことなど考えていませんでしたが、18年たったころ、私自身を取り巻く環境の変化があり、自分自身を見つめなおした結果、生涯看護の道を進んでいくにあたり、今のままで良いのかと考えることが多くなりました。自身のスキルアップの為、私は看護師国家試験にチャレンジしよう!!と思い、通学回数の少ない東亜看護学院を選び入学しました。通信制の学校での学習は、仕事との両立になるため、とても大変だとは聞いていましたが、実際に予想以上の大変さでした。ブロードバンド授業やレポート作成では、睡眠時間を削りながらの授業であり、提出期日に追われる日々でした。途中で何度も挫折しそうになりましたが、学院で知り合った同じ目標を持つ仲間や、先生方の支え、励ましがあり苦難を乗り越えることができました。そして、今年無事に看護師国家試験に合格することができました。この2年間を振り返ると「大変だった!もう2度と経験したくない!」という思いと、「学校に行き、自己のスキルアップができ、素敵な仲間と出会えて良かった。」という思いの2つがあります。2年間の努力が報われたとき、必ず味わえる達成感と、身についた自信は、この上ない喜びに代わります。頑張る時は一瞬です。東亜看護学院に入学して頑張る皆さんを応援しています。

永田 直美さん
総合東京病院 東京都在住【2016年卒】
「あんたなら、できるよ!」その言葉を言ってくれたのは、准看護学校の同期の友達です。何年もあっていないけれどずっと友達でいた尊敬できる彼女から連絡が来て、看護師の資格を取る為、学校に行くと聞きました。その時まで私は、自分が学校に行くなんて、考えてもいませんでした。彼女に言われた言葉がきっかけで、翌年、一年遅れて東亜に入学しました。山口県で観光もできる!という楽しみと一緒に。授業はパソコンでいつでも受講できるのが大きなメリットです。誰も知り合いがいない中、わからないことばかりで、最初は孤独だなと思ったのですが、自分のペースで勉強できることが自分には合っていて、わからないことは、先輩である友達と先生方にメールや電話で伺いながら学習を進めました。2年目の実習が始まるころが一番つらく、仕事、授業、課題(事例)、試験、実習前の学習、実習病院への事前連絡と期限との戦いで切迫し、泣きたくなりました。モチベーションが下がってしまい、すべて投げ出したい衝動にかられたこともありましたが、そういうときもある。と余り考えこまずやってこれたのは、心許せる友達と先生のおかげです。2年次は課題が多く踏ん張りときですが、ひとつ終わるごとにカレンダーにかかれた予定を消していくと、うれしさがこみ上げてきました。看護師と准看護師では、様々な面で違いを感じます。晴れて看護師です!と胸を張って言える日が来るよう、頑張りましょう!国試に対しては、必修を落とさないように学習し、その他は苦手分野を集中的に自己学習しました。勉強は誰のための物でもありません。今、辛いことも全て身になり自分に返ってきます。先日、看護師の友達から、看護師になってから発言が変わった。患者さんのことを考えているなと思ったよ。学校に行って良かったね。と言われ驚きました。学んだことに無駄はありません。この春、ようやく看護師として新たなスタートラインに立つことができた今、うれしさでいっぱいです!

千場 浩美さん
脳神経センター太田記念病院 広島県在住【2016年卒】
准看護師として33年。時代とともに資格社会となり看護師資格が必要となりました。これまでも院外の勉強会など参加しいろいろ勉強してきましたが、何か資格を取ろうとしても看護資格がないためあきらめざるを得ないことが多く、今回勤め先の理事長はじめスタッフ皆様の勧めで東亜看護学院に進学し卒業、国家試験合格することができ看護師の資格を取ることができました。 仕事と通信制看護学校の両立はハードスケジュールでしたが、同じ目標を持つ仲間ができ、共に励ましあい助けられたこの2年間はプライスレスな時間となりました。 仕事との両立で気をつけてることは提出物や認定試験の期限を守る事。 仕事または体調不良などで予測できないことも起こりうるということを念頭に置いておく=早めの提出。 勉強にもONOFFを。だらだらやっても効率が悪い→私は遊ぶためにこの日までに仕上げる!を決めてやった。など自分で目標や計画を立てて課題を乗り越えてきました。 そして仕事も今自分がやっていることの根拠を考え一つ一つ自分の知識としていく。私たちはとても良い環境で過ごしているんですよね。全てを無駄にしないよう2年間を過ごして下してください。 わからないことや困った時は先生に電話やメールをするとすぐに解決します。東亜看護学院の先生方はとっても親切で優しく相談しやすいですよ。 先日熊本地震がありました。熊本は私の故郷で母一人が住んでいるので急いで車で帰郷し、私も本震にあい2日間車で過ごしました。3日目広島に戻りましたが地震酔いになりました。でも教科書では学んでない地震酔いという症状を体験し忘れることない知識として残りました。今後震災などで看護することがあった時はきっとこの知識が役立つと思います。体験から学び知恵を積み上げることで経験になります。実習や紙上事例も大変ですが、乗り越えた時の充実感、国家試験の合格発表のドキドキ感、これもまたプライスレスです。努力したことは必ず結果につながります。悔いのないように頑張ってください。2年間はあっという間です。

松山 美香代さん
はしもと内科医院 山口県在住【2016年卒】
これまで看護師と准看護師との違いを感じながらも前に進めず30年が経ち、今更自分には無理と逃げ腰になっていました。2年前、子供の卒業、自分も職場を変わることもあり上司に強く背中を押され、今がその時なのかと思い切って一歩を踏み出しました。そして2年間とにかく一生懸命でした。  仕事を終え、帰宅後も気忙しくパソコンを開くのはいつも夜中になり睡魔との戦いで焦るばかりの毎日でした。また慣れないパソコン操作やレポートに困惑し切羽詰まりながら課題もギリギリの提出で徹夜を経験することもありました。それでも今思えば優先すべきことは何かを常に考えていたと思います。学院に相談に行った際には的確なアドバイスや張りつめた気持ちをなごませてくれるような対応にとても親近感がわき、またパソコンの故障対応も完璧でした。苦手な紙上事例はマニュアルを手本に基本とおり一つずつ考え、テストでは練習問題を何度も解き正解以外はどこが間違っているのかを教科書等で確認しました。模試や問題集の解説はとても勉強になり理解を深めることができました。年代の違う同期との出会いもとても刺激になり一緒に勉強したりラインで励ましあったり笑ったり、たくさん助けられました。国試では極度の緊張から頭が真っ白になりましたが「今自分が何のためにこの場にいるのか」ということが頭をよぎり何度も深呼吸をし、とにかく最後まであきらめずに問題を読みました。そして今、2年前の不安が充実の2年に代わりました。 仲間や先生、職場の方々、家族の応援により頑張れたことにとても感謝しています。そして感謝できる人がいること、できる環境に入れることをとても幸せに思います。これから看護師を目指すみなさん、一歩を踏み出せばそこにレールは敷かれています。あとは前に進むだけです。あきらめず自分の夢に向かって頑張ってください。そして、達成感と感謝できる喜びを今以上に味わってください。

藤巻 優子さん
岡本耳鼻咽喉科小児科 愛媛県在住【2016年卒】
看護師を目指すきっかけとなったのは、職場でのトラブルを相談した際に、先輩看護師から掛けられた「あなたがもっと偉くならないと」いう言葉でした。どこか引け目を感じ、自信が持てずにいた私の心にその言葉が突き刺さりました。当時長男9歳、長女5ヶ月。長女が生まれて間もなく一人親となり、子供を守っていくためにもこのままではだめだという思いも重なり進学を決めました。 ゆっくり勉強できるのは深夜・早朝の子どもが眠っている時間帯で、好奇心旺盛な長女が起きてしまうと教科書を破り、パソコンをたたく為勉強になりません。忙しい日々が続き、思うように進まなくなると家族に苛立ちをぶつける自分が嫌になりました。実習先に一人で向かうのは不安でたまりませんでしたが、しっかりしなくては、一人だから思い切りやってみようと気持ちを奮い立たせました。事前学習や課題は大変でしたが、ここでの頑張りが国家試験合格に繋がったと思います。  仕事・育児・勉強の両立は想像以上につらく厳しいものでした。しかし孤独や不安との戦いで挫折しそうな時に支えてくれたのは学院で出会った先生方、同級生でした。いつも親身になり励まし、つらく苦しい現実と向き合いながらも、笑顔と持ち前の明るさで一生懸命学ぶ友人の姿は心の支えでした。人見知りをする性格から、自分には通信制があっていると思いましたが、人と人の触れ合いは新鮮で楽しく、勉強だけではない暖かさを得ることができました。通信制で学んだ2年間、夜泣きをする娘を抱き、授乳しながらブロードバンド授業を受けたり、課題の提出に追われたりと忙しくも充実した日々が懐かしいです。たくさんのことを犠牲にし、迷惑や心配を掛け、支えられ、今の私がいます。こんな私でも両立を果たし経済的にも無理なく学ぶことができました。全国各地にお住いの准看護師の皆様、まずは最初の思い切りです。私でも出来ました。看護師を目指す皆さんを応援するとともに「看護師国家試験合格」というたくさんの桜が咲くことを心から願っています

吉村 美奈子さん
医療法人社団青寿会 武久病院 山口県在住【2016年卒】
私は、学院が近距離にあり、先輩からは通信制であり自分の好きな時間に授業を受けられることや、実習が2日間(各科目)で済むということを聞いていて、いつか挑戦したいとの思いが心の隅っこにありました。これまで常勤で働いてきましたが、子供が小学校へ入学を機にパート勤務へ変えた時、年末に久しぶりに会った看護師の友人から勧められ、「今なら時間に余裕もできたので、いけるかも」という気持ちになり、後期入試を受け、何十年ぶりの学生生活がスタートしました。  学習のスケジュールは、2カ月間でだいたい4教科のブロードバンド授業を視聴し2カ月目の後半にテストを受け、科目によってはレポートの提出、他に紙上での事例展開を作成し期限まで提出することを繰り返し、少しずつ単位を取得していきます。2年生になると本格的に実習も加わりさらに忙しくなります。夜、家事を済ませていざ机に向かうと、いつの間にかウトウトしてしまい全く頭に入らない状態だったため、学習時間を早朝に切り替えたり、学院の図書室もよく利用しました。課題がいっぱいで不安や焦りで押しつぶされそうになったことも多々ありましたが、そんな時は学友同志で励ましあい自分を奮い立たせ、目の前の課題をあきらめずにこなしていきました。先生方もいつも暖かく受け止めて下さり丁寧に指導してくださいました。  振り返ると2年間はあっという間でした。実習や紙上事例など苦しかったけどその記憶は薄れて、今は、勉強は『楽しかったな』との思いが強く残っています。そして、目標を達成できたことは自信に繋がり看護師という専門職に対する意識も高まったように思います。これからも私たちが仕事を続けていく中で、医療現場は刻々と変化し、学習の継続が必要ですよね。新たな挑戦には勇気がいるし不安もいっぱいですが、行動あるのみです。まずは、オープンキャンパスに参加してみてはどうでしょう。2年間の学習のイメージが湧くと思います。そして自分の夢の実現に向けて頑張ってください。夢は目の前にあります。


久保 久美子さん
かりゆし病院  沖縄県在住【2015年卒】
准看護師として勤務する中、看護師との知識や技術の差を感じ、自分が情けなくなり、悔しい思いをすることがありました。根拠を学びたいという思いは持っていたものの、仕事と勉強の両立が自分にできるのだろうか、という不安や経済的な心配もあり、なかなか一歩を踏み出すことができずにいました。そんな私の背中を押してくれたのは、学院の卒業生で職場の上司でした。准看護師から看護師となった上司は現在は看護部長として責任の重い仕事をしていますが、私の不安に対して親身になって考えてくれて、入学することができました。入学当初はパソコンの操作やメールのやり取りに戸惑い、苦手な論文やレポート作成に頭を悩まされることもありました。しかし、先生方や事務の方々のサポートのおかげで、パソコン操作にも慣れ、ブロードバンド授業で学ぶことによって知識が増えると、レポート作成も楽になりました。私の住む石垣島は離島の為、沖縄本島にある実習病院へは飛行機で1時間、面接授業へは飛行機を乗り継ぎさらに新幹線を利用するため3時間半かかりました。慣れない新幹線にとまどい、台風の時期には帰れなくなるハプニングもありましたが、共に学ぶ仲間や先生方との交流はとても楽しく、また自分とは違う視点での看護援助を知ることができ視野が広がりました。国家試験に向けての勉強は11月頃から始めましたが、過去問題を解くたびに、解剖生理と病態生理の知識が不足していることを痛感したため、そこを重点的に学習しました。しかし、若いころと違って文字ではなかなか覚えられず苦戦したため、頭に残りやすい図を毎日繰り返し見るようにすることで、だんだん覚えられるようになってきました。合格発表の日は、これまで支えてくれた職場の仲間が、自分のことのように喜んでくれたことが私にとっての何よりの喜びでした。看護師となった今、毎日楽しく自信をもって仕事ができるようになり、責任ある仕事を任せられ、充実した日々を過ごしています。 准看護師として勤務しておられる皆様へ、私のように離島に住んでいても働きながら学べて資格取得ができます。東亜看護学院は実習を含めて2年間で40日です。まずは決断、第一歩を踏み出してください。2年後に努力といっしょに夢がかないます。 

阿座上操さん
独立行政法人地域医療機能推進機構下関医療センター 山口県在住【2015年卒】
私は以前、看護師への道を途中であきらめたことがあります。そして10年間の専業主婦を経て、現在の職場に就職しましたが、周りは看護師ばかりで、このままでいいのであろうかと考える日々が続きました。准看護師ということで挑戦できないことや、悔しい思いもたくさんしました。そんな中、末期がんの父を実家で介護し、自分の知識や技術の無さを痛感してもう一度勉強したいという思いが強くなりました。  その後、長男が就職し巣立ち、また、高校受験を控えた長女が看護科を受験することになり子供たちがそれぞれ自分の選んだ道を歩み始め、私も負けていられないと思いました。特に、同じ道を目指す長女に引け目を感じ東亜看護学院への入学を決断しました。入学当初は孤独との戦いで不安でたまりませんでしたが、実習や面接授業で同じ目標を持った仲間と出会い一人ではないということを実感して気持ちを鼓舞することができました。久しぶりの実習や睡眠時間を削ってのレポートなど大変でしたが長女と机を並べて勉強した2年間はとても充実した時間でした。そして目標を達成することができ、努力は人を裏切らないということを身をもって子供たちに伝えることができたのではないかと思います。  私が今、看護師免許を取得できたのは、通学することを快く応援してくれた職場の上司や同僚、授業時に全国からきている一緒に学んだ仲間、そして家族の応援があったからだと思っています。在学中の皆さん、今はきっと忙しく大変な毎日だろう思いますがあと一年です、自分に負けず頑張ってください。私も看護師をあきらめたことがあると書きましたが、入学を迷っている皆さん、ぜひチャレンジしてみてください。私には、10数年のブランクはありましたが、それを乗り越えて夢を叶える事が出来ました。東亜看護学院でしたら働きながら子育てしながらでも可能だと思います。周りには応援してくれる人がたくさんいると思います。その好意にあまえて看護師の夢をかなえて今度は恩返しをしてください。私もこれから、今まで挑戦できなかったことにチャレンジしていきたいと思います。

光末秋枝さん
広島県在住【2015年卒】
私は20年前、高校の衛生看護科を卒業し、看護師になるための専門学校に進学しました。しかし、自分の弱さから途中で挫折し卒業することができませんでした。  准看護師として10数年働き、看護師との比較や待遇面での違いから悔しくみじめな思いをしてきました。何故あの時挫折してしまったのだろう。「後悔」の2文字が頭の中にずっとありました。 結婚・出産・子育てを経て友人から通信制の看護学校が2004年からできたことを教えて頂き、もう一度挑戦したいと思うようになりました。しかし、当時3歳、5歳の子供を抱えて乗り越えられるのか不安でした。入学前オープンキャンパスで事務長さん、教職員の先生方、卒業生の方が親切丁寧に対応してくださったので東亜看護学院なら子供がいても両立できるのではないかと考え入学を決めました。 一年目は、20年ぶりの勉強で不安・緊張から押しつぶされそうになりました。 二年目は、学院で知り合った友人たちと励まし合って、病院見学実習、課題、面接授業を乗り越えることができました。また、学院での面接授業の際、先生方が親身に相談に乗ってください不安を解消することができました。さらに、家族、親族、友人の助けもあって子供がいても学院生活を乗り越えることができました。  私は模擬試験では一度も合格点に達したことがありませんでした。  今回、最後まであきらめずに試験に臨めたのは東亜看護学院の先生に試験直前、胸の内を聞いていただき、勇気・自信を頂いたからです。また最後まであきらめずに最後の最後まで、携帯端末での問題や問題集を繰り返し、繰り返し解いたからだと思いました。  一度挫折を味わった、劣等生の私でしたが、東亜看護学院の二年間で「最後まであきらめない」精神力を身につけ20年越しの夢だった国家試験に合格することができました。今では、何故もっと早く東亜看護学院の門をたたかなかったと思っています。看護師になりたい皆様へ、ご自分の夢をあきらめずに挑戦してください。困った事があれば必ず誰かが力になってくれます。それが東亜看護学院のすばらしさです。  自分を信じて夢に向かって突き進めば、きっと「可能性の扉」は開き、夢を実現することができますよ。

須賀尚美さん
医療法人たかし会 尾鍋外科病院 広島県在住【2015年卒】
私は、数十年間准看護師として働いていました。准看護師よりも看護師が求められていることは十分承知していました。学校で学びたい気持ちはありましたが自信もなくまた実習に行くのかと思うと決心がつきませんでした。そんな時に東亜看護学院を勧めてくれたのが当時学院に在学中の同僚でした。自宅で授業が受けることができ、家庭や仕事を持っていても頑張れば道は開けると勧めてくれました。入学してからの2年間は今思えばあっという間でした。特に2年生になってからは、実習に面接授業に課題の提出、その合間に国家試験に向けて計画を立てて取り組みました。そのせいか順調なペースで年を越し国家試験まで約一ヶ月と迫った時、病気療養中の父が亡くなりました。そこからの数日間は勉強ができなかったことと、勉強が手に付かずにすっかり自分のペース、勉強方法を見失い絶望感さえ感じました。そんな時に面接授業での資料を思い出し、全教科目に目を通し苦手なところを切り取り、ノートに張り付けていき徐々に波に乗ることができ再度計画を立て直して頑張りました。おかげで国家試験にも合格することができました。学校で学んだことは職場でとても役立っています。看護の視点が全く違ったものになり現在充実した看護師としての業務をしております。在学中は決して出来の良い生徒ではありませんでしたが国家試験に受かり自信もついてきました。今、私はあの時学校に行く決断をしてよかったと思っています。思ってから2年間でこんなに充実した自分があるからです。このような私でも2年間で、長い間の夢が実現できました。今から計画されて来年から始める計画を持たれたら1番充実した計画が立てられると思います。まずは資料請求をして来季の春に焦点を合わせ2年後に笑顔で看護師という大輪の花を咲かせてください。努力は決して裏切りません。

阿洲波真由美さん
医療法人同愛会博愛病院 鳥取県在住【2015年卒】
50歳が近くのこの年で進学を決意したのは終末期を迎えた鹿児島弁なまりの女性が「苦しくないように…」との言葉を残し旅立ち、そのことだまが頭の中に残っていました。そんな時に緩和ケア認定看護師の存在を知り、後悔ばかりしていた自分が進むべき道が見えました。当然仕事と同時進行の為、通信制で全科目を一校で取得できる山口県の東亜看護学院と決め入学しました。通信制で登校日数が少ないのが特徴の学校でしたが試験勉強のときはどこからどう手を付けていけばいいかわからず、担任の先生には不安をぶつけて愚痴ばかり言っていました。東亜看護学院の先生方は熱意のある素晴らしい先生ばかりでまっすぐな気持ちで生徒に向き合ってくれる先生方のおかげで心まで成長できたようで感謝しています。今試験を終えて思うことは「先生のいうことは本当だった」ということです。実習、面接授業、紙上事例も実は国家試験にとても役立っていました。私の最終目標は、根拠をしっかりと理解し、質の高い看護を提供できる看護師となることでした。その目標達成のためにはこれからも学ぶ気持ち、謙虚な気持ちを持ち続けていかなければなりません。東亜看護学院で学んだことは知識だけでなく、看護師としての資質の向上と人間的にどう生きるべきか考えるきっかけになりました。急性期病棟に勤務し、母子家庭で2人の子供の父親母親役をし、PTA役員も務め忙しさの渦中にいる私でも2年で夢が叶えられました。皆様も2年間強い意志を持てば大丈夫です。まず資料請求してここからが夢のスタートです。必ず夢は叶います。

朝倉恵美さん
社会福祉法人 仁摩福祉会 しおさい 島根県在住【2015年卒】
 看護師を目指すきっかけは、特養に勤務し4年が過ぎたころ先輩看護師との出逢いでした。先輩看護師は、利用者の呼吸音の聴取、安楽な体位の工夫・誤嚥のリスクなど様々な視点で看護を実施し、その結果、食事ができるように回復した利用者の表情を見て、先輩看護師のような根拠に基づく看護を提供したいと思ったことです。 中1・小4の娘と夏休みに、東亜看護学院のオープンキャンパスに参加し「通信制は大変と思えば大変。看護師資格を目指す気持ちさえ持ち続けていれば夢は叶います。子供さんもお母さんを見てますよ。」と話を聞いてもらえ、自分を受け入れてくださる先生方の下で学びたいと東亜看護学院に志願しました。  入学後は、各教科のブロードバンド授業、単位テスト、レポート提出期限を逆算しカレンダーに印をつけ取り組みました。仕事と家庭、勉強を両立するには時間が足りない為、辞めたいと思うことも何度かありましたが、たくさんの出逢いと支えにより、最後まで諦めない強い自分を維持することができたと思います。面接授業の3日間は学院寮に宿泊し、夜遅くまで語り合った事も良い思い出です。その間自宅では、子供が家事を引き受けたくましく成長してくれました。  国家試験の勉強は、過去問や必修パーフェクト・携帯端末の問題を繰り返し、解説を理解することを大事に自分ノート作成する方法を続けました。面接授業や実習での発達段階の基礎知識や看護過程などの勉強が合格につながったと思います。  卒業・合格を取得することができたのは、職場の理解と親身にご指導くださる先生方、事務局の皆様・仲間や家族に支えられたことと感謝の気持ちでいっぱいです。 2年は長いようで短く青春のような充実した時であり、看護の知識も高まり人間としても成長できたと実感しています。看護師への夢を持っておられる方や目指したいと思っている方はまずオープンキャンパスを体験されたら良いと思います。そこで現在の自分の生活の延長で出来そうだと判断されたら早い方が良いと思います。2年間はあっという間で終わります。 人生のラストで夢が萎み、悔いが残るより行動を起こすべきだと思います。皆様が東亜看護学院で有意義な2年間を過ごし看護師資格を取得されますようお祈り申し上げます。

南 久美さん
滋賀県在住【2015年卒】
息子が看護の道に進むことになり、「准看と正看って何が違うの?」と聞いてきた。日ごろから准看護師であることに引け目を感じていた私は、進学する決意をした。息子より先に看護師になりたいという母のプライドからだった。関西地区にも通信制の学校はあったが東亜看護学院を選んだのは通学日数が少なく働きながら親の介護をしながら学ぶのに助かると思ったからである。 東亜看護学院に入学してからは元々義母がアルツハイマーであり介護していた事、主人が難病である事もあり、仕事と家事に加え学業が増し毎日があっという間だった。義母の症状が悪化し、徘徊や暴言、人格が変わり家族は疲弊し、ストレスと疲れから主人の病状も悪化した。それに加え1年の終わりには、実家が火事で全焼し統合失調症の弟と二人暮らしの実母はすべてを失ったことで希死念慮が見られるようになり働き者の母の姿が消えた。母が落ち着いた頃、実父の顔面骨折、私がインフルエンザにかかるなど、私の勉学の意思を折るようなことが続き、神様はいるのだろうかと思う毎日だった。いろいろな事があり休学も考えたが、主人や仕事場の先輩、同僚、患者さんが励まして応援してくれ、ここでくじけるわけにはいかないと思い直し、一日のスケジュールを調整して午後9時から12時まで勉強する体制を整えた。勉強できた日もあれば、疲れからすっかり寝てしまっていることがあったが、わずかな失敗で落ち込まない事にし、通勤時間も携帯で過去問を解き時間を有効に使い、トイレはリビングには、覚える事を壁に貼った。春には合格した自分をイメージし、国試までは言い訳しないと誓った。 2年間は人の数倍も頑張ることとしたが働く学生として時々ご褒美で安息日も必要だと言い聞かせ割り切って休んだこともよかったと思う。 看護師への夢をお持ちの皆様へ。長年働きづめでいると勉強するきっかけが出来ませんが一歩踏み出せば次から次ところがります。私も親のプライドを保つ動機からでした。不純な動機でも一歩を踏み出してください。私も遠くでしたので電話でパンフレットの送付依頼から始めました。 チャレンジは成功します。なりたい目標目指して、前進のみです。成せば成る。

深谷 圭美さん
医療法人社団永生会 永生病院  東京都在住【2015年卒】
国家試験合格しました。 私は准看護師であることで嫌な思いをすることなく勤務をしてきました。看護師になっても何も変わらないのではないかとさえ考えていました。そんな私を先輩と前期入学試験に合格していた同僚がぽんと背中を押してくれました。「じゃあ、受けてみようかな」そんな軽い気持ちで学生と仕事の二足のわらじ生活は始まりました。病院からの奨学金支援制度を受け、先輩からは「必ず期限内に課題を提出する事、課題・実習・面接授業で訳が分からなくなるからカレンダーでしっかり管理する事、山口は旅行感覚で楽しいよ。」とアドバイスを頂き、まずは慣れないパソコンで教科ごとにフォルダを作る、カレンダーに行動計画(ブロードバンドの聴講予定や寮の予約日、飛行機の予約予定など)を記す、そして、スマホで自分の提出期限順に課題を管理するという自己管理のベースを作り、日々それに従い課題を行ってきました。 課題に追われ余裕のなくなる私を支えてくれたのは、職場の上司・同僚、先生をはじめ学院の皆様、同級生、そして家族でした。「本当にありがとう。今の私がいるのは皆様のおかげです。」感謝の気持ちしかありません。 何事もスタートの遅い私は、1年生の時は国家試験に向けての勉強に手を付けていませんでした。このことは国家試験前にとても後悔することとなりました。しかし、1番大変なのは一歩踏み出す勇気を出すことだと思います。ポンと背中を押されて始まった20数年ぶりの学生生活は辛かったけど本当に楽しかった。軽い気持ちで始めた私でさえ乗り切ることができたのです。看護師になりたいと信念を持っている皆様なら絶対に大丈夫です。距離など関係ありません。一歩踏み出しスタートすれば後はゴールに向かうだけです。そこには仲間がいます。悩むだけ損、思い切って一歩を踏み出して資料請求してみましょう。自分が知らなかった世界が広がっています。 マイペースな私には放送大学の必要がない東亜看護学院だからこそやり遂げることができたと思っています。2年間はあっという間ですよ。


井上 芳惠さん
特定医療法人社団宏仁会 寺岡整形外科病院  広島県在住【2014年卒】
准看護師として永年看護業務に従事して定年退職が近づいてきたある日、「最後に自分の能力を試してみたい、最後にきれいな花を咲かせて好きな看護の道を終わりたい」との気持ちが昂り、通信教育を受け看護師国家試験に臨んでみようと決心したのが東亜看護学院に入学した動機です。 それまで看護師と准看護師の格差をひしひしと感じながら働き、早64歳になっていた私は、記憶力・持久力の低下を自覚していただけに通信・スクーリングでの授業には計り知れない大きな不安がありました。しかし、基礎からの新しい看護学はわたしの古い知識を改めて考えなおすきっかけとなり、優しく厳しくそして一生懸命に背中を押してくださる先生の温かさはそれまでの不安をなくし、いつしか学校に行くのが楽しみになってきました。その情熱は卒業したての私の心の中に、今もまだ続いています。大きな不安は多くの楽しみにかわっていました。家事を手早く済ませては机に向かいブロードバンド授業を受け、スカスカになった脳細胞をめいっぱい刺激している自分の姿に、入学を選択した事に間違いはなかったと確信しました。 新たに決断するには、勇気がいります。その勇気があってこそ、将来の道が開けるのです。家族・同僚の協力は力となり、元気が湧いてきて、輝きだした自分を発見できますよ。悩みを聞いてもらえる先生がいる。そして他県から同じ目標を持つ友がいる。東亜での2年間は一生の宝物となりました。 そして待望の看護師免許を手に入れた今、いろんなことに挑戦したい気持ちが更にわくわくと生まれています。

根本 みつ江さん
医療法人華光会 山野病院   千葉県在住【2014年卒】
准看護師40年、仕事を続ける中、看護師との資格の差を感じる場面が多々あり、私も看護師の資格を取得しようと幾度か受験を試みましたが夢は叶いませんでした。60歳で県立病院を退職し現在の病院へ就職しました。新たな職場で、人生の先輩方が生き生きと看護をしている姿を見て、まだ看護職には需要があり必要とされていることを知りました。 一度はあきらめていた進学を、今からでも遅くないはずと気持ちが高まり、夢が膨らんできました。そんな時偶然出会った方が東亜看護学院の卒業生でした。ブロードバンド授業であること、教職員のサポート体制がしっかりしていることなど熱意を込めて話してくれました。 私は、その場で学院に電話をして資料を取り寄せ、受験し入学することができました。 実際に入学してからは、慣れないレポート作成や紙上事例演習といった課題が私には困難で、八方ふさがりの気持ちでくじけそうになりました。そんな時、前へ進む気持ちに導いてくださったのは、先生方の「頑張っていますね」の暖かい励ましの言葉と丁寧なサポートでした。そのおかげで2年間の単位を取得することができ無事卒業を迎えられました。 面接授業では、先生から直接授業が受けられる嬉しさや職員の皆様とお会いできる楽しみがあり、学院で出会った友と会い語り合った時間は忘れられない思い出になりました。 単位取得が終わり本格的に国家試験対策に取り組み、先生の教えの通り過去問を繰り返し解き、学院指定の模擬試験のわからない問題とそれに関連する事項は、徹底して調べ上げる方法で納得いくまで勉強しました。その成果があり、長年の夢であった国家試験の合格を手にすることができました。私の人生は変わりました。東亜看護学院は入学に年齢制限はありません。私も62歳で入学することができました。学びたいと思う熱い気持ちがあれば必ず夢はかないます。入学されることを待っています。

兼安 知恵さん
医療法人平和会吉田病院 奈良県在住【2014年卒】
准看護師として誇りと責任を持って働いてきましたが、わからないことが多く患者さんに聞かれても説明ができず勉強不足を痛感していました。通信制の学校があると知った時、資格の差を感じていた私はチャンスがあれば行ってみたいという思いましたが、子供も小さい、自分に投資する収入もない、と一歩を踏み出せずにいました。年月が過ぎ、ある時再会した高校の同級生が「看護師になるために通信制に行こうと思って…。」と言うのです。「友達がいたら心強く一緒に頑張れそう。」「2番目の子が大学受験と重なるけどどうしよう」と考えていたけれど、「子供とも一緒に勉強できる」とも考え、学校の特徴である、国家試験を受けるときに必要な単位はすべて履修でき放送大学の受講が必要でない、テストもパソコン上でできるため学校に通う日数が少なくてすむという利点で、遠距離ではある東亜看護学院を選びました。勉強が始まると久しぶりの刺激を受けにワクワクし新鮮な気持ちになりましたが、書いたことのないレポートや紙上事例に苦労し、ブロードバンド授業はいつの間にか寝てしまい、なかなか頭に入らず何度も繰り返し学習しました。実習や面接授業が始まり、実習後の時間内にレポートを書くことも苦労しました。ある時はやっとのことで仕上げた紙上事例を郵便局に出しに行ったら郵便局の手違いで期限内に着かず危うく留年するところでした。以後、余裕をもって提出することを心がけました。入学される方は必ず期限内に提出物が届くよう提出期限を守って早めに提出してくださいね。 2年生になれば7月ごろから実習と面接授業、紙上事例と忙しい日々ですが、同じ目標に向かう友達がいます。応援してくれる先生方がいます。紙上事例も根拠を述べないといけないのが大変ですが、これが大切で大変勉強になり自信をもって看護ができるようになります。2年間はあっという間、国試に合格できたとき、それはそれは嬉しいですよ。 今はあの時決断してよかったと思っています。学びたいと思ったときにできない理由を探すのではなく、どうにかなると思っています。資料請求でもしてみることをお勧めします。 私にもできましたから皆さんにも絶対できると思いますよ。

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伊藤 さとみさん
地方独立行政法人京都市立病院 京都府在住【2014年卒】
わたしは准看護師免許を取得後、国家試験に合格するまで何度も 准看護師というだけで、負い目を感じることや、挑戦したいことがあっても挑戦することすらできず悔し涙を流したことがありました。悔しい思いをしても、病院勤務していながら今から学校に行けるのかと悩んでいたころ、学校紹介に参加する機会があり東亜看護学院の説明を受けることができました。 学院だけで単位が取れる、学校へ行く日も少ない、生活パターンを大きく変える必要がない、当時自分にはメリットしかないと思い東亜看護学院に入学することを決め、何が何でも2年で卒業し国家試験に合格すると強い思いで臨みました しかしメリットとデメリットがもちろんあり、一人で勉強する厳しさや難しさは並大抵のものではありませんでした。でも私だけがこんな思いをしているわけじゃない、仲間も同じつらさを感じていると思うと乗り切ることができたように思います。 通信制の学校だと、愚痴を言い合える仲間や一緒に勉強する仲間ができにくいと勝手に思っていましたが、それは間違っていました。入学当時3人の仲間から始まり、卒業時には何倍にもなり楽しい学生生活を送ることができました。面接授業に行くときは少し旅行気分で夜遅くまでしゃべっていたりみんなで出かけたり、今ではとてもいい思い出です。 新しいことに挑戦することは、とても不安でいっぱいだと思います。でも挑戦できることは素晴らしいと私は思います。そして頑張った分だけ自分に返ってきます。自分のやる気や思いを信じて、ぜひ夢を現実に変えてください。

原田 千歳さん
医療法人 佐々木医院 鳥取県在住【2014年卒】
わたしは、昭和57年に高校の衛生看護科を卒業し 准看護師として働いていました。その後、一時は看護職から離れ、違う職種についていましたが、「せっかく准看護師免許を持っているのに何をしているんだろう。このままでは終わりたくない。」と思うようになり、平成14年から看護職の再スタートを切りました。 平成16年に看護師国家試験受験資格取得のための通信教育が始まり、一度説明を受けましたが、その時は「受けれたらいいな」くらいにしか思っていませんでした。 それから六年後に、日本医療学園附属東亜看護学院にすでに入学していた友人から入学願書などパンフレットを渡され話を聞く機会がありましたが、その後の一歩がなかなか踏み出せずにいました。その後、会うたびに学習方法など実体験に基づいた話を聞く中で、オープンキャンパスくらいならと学校見学に出かけ、勉強したいという思いが強くなりました。准看護師で働きながら、技術面では出来ていても知識不足(根拠に基づいた理解)や看護師との地位の格差を解消して書面に「看護師」と記したい、という思いで入学を決意しスタートしました。パソコン画面とのにらめっこで孤独との戦いでしたが、先生や学友と面接授業で会えるのが新鮮でうれしかったです。学友も同じ思いだったので、励ましあいながら乗り切ることができたんだと思います。学習の中にあった「自己効力感」を最大限に発揮し、また、面接授業で学院を訪れた際の癒しに触れあいながら、今日を迎えることができています。 今思うことは「感謝」です。自分の周りの環境すべてに感謝できるようになりました。全国で准看護師として働いておられる皆さん、私でもできましたから皆さんもきっとできます。准看護師で働いていてこのままでは終わりたくないと思っている皆さん、まずはオープンキャンパスに参加して、見て!聞いて!相談して自分に合った方法で夢を実現させることをお勧めします。 最後に、「冬は必ず春となる」。

船江ひろみさん
グリーンヒル病院 広島県在住【2014年卒】
母の死を高校生の時に経験し絶対に看護師になりたいと思い准看護師の免許を取りました。しかし、看護師への道は家庭の事情で行くことはできませんでした、あれから13年、職場に3人の東亜の卒業生が充実した日々を送っていました。「学院の先生方は優しく、仲間もできるし大丈夫よ」カリキュラムのことも教えてもらい、私も東亜に行こうと思いました、子供は2人とも保育園、まだまだ手はかかりますが、主人の母と同居していた為、看護学校に行くことを話すと快く了解し、協力してくれました。 わたしの場合、この2年間は子供の小学校の入学もあり、子供はぜんそくを持っていたため慣れない環境で発作を起こし入院、また父の心筋梗塞で入院、と自分の学校の課題や実習、もちろん常勤での仕事もありながら、輪をかけて忙しい2年間でした。自分一人なら自習な時間もあったと思います。なかなか時間もない中、課題や実習などやりこなすのは大変です。決してよい成績とは言えませんが、わからないところは先生に聞きながらこなしていきました。そんな忙しい毎日を支えてくれた子供たちの励ましは私に力をくれました。  面接授業では、同じ境遇で頑張っている同士で数回しか会わなかったはずなのに、絆は深く卒業後も連絡を取り合っています。面接授業に行ったらぜひたくさんの人とコミュニケーションをとってください。面接授業はみんなに会えるのでとても楽しかったです。 最終的には国家試験を合格することが目標になるかと思いますが、試験まで本当に不安で心細買ったのですが、メールを送ると励ましてもらい心強く、自信を持って試験に臨むことができました。結果合格でした。今では仕事も充実し、子供の小学校のボランティアにも参加し毎日充実しています。そしてまた今年度東亜に入学した同僚もいます。 看護師になるのを迷っている方、今以上に充実した日々を過ごしてみたいと思いませんか。2年間はあっと言う間です。入学すると一人ではなく同じ目標を持つ仲間がすぐにできます。先生方も堅苦しくかくて、悩みも聞いてくださいます。私は登校日数も一番少なく、働きながら、育児しながら、どうにかなった東亜看護学院が水に合っていたように感じます。皆様もぜひオープンキャンパスで体験するなりして自分の夢をかなえることを始められますことをお勧めします。

向出 供子さん
医療法人八甲会潮田病院勤務 奈良県在住【2014年卒】
准看護師になって13年、私が准看護師を取得した時代は准看護師廃止の動きがテレビでも取りだたされていた時代です。また看護師を取得する友人が9割以上占めていました。その中で私は准看護師で働いていました。私が働いている中、友人たちは看護師となり病院のさまざまな研修を受けたり、役職もついたりと看護の道のエキスパートになっていきました。そのような状況に准看護師ということに引け目を感じ自信を持てずにいました。 職場の先輩がほかの看護学校の通信制で学んでいる姿を見て、相談したところ「大丈夫!2年間必死になったら私たちでもできる!自信をもって!」と背中を押してくれました。しかし実際は4人の子どもがおり、上は高校受験を控えている子から、一番下は2歳とまだまだ手のかかる子もおり、本当にやっていけるのか不安になりました。でも、家族も応援すると言ってくれ、同じ職場に東亜看護学院で学ぶ仲間もいて、ほんとにいろいろな人に支えられてきました。そしてようやく苦しかった2年間の課題・実習・授業を乗り越え、国家試験を迎えました。しかしそこで私に精神的な苦痛の試練がありました。試験2日前に母が、閉塞性動脈硬化症で右足の切断のために緊急入院、前日には友人が胃癌で亡くなってしまい「なぜわたしだけが・・・」と勉強も手に付かず茫然としていました。でも学院で知り合った奈良県の友人たちが試験当日まで励ましてくれ、なんとか試験を受けることができました。そして合格をつかみ取りました。家族・友人・先生方、ほんとうにいろんな人に感謝しています。 通信制で学ぶ人たちの多くは、仕事をもち、家庭をもっています。また人にはなかなか言えない事情を持っている人もいます。でも大丈夫です!この私ができました。大切なのは、やってやる!という信念と感謝の気持ちです。それさえあれば2年間どんなことも乗り越えられます。おかげさまで私も通信教育で学ぶ喜びを見つけることができました。一息ついてから次の目標にまい進していきたいと思います、皆さんも夢の実現と自分への自信を持つために、扉を開けてください。2年後の自分の充実した姿を想像してください。皆さんの自信に満ち溢れた姿をみられるのを待っています

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三浦 千秋さん
社会福祉法人ふじの実会勤務 岩手県在住【2013年卒】
私の母も東亜看護学院の卒業生であり、私の背中を押してくれたのは母でした。一足先に東亜看護学院を卒業し、夢をかなえた母は今年還暦を迎えます。しかし、入学時の私は期待に胸を弾ませるどころか、絶望感でいっぱいでした。なぜなら、入学目前に起きた東日本大震災。震災で不衛生な環境、衣料品を含む物流の遅れ、度重なる余震、この先どのような事が起こるかわからない不安。今私は勉強している場合なのか、するべきことが他にあるのではないかといつも考え葛藤していました。しかし、そんな中必死に私に勉強しなさいと声をかけ、励まし、理解してくれたのは母と先生方でした。 基礎看護の面接授業で初めてお会いした先生方の笑顔や優しさ、そして同じ目標を持つ仲間に出会い、一緒に頑張ろうと思える人たちに出会えた事はさらに私の力になり支えになりました。 2年生になり慌しい日々の中、病院見学実習や各面接授業での勉強。面接授業での自己の看護観についてのレポート作成は、准看護師として経験がある今だからこそ深く考える事が出来ました。自分に不足している看護師としての未熟さや、どのような看護師になるべきかを考えさせられた大切な時間でした。 幾度となく辞めたいと思い、挫折しそうになりました。何日も教科書やパソコンに背を向けることもありました。人は誰でも弱い者であり、強い人はいないと思います。しかし東亜看護学院の先生方と共になら乗り越えられるはずです。そして最後は自分を信じて進めば、そこに道は出来ると思います。 これから先、准看護師のままで働くのと、看護師として働くのはどちらが楽しいと思いますか?わたしは看護師として働いたほうがきっと楽しいと思います。今迷っている人がいるのであれば、まず一歩踏み出して下さい。きっと楽しい未来がそこに待っているはずです。

荒井 典子さん
医療法人社団 三ツ葉葵会 西東京病院 東京都【2013年卒】
関東圏から東亜に入学する学生は少なく有りません。それは東亜看護学院に数々の魅力があるからです。国家試験を受けるときに必要な単位は全て東亜で履修でき、放送大学との併用は無し、面接授業時は授業を連続して受けることが出来るため、学院に通う回数を少なくする事が可能です。でもこれ以上に力説したいことがあります。チーム力を備え且つ個性派の熱い教職員揃いである事です。各教師の持ち味で応答し合える授業である事、聞いているだけでなく学生各人が意見する双方向の授業が東亜の魅力です。熱い授業は記憶に残るため、後々の勉強・試験にとても役立ちました。先生は学生が問う事は恥じる事ではないと語り、だからこそ学生が自分をさらけ出し「問う」ことを「学ぶ」事に繋げることが出来たのではないかと思います。 2年生の夏頃には第102回看護師国家試験の計算問題が、自分で解きマークシートを塗る方式になったと聴き愕然としました。予測看護師国家試験計算問題を探したところ、様々な看護領域に計算問題がありましたが、私の勉強方法の一つ、丸暗記で歯が立つのか心細くなっていました。東亜の先生に私の初級数学の不出来振りをあからさまにして卒業させてもらえなくなるのではと過ぎた心配もしました。でも心配無用。東亜の先生は私のためにわざわざ図書室に来て「得意じゃなくても教科書を読む、1日に何度か計算問題を解く。これを習慣に取り入れる、あなたならできる、できないはずがない。」と私を承認してくれました。先生の言葉と熱意を感じる指導がのちの私の原動力となり、私は毎日、過去問題を解き医療記事を読み、問題集の解説欄の音読も行いました。 卒業式には、東京から着物と袴を持参し式に列席しました。国試の結果に自信が無かった私は、心の中で、熱烈に指導してもらったのに先生になんて言おうかと涙が溢れてきました。でも今、合格証書を前に沢山の先生に感謝しています。看護師になるのを確実に実現させたい人は東亜看護学院を選んでください。信頼できる学校です。

細川 有美子さん
京都府在住【2013年卒】
准看護師として11年勤務し、仕事に対し一生懸命取り組んできました。しかし、自分は看護師ではなく准看護師ということに引け目を感じ、自信が持てず将来への不安や、頑張っても報われない気持ちが年々増し、免許の違いを大きく感じていました。 その頃、同じ職場の方が本学院を卒業され国家試験に合格された事を知り、とても羨ましく思っていました。当時私は31歳で、子供は1歳。仕事と家事、子育てにバタバタした毎日で、月日の流れを早く感じていました。「普通に生活していても2年はあっという間に経つ。2年頑張れば、不安や圧迫感から開放される。2年後は必ず来る。」と考え進学を決意しました。 1年次はブロードバンド授業を必死に視聴し、課題をこなす。そんな矢先、第2子の妊娠が判明。とても嬉しかった反面、2年次には病院見学実習、山口県へのスクーリングもあるため全ての単位を取り2年間で卒業して国家試験に合格する事は無理だ・・・と、少し落ち込みながら担任の先生に相談しました。先生から今後のアドバイスや温かいエールをもらい心強くなり、「私はお腹にいる赤ちゃんと一緒に頑張れるんだ!!」と、再びやる気が湧いてきました。スクーリングの日程は出来るだけ調整してもらい、体調管理を行いながら学習に励み、無事2年生に進級。授業・課題のなかった2月に出産を終え、夜間1~2時間ごとの授乳で不眠も続きましたが、家族の協力も得ながら、2年間で卒業し国家試験も合格できました。 進学する前はバタバタした生活でしたが、この2年間、学習時間を作ってきた事で今では時間の使い方も上手くなり、これまで我慢ばかりさせてきた2人の子供と毎日欠かさず遊ぶ時間も作れるようになりました。看護においてもスキルアップしたことにより自分に自信が持て、仕事も充実しています。 人生、道を切り開くのは自分。看護師を目指しているのなら、実現させる事が出来るのは自分だけです。ひと時ひと時の時間の過ごし方で、人生も大きく変わります。学校には自分と同じ境遇の何事も分かち合える仲間がたくさんいます。たった2年。是非頑張って下さい。

石橋 典子さん
医療法人明和会北広島病院勤務 島根県【2013年卒】
私が看護師を目指そうと決意したのは、准看護師では多くの道が開けないことに直面したことがきっかけでした。しかし、今更通学制の学校に通う余裕も無く、看護師への道は諦めかけていました。でも、こんな私にもチャンスは巡ってくるものです。偶然勤務先で通信制の学校に通い見事看護師国家試験に合格された方に出会えた事、また同時期に通信制の学校に行こうとしている同僚がいたことで私は感化され、オープンキャンパスに参加し、実際に模擬授業を体験して、入学を決意しました。 通信制である為、自分との戦いとなりましたが、勤務先の先生方や、共に学院に行くことになった同僚、職場の上司や先輩・同僚、先に通信制の学校で学ばれ看護師になった先輩方、実習や面接授業で知り合った友などの助言や励ましなどがあり、頑張ることができました。私は慣れないレポート作成や紙上事例などに苦戦しましたが、時に電話やメールなどで先生方に相談し、乗り切ることが出来ました。 最大の目標である看護師国家試験へ向けての学習は、自分で今日はここまで学習するぞと無理のない目標を立て過去問題集を解き、問題集でつまずく所は参考書や教科書で復習していきました。また、10分でも時間がある時は、過去問題集や参考書を読むようにしていきました。これに加えてお気に入りの参考書に書き込みをして国家試験対策学習ノートを作成し、看護師国家試験対策を行いました。 現在、子育てや家庭や職場の事など多くの不安があり看護師への道を迷っておられる方は多いと思います。私は以前先生にこう言われました。「あなたの長い人生の中のたった2年間ですよ。たった2年間頑張ればいいのですよ。」先生が言われたように、2年間はすぐに過ぎて行きました。たった2年間ですよ!きっと家族や職場や友達などの周囲の助けはあります。2年後にはきっと看護師免許を取得することが出来ます。私も取得できました。
全国の看護師を目指している皆さん、まずは諦めずに電話で資料請求など、前向きに第一歩を踏み出して下さい。必ず道は開けます。

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高田 雅美さん
独立行政法人 地域医療機能推進機構 下関医療センター  山口県【2013年卒】
私は准看護師として約20年間勤務していました。20~30歳代にかけては、結婚・出産・子育てと仕事を両立させ、目まぐるしい毎日を過ごしてきました。今の職場に勤務してからは新人教育を任される立場になったことで、日々の業務において疑問を持ち、同時に自分自身の知識の薄さを自覚し、このままで良いのかと真剣に悩むことも多くなりました。 東亜看護学院が地元にあることを知っていましたが、機会に恵まれず出願することが出来ずにいました。そんな時、子供が地元の看護専門学校に入学する事になりました。それをきっかけに、私自身も「看護師になって知識と技術を高めたい、子供に負けていられない、私も頑張ってみよう」という思いが日々強く、決意となり出願という長年の夢に一歩踏み出すことが出来ました。 実際に入学してからは、小論文や紙上事例に苦労し、仕事との両立でしたので、ブロードバンド授業は睡眠時間を削っての受講となりました。なかなか頭に残らず苦労しましたが、何度も繰り返し学習しました。実習や面接授業が始まり、久しぶりの実習では戸惑い、決められた時間内にレポートを書くという作業も大変でした。面接授業では、重要ポイントを抑えた先生のパワーあふれる授業が印象的でした。学生同士で様々な意見交換を聞き、思考の勉強になりました。そして、色々な友人とも知り合い、辛い時には励まし合い戦友のような関係を築き、第二の青春時代を送ることも出来ました。いつも、先生方の丁寧な指導や支えがあり無事に卒業・国家試験を乗り越える事が出来ました。 今、私は学院で学んだ知識や技術を生かし、患者さんに寄り添えるような看護師になれるように頑張っています。看護師を目指している皆さん、決して容易な道のりではありませんが頑張るときは今です!努力は絶対に裏切りません。まずは東亜看護学院へ電話して資料の取り寄せから始めましょう。自分を信じて頑張って下さい。

鈴木 実千代さん
医療法人桑寿会 下田温泉病院所属 静岡県【2013年卒】
私は今まで、准看護師として32年間働いて来ました。平成10年には介護支援専門員の資格を取得して、介護保険のスタートと同時にケアマネージャーとしての責務も担うこととなりました。この中での様々な経験や出会いを経て、大きな学びを得ることが出来ましたが、一方で准看護師であることにずっと劣等感を持ち、それゆえの無力を感じ続けていました。そんな中でも日ごろの忙しさにかまけ、走るように時が過ぎ、気が付けば50歳を過ぎていました。子供達も独立し何の柵もなくなった今、このまま劣等感や無力感を持ち続けながら仕事を続けていくことに疑問を持ち、1年間考えた末に通信制看護学校に進学することを決めました。 35年ぶりの学生は、私にとって戸惑い以上にやりとげなければという思いの方が強かったように思います。そのため主婦業はすでにリタイアしていた夫に任せ、帰宅後夕食を済ませると、7時には自室でブロードバンド授業や紙上事例に取り組むという毎日でした。今思えば、身近な家族の協力がなければ決して成し遂げることは出来なかったと思います。 また、通信制であるがゆえ、面接授業で出会えた学友とは凝縮した時間を過ごすことが出来ました。初めて出会ったはずなのに、それまでの孤独を互いに察し、時には夜更けまで語り合い、また頑張ろうという励みにもなりました。2年次には面接授業で登校した私をお母さんと慕ってくれる方までいて、わが子同様の思いにさせてもらいました。寮内で自分の不注意で転倒し右橈骨骨折したときには、怪我をした母親を気遣うように衣服の着脱から、食事の介助まで皆が手分けをして助けてくれたことなど、忘れられないエピソードがあります。 国試に向けては、入学時から目的は何かを念頭に置き、紙上事例においても何故を意識するように学習を進めていけば良いと思います。常に何故があると発展した学習ができます。 東亜看護学院を卒業し、看護師として働き始めた今、振り返るとすべてが昨日のことのように思い出されます。本当に良き時を過ごせたと心から思えてなりません。東亜で学べたことに誇りを持ち、これからの看護を進めていきたいと思います。看護師を目指す皆さんへ、准看護師歴32年の私も出来ました。看護師への夢を叶えましょう。

福永 英美さん
山口県【2013年卒】
医療事務職から2年後、医師の勧めで看護職へと入りました。入院設備のある小さな医院では当直看護師確保の必要性から准看取得までの体制でした。看護師免許への夢は結婚・育児・経済的理由から遠のき諦めかけていました。そのうち子が成長し、職場環境の変化から有給も取得できるようになり、夢が叶えられる状況ができていることに気付きました。 東亜看護学院に入学できてからは、今まで知らなかった看護の知識が身に付く喜びがとても新鮮で、楽しい学びへとなりました。通信教育は周りが見えずとても焦り不安だらけでしたが、書類整理・勉強計画などきちんと取り組むことが安心へと繋がり、職場でも書類整理が得意となり、調べごとへの時間短縮への術を身につけました。 仕事を休むことへの抵抗に精神的に辛い時もありましたが、勉強に集中することで精神をコントロールしました。勤務との両立で挫折しそうなときもありましたが、学院職員さんの温かさに癒され最後まで進むことが出来ました。 12月単位取得後は、気力が尽き国試の勉強が計画的に進まず、日頃の勉強にも国試の問題を取り入れ、より理解を深める事が必要であったこと、必修問題の取り組みも早めにおこなっておくべきだったと振り返ります。 学院で卒業生の話を聞ける機会があり、仮入学の時は「資格取得で自分への自信」、また国試直前では「資格をとらす試験」との言葉はとても大きいお守りとなっていました。 これから看護師を目指す皆様へ、思い立った時がチャンスです。まず、電話で資料請求なり、オープンキャンパスに行くなり、行動を起こされたら良いと思います。願いは必ず叶います。自己実現の素晴らしさから人生の素敵な意味を味わってください。ご健闘をお祈りします。

河合 さとみさん
大阪府【2013年卒】
私が進学を志したのは、以前から興味のあった新しい分野に挑戦したかったからです。そして、東亜看護学院を選んだ理由は、周りに学院の卒業生が多く、先輩達が「行って良かった」「仕事との両立を考えると、他の学校より単位取得しやすい」と皆さん言っていたからです。看護師免許取得はもちろんのこと、新しい出会い、初めて経験することなど、希望と不安を抱いて入学しました。 入学説明会を聞いた後、単位取得やインターネットを使用してのシステムなどを理解することが出来ず、手探りの状態でスタートしました。そして、普段から言葉をまとめることが苦手な私は、レポートという分厚く高い壁にぶち当たりました。学院から配布されたレポートの書き方や本を読み、また、学院の先輩や職場の先輩に見てもらい作成しました。何が正解で、何が足りないのかが分からず、一人悶々としていました。学院にメールで質問しようとしても、質問する内容を文章で表現することすらできず、先生方に聞くことが出来ませんでした。ある日、学院から電話があり、初めて先生と話す機会がありました。インターネット授業でしか見たことがない先生との初会話でしたが、本当に話しやすく、言葉の節々に出る山口弁で先生が近く感じました。その時から、わからないことは電話で直接先生に質問しました。先生方は、私自身が考えて答えを出せるように導いてくれました。会ったこともないのに、本当に親身に丁寧に…。 二年次はインターネット授業、紙上事例、病院実習、面接授業と本当に辛く苦しい日々でした。でも、実習・面接授業で境遇の違った人達との出会いがありました。普段なら初対面ではあり得ないほど、お互い腹を割って話したり、もし職場で出会っていたなら、すぐには打ち解けなかっただろうなと思える関係が、東亜看護学院ではすぐに深まりました。 家族、友達、仲間、職場の方に支えられ、今までにない貴重な経験と大きな達成感を得ることが出来ました。 自分でも腹が立つくらい不器用で文章力・表現力の乏しい私が、なんとかここまでやってくることができました。迷っている方!勇気を出して一歩を踏み出して下さい!!

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加藤 美由紀さん
医療法人社団同愛会病院 千葉県【2013年卒】
2年前の春、期待と不安を抱えながら東亜看護学院に入学しました。准看護師として働きながら資格の必要性と知識の乏しさに悩み、このままではいけないと常々考えながら毎日の生活と仕事、育児に追われ月日は過ぎていました。入学のきっかけは准看護学校時代からの友人と、私の上司にあたる東亜看護学院卒業生からの紹介です。最初は小学生の子ども2人を残して何度も下関まで通えるのかとても不安でした。そんな私の背中を押してくれたのは主人です。しかし、子育てをしながら仕事と勉強の両立は想像以上に過酷でした。今までに得ていた知識や看護技術、看護への考え方や医療技術も、18年前に准看護師の免許を取得したときとは大きく変わっていました。 10年以上准看護師としての経験を積み、毎日の業務に追われていた中、東亜看護学院に入学する事で改めて看護とは何か、自分の看護観とは何かと踏みとどまり考える時間を持つ事が出来ました。経験を積んだ今こそ改めて勉学する事により、18年前とは違う看護観を持つ事が出来たと感じています。 東亜看護学院の先生方は、遠く離れていてもいつでも相談に乗ってくれます。悩みを打ち明けると自分のことのように涙してくれる先生もいらっしゃいます。国家試験の前日には1人ひとりに電話で応援してくれる事務長がいらっしゃいます。そんな先生方に温かく見守られ、更に家族、友人、職場の方々に支えられながら卒業を迎える事が出来ました。これから看護師を目指そうとしている皆さん、看護師国家試験合格までの道のりは決して楽ではありません。しかしその高く険しい道のりを越えられたとき、これからの看護師人生への大きな支えとなり自信に繋がります。悩んでいても道は開けません。自分の可能性と力を信じて夢に向かって頑張って下さい。皆さんの夢が叶うことをお祈りしています。

井上 美香さん
医療法人 田中クリニック 長崎県在住【2013年卒】
自分にもっと知識があれば、目の前の対象の苦を緩和し、もっと安楽にそして笑顔を増やすことが出来たのではないか。そう感じた私は、もっと看護の勉強をしたいと思いました。しかし通うには、常勤で3人の子供を持ち、毎日往復3時間かかる全日制の学校は難しく、通信制を選びました。しかし、あと半年で准看護師として10年の経験年数を迎える頃、義父が脳梗塞で倒れ、経営していた巨峰園を継ぐことになりました。主人も私も仕事を持った上での巨峰作り、勉強する事を悩みましたが、子供の年を考えると今しかないと思い東亜へ入学しました。 実際授業が始まると、慣れないパソコン操作・紙上事例作成・仕事・家事育児・巨峰園と目が回るような毎日でした。何度も挫折しそうになりましたが、面接授業で知り合った友とは強い絆で結ばれ、助け合い何度も励まされました。又、そんな私を見て中一の長男から小二の次女まで家事を分担し手伝ってくれました。学院で知り合った友や、たくましく成長し協力してくれた子供達のお陰で2年間頑張ってこれたのだと思います。 国家試験合格、皆さんこれを目標にしていると思います。しかし、その日が近づくにつれ不安になり何をしたら良いか分からなくなる事もありました。私はそんな時イチローを思い出しました。彼が強い理由は、常に目標を持ち周りに惑わされず目標に向かって進んでいるところです。私も何故看護師になりたかったのかを思い出し、国家試験合格という目標に向かって、自分の選んだ道を揺るがぬ心を持って進む事が大切だと思いました。 国家試験に合格し、看護師というゴールを踏んだと同時に新しいスタートをきったと思っています。学院長から心に響く言葉をいただきました。「大学か通信教育かは国家試験を受け看護師になるための手段にすぎない、大切な事は看護師になってからも学び続ける事である。」 知識のない自分に、あらゆる対処法を考える事が出来る知識を手に入れる為、東亜看護学院へ入学しました。国家試験に合格しましたが、今後も対象にあった看護を見つけ提供していける様学び続けたいと思っています。

塚田 幸子さん
医療法人 産科婦人科ハピネスバースクリニック 滋賀県在住【2013年卒】
私は、平成23年に看護師を目指し東亜看護学院に入学しました。 入学してから初めて触るパソコン、レポート・紙上事例の作成、テスト等、本当に苦労しましたが、その都度学院の先生方に丁寧な指導を受け理解を深める事が出来ました。 進級してすぐに主人の大腸癌・胃癌の診断を受け、長期にわたり手術・入院の付き添いに追われる日々が始まりました。そんな中長女の受験も重なり、主人が働けない分勤務を増やし、4箇所を掛け持ちながら何とか課題をこなしました。何度も限界だと思う時がありましたが、その都度先生方に優しく声をかけていただき、面接授業の日程調整など最大限の協力をしていただきました。面接授業では「あなたが頑張っているから周りも頑張れるし、せっかく応援してくれている家族のためにも頑張らなくては」と励ましていただきました。 1月まで掛け持ちの仕事を続け、2月からは国家試験の勉強のためにと仕事をセーブした矢先、主人が体調不良となり仕事を休職する事に、その上14歳の娘に卵巣の腫れが認められ腫瘍の検査に病院に通う日々、結果は大丈夫でしたが不安で勉強には全く手が付けられず、国家試験は諦めようと考えていました。そんな時、ずっと励ましてくれた先生からレポートの返却がありました。その中に「国家試験絶対合格!!」の文字が。くじけそうでしたが受験する事で感謝の気持ちを伝えようと、2月17日国家試験を受験しました。結果は無事合格、本当に信じられないことです。家族も今は元気です。 進学したいと考えていても、なかなか勇気が出ない方、東亜看護学院の先生方は全力で支え応援して下さいます。看護師の夢を叶えるため、勇気の一歩を踏み出して下さい。どんな困難でも正面から立ち向かって努力する事で、必ず良い結果が得られる事を実感しました。努力は必ず報われます。

西山 真由美さん
綾部ルネス病院 京都府在住【2013年卒】
私は准看護師として34年間働いてきました。その中で管理職を任された事もあり、時分なりに一生懸命働いていましたが、病院の方針により准看護師では管理職の仕事は出来ないと言われ降任することとなり、何度も悔しい思いをしてきました。若い時に勉強から逃げずに頑張っていればと自分に腹立たしく思う日々が続いていました。私も看護師になりたい、他の人に負けたくないという気持ちが徐々に強くなり一度挑戦をしてみようと本学院に入学させてもらいました。 1年生ではブロードバンド授業を聞きながらノートに書き込む事が大変な作業でした。レポートを書く事も普段から書き慣れておらず、困惑しながら時間をかけ文章を作成しました。2年生になり面接授業と実習があり、実習記録用紙の記入に、最初は徹夜になりましたが、何度も回数を重ねる事で、文章は下手でも何とかこなせるようになっていき、自分に自信がついてきました。そしていよいよ国家試験が近づき、何から手をつけていいのか分からず気持ちばかりあせり、先生にアドバイスを受けたこともありました。先輩にも聞きながら過去問を何回も行い、解説を丁寧に読む習慣をつけ、仕事と家事の合間を見て勉強を重ねていきました。模擬テストを受け本番に向けての練習を行いました。テストでは早とちりや2択のところを1問しか答えて無かったりと、テストに対しての慣れがなく、最初は悪い点数しか取れませんでした。けれど、模擬テストを受けたお陰で、自分の弱点がわかり本番では落ち着いて自分の弱いところに気をつけ試験に臨むことが出来ました。 合格発表までの時間は地獄のような日々でしたが、受かった瞬間大きな声で年甲斐もなく「やったー!!」と叫んでいました。本当に本学院で学び国家試験が受けられた事で、東亜看護学院で学んだ2年間が私にとっては宝であり一生の思い出となりました。皆さんも頑張れば必ず勝利があることを信じて最後まで頑張って下さい。

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田辺 靖文さん
宮崎県在住【2013年卒】
東亜看護学院に入学してから卒業までの2年間を振り返ってみると、入学してまず初めに思ったことは、どうやって勉強の時間を確保するかでした。基礎分野の授業は2年次でもできると聞いていましたが2年次は授業プラス実習があり、それに国家試験対策も加わり、スローペースの私には時間が足りないと思い学習時間は毎朝仕事前の6:30より1時間、退社後2時間かならずブロードバンド授業を視聴することを習慣づけるようにしました。おかげで自分自身で積極的に学習時間を確保できる生活スタイルを身につけられるようになりました。 最初の難関は基礎看護の事例展開でしたが、ブロードバンド授業を視聴し展開ガイドを何度も視聴し、分からないことは先生にしつこいくらいに質問し、私が理解できるまで先生から指導していただけたことで、自分なりの展開方法を見つけることが出来ました。 面接授業時は学院の隣にある安価に泊まれる宿泊施設で同じ志を持つ同志と語り合い、励ましあい、勉強することが多くありました。 その中でも一番心に残ることは6、7名で各自の事例展開をそれぞれの理解で行ったものを発表し合い、人の意見に耳を傾け自分にないものを吸収させていただき、名前も覚えないうちにお礼を言いあったことです。まるで昨日のことのように思い出されます。 登校日数も2年間で24日と少なく仕事と両立の私には大変ありがたく授業も自宅で何度も繰り返し好きなだけ見れ、単位認定試験も自宅でベスト体調のときに遂行できて貴重な2年間を本学院で学べてほんとに良かったと思っています。 また8領域の看護実習では、宮崎県でもトップクラスの病院で看護実習でき、自分の看護観や根拠の必要性、患者との関わり方、看護師のあるべき姿を見出すことが出来ました。また、小児・母性・在宅と学んで行くうちに、人間の生まれ・育ち・働き・病み・老い・死に行く看護を再び学び、人間の無常を感じ、自分が今できる看護はなにかを少しだが、見つけることが出来たと思います。精神看護では、自分へのアドバイスであろう生き方を、講義の中でさりげなく教えて戴きました。お陰様で看護師国家試験も無事合格し、晴れて看護師になれました。本当に本学院との出会いがあり、今の自分があると思います。今後は看護師を天職として人生を送り、東亜看護学院の卒業生として胸を張り生きていきたいと思います。 仕事と両立で看護師を目指している皆様へ、スローペースの私にも出来ました。思い立ったが吉日です。すぐに資料請求をされ看護師の夢の実現を目指しましょう。


池田 祐紀さん
医療法人錦秀会阪和第一泉北病院勤務 大阪府【2012年卒】
私は准看護師として20年勤務していました。看護師と准看護師との色々な面での違いに、いつかは看護師の資格を取りたいと思っていました。 子育てが一段落したところに、友人から「一緒に通信の学校を受けないか」と誘われ、諦めかけていた「夢」を思い出し受験しました。 東亜看護学院のパンフレットの卒業生の声で、「地獄の日々」などと書かれていたので、「地獄」ってどんなに大変なのだろうと不安になりながら、学校生活がスタートしました。 いざ、勉強が始まると久しぶりの勉強にワクワクし、新鮮な気持ちになりました。今までの人生の中で、こんなに勉強をしたことはありませんでした。はじめて勉強が楽しいと思いとても楽しい2年間でした。 2年生の7・8月はブロードバンド授業あり、紙上事例あり、実習あり、面接授業あり、もちろん仕事もありと睡眠時間もあまりとれない状態でくじけそうになりましたが「ここで負けてたまるものか。絶対2年で卒業するぞ!」と心の中で自分に渇を入れて頑張りました。 実習や面接授業が12月中旬まであり、国家試験勉強がなかなか出来ない状態でしたが、実習の事前学習や紙上事例、面接授業も国家試験勉強の内だと思い、ひとつひとつ丁寧に勉強しました。12月末より始めた国家試験勉強では過去問題を中心に行い、間違ったところや解らないところを繰り返し勉強しました。卒業した今も2年間の勉強の癖がつき、次は何を勉強しようかと考えています。この2年間で学んだ事を仕事に活かしていこうと思っています。 看護師を目指している皆さん、通信の学校は自分との戦いですが、長い人生の中のたった2年間です。勉強が辛い、面白くないと思いながら勉強をしてもなかなか身につきません。 新しい発見や知識が学べるチャンスですので、是非「楽しい」と思って勉強して下さい。(暗示をかけると楽しくなるハズ?)2年間がむしゃらに勉強して下さい。そして、疲れたときは「ちょっと一休み」。ストレスを発散して下さい。ストレスを発散することはとても重要ですよ。 そして、努力は必ず報われます。

林 広美さん
大阪府在住【2012年卒】
私には2人の子供が居ます。本学院に入学当時は7歳と3歳でした。この進学を決めたのは、毎日業務をこなしていく中で技術は見に付いたものの、進歩していく看護の知識には順応できず、自分の知識不足からもっと深く学びたいという意識が高まりました。 子供が小さく面接授業の際には連続して家を空けることの問題が出てきましたが、夫や母や長女の協力を得てこの進学を決めました。 念願の入学を果たしたものの、ブロードバンド授業・書いたことの無いレポート・頭を抱えた紙上事例・仕事・子育て・家事にと、こんなに時間が足りないと思うような生活は今まで経験した事が無く、周囲の手立てを支えに何とか1年を無事にクリアする事が出来ました。 2年生になり、この課題プラス実習が加算され、更に追い込まれた日々が続き、毎日が苦痛に感じる事もよくありました。でも、学びを深めていく中で少しずつでも自分の中で知識が向上し、今までに無い充実感や達成感を感じる事が出来、勉強や仕事に対しての学びや考え方も変わり、忙しさの中でも毎日が充実してくるようになりました。 そして国家試験に向けて、テストの3か月前くらいから少しずつ勉強し、たくさんの過去問題を何度も何度も解き、騒がしい我が家では思うように勉強出来ないので、国家試験10日前は集中するために、家族に協力してもらいインターネットカフェに行き勉強をしました。 在学中の皆さんへ。新たに学ぶという事は大変な事だと思います。けれど、長い人生の中のたった2年間の辛抱です。2年後には明るい未来が待っています。自分の力を信じて頑張って下さい。皆様の夢が叶う事を祈っています。

奥平 千世子さん
甲府共立病院勤務 山梨県【2012年卒】
昭和60年に准看護師の資格を得て25年。当時は周りの殆どが准看護師という環境の中で働いていました。 結婚、出産、子育てをしながらも、仕事が楽しく現場で生き生きと働いていましたが、経験年数が経つにつれ時代の流れとともに少しずつ看護師が増え、いつの間にか資格の差を感じるようになり、自分もチャンスがあれば・・・と思う様になりました。しかし子供も小さく収入の面でも仕事が辞められず、仕事を続けながら資格を得る道はないかと長い間考えていました。そんな折、通信制度というシステムのあることを知りましたが、今度は一歩を踏み出す事が出来ずにダラダラと年月が過ぎてしまいました。 東亜看護学院への入学を決めたのは、同じ職場で働く先輩が背中を押してくれたからです。入学当初は背中を押してくれた先輩に感謝し、「よし、頑張ろう!」とカリキュラムを始めました。いざ始めてみると、山のような課題に取り組みながらの仕事との両立は思った以上に大変でした。それでも、自分なりの期限を決めて短期集中で取り組んだ結果、何とか出来ました。山梨から山口までは道のりは長く費用も掛かり大変でしたが、その分何としても資格を取ろうという気持ちにもなりました。入学してしまえば2年間はあっという間に過ぎ、無事国家試験当日を迎えることが出来ました。試験勉強は1月に入った頃から本格的に始め、必修と過去問題を主にNプラスを移動中などに活用しました。無事合格出来たときは本当に夢が叶った気持ちでいっぱいになりました。 あれこれ思い悩んでいても道は開きません。思い切って一歩を踏み出してみて下さい。決して簡単ではないけれど、必ずゴールは見えます。そして難関を突破した先には、明るい未来が待っています。後から後悔しないように、今勇気を持って東亜看護学院の扉を開いてみてください。明るい未来が待っていますよ。

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山賀 洋子さん
大阪府済生会泉尾病院 大阪府【2012年卒】
50歳を過ぎて子供達も自立し、自分自身のことを振り返る時期を迎えました。准看護師歴32年、プライドを持ち仕事に打ち込んできましたが、医療技術の進歩に近づき学びたいという気持ちは膨らみ続けるばかりでした。 その頃の私は、慢性腎臓病と診断され、体調を見ながらの仕事を行っていました。自分の体調管理と仕事・勉強の両立を優先し、継続して通学ができる学校があるかもしれないという思いで探し始めました。 インターネットで東亜看護学院を知り、思い切って受験しました。入学が決まってからも体調には大きな不安がつきまとい、いつ体調不良で入院といわれるか分からない状況での2年間が始まりました。 覚悟はしていましたが、やはり50歳からの勉強は皆が1日で出来る事が何十回やってもできない、自分との戦いの連続でした。慣れないプロードバンド授業も、すんなりと頭に入ってきてくれません。映像を何度も何度も止めてはノートに要点を書き写し、必死で勉強しました。 日々積もる課題に追い詰められないよう、計画を立てながら自分なりの学習法で頑張っていましたが、今の学力では国家試験に合格できないと思い焦り、受験対策講座を1年間受ける事にしました。それにより、2年目の始まりから国家試験当日までは、仕事の休憩時間に参考書を開き、休日は塾で勉強をするという生活を送りました。 国家試験直前になると全ての時間を試験のために費やし、自分を追い込み続けました。しかし試験当日は本当にあっという間に終わり、実力を出し切れたのか分からず、言いような無い不安と脱力感でいっぱいでした。 しかし、1ヵ月後に合格の通知を手にし、自分の夢を叶える事が出来ました。その瞬間の喜びは今でも昨日の事のように思い出せます。 学院での2年間は、決して楽なものでは有りませんでした。苦しく辛いと感じる事のほうが多かったかもしれません。しかしそれ以上に、先生方の励ましや家族の協力、共に戦った友人たちとの交流で幾度と無く勇気づけられ、素晴らしい経験と達成感を得られたと思います。皆様も、どうぞ夢のために一歩踏み出して下さい。

南 晴美さん
医療法人気象会東朋香芝病院  奈良県【2012年卒】
准看護師として28年勤務し、その間には結婚・出産・子育てと人生を走ってきました。 振り返れば何回か「看護師にならない?一緒に学校に行かない?」と友達に誘われましたが、私は子育ての真っ最中で決心がつかず、一歩を踏み出すことが出来ませんでした。子育ては終わりましたが、私はこのまま准看護師でよいのだと思う一方、頭の片隅には看護師になれたらな・・・とも思っていました。少々諦めていた時、同僚から「多くの時間を費やして学校に通う事も無く、自宅で自由な時間に授業を視聴できる通信制の看護学院がある」と聞き、「自分のペースで出来るのなら、もしかしたら私にもチャンスがあるのかも」と思い立ち、東亜看護学院へ入学、そして看護師国家試験を受験し合格する事が出来ました。 1年生のときは慣れない勉強と仕事の両立が大変で、いつも頭のどこかで退学のことを考えてしまっていました。しかし、病院見学実習・面接授業を通して、目標を同じとする人「同志」との出会いがあり、担任や面接授業を担当して下さった先生方も、いつも励まし支えて下さいました。そのおかげで、2年生になってからは退学の事は考えなくなりました。前進あるのみの精神で、いろいろな課題をクリアしてきました。簡単に書いてはいますが、課題は資格を取得するための大きなキーポイントなので、難しいものもありましたし、提出期限に追われていた現状もありました。 そんな最中、子供が結婚・妊娠、12月末出産予定という事で、私は国家試験を控える学生として、また親としての役割を十分に果たせられるのかと悩みました。そんな時、私を支え続けてくれたのは担任の先生でした。たまたま先生のカレンダーを見た時、子供の出産予定日が書かれていました。私はそれを見た時、とても感激したのを覚えています。無事出産した時も、先生に一番先に報告しました。そんな温かく見守って下さる先生方がいらっしゃる東亜看護学院です。 私は東亜看護学院で学べた事を誇りに思います。もし看護師になろうかと考えているのなら、考える必要はありません。勇気を出してまず一歩を踏み出して下さい。自分の可能性を信じて頑張って下さい。

三浦 直美さん
島根県【2012年卒】
看護師としてバリバリ働きたいとずっと思っていました。高校を卒業し看護学校に入学したものの、自分の弱さから途中で挫折しましたが、その後諦めきれずに20代半ばで准看護師の免許を取りました。学生の頃から働いていた病院で働きながら、いつも准看護師である自分に対しこのままでいいのか、あの時諦めずに頑張っていたら今頃は看護師としてバリバリ働いているのだろうなと思う日々を送っていました。そんな時、准看護学校で一緒だった友人から東亜看護学院の事を聞きました。田舎に住んでいる為に、近くには学校も無く、看護師になる事は難しいと諦めかけていた私にとって、自宅で好きな時間に学べる通信制の学習スタイルは大きなチャンスだと思い、迷わず入学を決意しました。 入学してみると、仕事、子育て、家事、勉強と想像以上に大変で、課題やレポートの提出期日に追われ心が休まる日はありませんでした。実習が始まってみると、以外にも同じ地域から来た同じ夢を持った仲間が居る事を知り、また面接授業では、全国から幅広い年齢層の人が集まり、さまざまな環境の中同じ目標に向かって頑張っている姿にとても励まされました。 国家試験の勉強は、全ての面接授業が終わった12月の終わりから始めました。しかしなかなか要領がつかめず、もっと勉強しておけばよかったと後悔しました。1月の学院で行われた国家試験対策講座に参加し勉強のポイントが分かり、今の自分のやり方ではまずいと気付きました。そこからはとにかく過去問と必修問題を繰り返し行いました。1人で試験勉強をしていると、他の人の勉強の仕方や進み具合がとても気になり、孤独や不安感で押しつぶされそうになりました。しかし今まで勉強しやすい環境を作ってくれた主人や自己中心的になった私に文句を言わずに協力してくれた子供達、そして先生方や事務局の方々の温かい支えを思い出し、辛かった受験勉強も乗り越える事が出来ました。そして今、念願だった看護師の資格をとる事が出来、多くの皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。 「眼科の経験しかないのですが大丈夫ですか?」と2年前に質問したのが1ヶ月くらい前の事のようです。もし私のように田舎に住んでいても、たとえ経験が浅くても必ず夢は叶います。だから是非諦めず東亜看護学院で学んでいただきたいと思います。

藤田 直美さん
赤十字血液センター 鳥取県【2012年卒】
私は高等学校の衛生看護科を卒業後、准看護師として働き20年以上経ちますが、以前から資格の必要性は強く感じていました。パンフレットを取り寄せながらも、子育て・仕事が忙しく、始めの一歩をどうしても踏み出すことが出来ずにいました。しかし娘が看護学校に入学し頑張っている姿を見て、私も夢に向かって頑張ってみようと思い娘に相談しました。娘は「弟たちも高校生・中学生だから自分の事は自分で出来るし挑戦してみたら」と背中を押してくれました。そのおかげで出願を決意、運よく合格し高校以来24年ぶりに資格取得に向け学ぶことになりました。  始めは10年間の経験が必要だからそんなに大変ではないだろうという甘い考えでいました。しかし2年目は研修で下関に単身赴任となり、家族と離れ暮らす寂しさや心配はありましたが、1人になる事で学習する時間は確保する事が出来ました。しかし12月上旬までは単位取得のための勉強でいっぱいで、国家試験の勉強はまったく出来ず、今のままでは国家試験合格は無理だから2年で卒業する事を目標にしようと思っていました。けれど、先生方は「ここから頑張っても未だ間に合うから最後まで諦めずに」と声をかけて下さいました。そして職場の仲間の協力もあり、出来る事を試験当日まで必死で頑張りました。おかげで私は、2年間で卒業・国家試験に合格する事が出来ました。それも同じ目標を持ち、励まし支え合った友達が居たからです。本当に素敵な友達が出来ました。けれど、まだ目標達成が出来ていない友達が居ます。ゴール出来るまで一緒に頑張りたいと思います。 これから看護師を目指す皆さん、夢を諦めず前に進んで下さい。一歩を踏み出すのは早い方がよいです。頑張って下さい。

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羽賀 泰子さん
医療法人新潟勤労者医療協会下越病院 新潟県【2012年卒】
私は、県医労連の運動の一環として、2年課程通信制の看護学校を1県1校の運動に参加していました。2004年開校から進学を何度も考えましたが、働きながら勉強や子育ての両立が出来るのか、持病の腰痛もあり迷いや不安が多く行動に移す事がなかなか出来ませんでした。迷っているうちに子供達も成長し、社会人・高校生・中学生となり、不安の要素が減った今がチャンス!と思い願書を提出しました。 実際に学習が始まると、しばらく学習する事から離れていたため想像以上に大変でした。そんな時、1人で悩んでは駄目!と、懸命に励ましてくれたのが先生です。熱意を持って指導していただきました。また、いつも助けてくれた仲間の存在は大きく、年齢や生活環境、職場環境は違うけど、同じ目標に向かって頑張る事で、お互い励まし合い、あるときは悩みの相談や愚痴までも話し、ライバルではなく一緒にゴールする生涯の素晴らしい仲間となりました。 2年次になる春、持病のヘルニアで歩行が出来なくなるアクシデントが起こり、2年生になると病院見学実習や学校での面接授業授業がびっしり組まれているため、こんな状態では何も出来ないと急遽入院・手術をしました。術後は順調で病院見学実習や面接授業を休むことなく遂行できました。 この2年間には、多くの試練が有りましたが、得たものは遥かに多く、その裏方で支えてくれた家族・職場の協力・地元の仲間、多くの方に励まし支えてもらった事を、本当にありがたく感謝しています。 メインイベントの国家試験前夜、緊張のあまり眠れずにいた時、村田事務長さんから教わった「右手を自分の頭に当てて『よく頑張った』と言いながら、さすってやりなさい。」のおまじないを行った後、スーッと緊張が解れ眠りに入った事を覚えています。 周りの多くの温かいお心遣いに感謝しています。これからは看護師としての知識や技術、たくさんの学びを活かせるよう、また、学校で出会った仲間との絆を大切にして、今後の人生を楽しんでいこうと思います。本当にお世話になりました。有難うございました。 迷っている皆さん!まずは願書の提出を!

佐渡 千恵子さん
訪問看護ステーション リアン 福岡県【2012年卒】
私は20代の頃看護学校に行っていましたが、挫折し卒業する事が出来ませんでした。どうしてあの時もっと頑張る事が出来なかったのだろう、という後悔の念と機会があればもう一度チャレンジをしたい、という思いはありましたが、月日が経つとともに思いは薄れていきました。 しかし、以前勤務していた施設師長のおかげで「もう一度頑張ってみよう」という思いが蘇り、師長や教員をしている友人に相談する中で、東亜看護学院の存在を知り「ここなら頑張れるかもしれない」と思い受験し入学する事が出来ました。 入学当初は、パソコン操作など全く経験が無い私にとって不安の毎日でしたが、何かあるたび学院に電話すると、事務の方が丁寧に教えて下さり、1年間で課題の作成や提出に必要な操作方法を習得する事が出来ました。また、課題を取り組むにあたり分からない事があると、これもまたすぐ学院に電話し先生から指導や助言を受け、長いときには1時間以上もかけ懇切丁寧に教えていただきました。 提出物が多いときには挫折しそうになり、パソコンを開きたくないという思いや、夜中に突然叫びたくなる事が度々ありました。そんな時は、同じ思いや環境の中で懸命に課題に取り組んでいる友人と連絡を取り合い、愚痴を言い合ったり励まし合う事で2年間乗り越える事が出来ました。その他にも家族が癌と診断され手術が必要となった時、休学を考えた時期もあります。担当教員に相談すると親身になってアドバイスして頂き、そのおかげで挫折することなく2年で卒業出来、国家試験にも無事合格する事が出来たと思います。20代のときに挫折してかなりの年月がかかりましたが、再チャレンジして本当に良かったと心から思います。 最後に2年間支えてくれた家族と友人達・職場の仲間、また事務長を初めとする事務局の皆さん・先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。有難うございました。そして10年以上の経験をお持ちの准看護師の皆様、不安や戸惑いもあるかと思いますが「看護師になりたい」という思いを大切にし、夢を実現させて下さい。

延 久美子さん
綾部ルネス病院 京都府【2012年卒】
准看護師として働いて約20年、病棟主任として仕事をしていた私は、様々な研修に参加する事で自分の知識の乏しさを自覚し、このままではいけないと思っていました。進学する事も考えましたが、学費など金銭面での不安があり諦めかけていた私に、上司から「病院の奨学金制度を利用して学校へ行ってみない」と声をかけられ、進学するきっかけをもらいました。なぜ京都に住んでいる私が山口県の東亜看護学院を選んだのか、それは勤務先に卒業生がいたことや、他校と違い放送大学に通う必要が無く複雑でなかったからです。 無事学院に入学し、学生生活が始まりました、1年目は卒業生にアドバイスを貰いながら、1日最低2時間は授業を受ける事、レポートの締切1週間前を締切日と考えカレンダーに印をつけること、この2点に注意しながら無理なく楽しく学習する事が出来ました。2年目になると臨地実習や面接授業が加わり大変でした。面接授業で知り合った人たちと学院や寮で語らい励まされ、臨地実習まで1人だった私にとって心強い仲間が出来嬉しかったです。 国家試験勉強の時も、学院の先生方のサポートや学院の友人と情報交換しながら様々な問題や解説を郵便で送りあい、時には電話で国家試験への不安や焦りを語り合い3時間話した事もありました。友人と話す事で気持ちが落ち着き、勉強する元気の源にもなり、その結果皆で無事国家試験に合格する事が出来ました。自分が合格した事はもちろん、仲間と共に合格できた事がとても嬉しかったです。 東亜看護学院の学生は、様々な生活環境で学習しています。その生徒一人ひとりに対し向き合って指導してくれる学院でした。ご指導して下さった先生方・事務局の方々、本当にお世話になり有難うございました。とても感謝しています。 これから通信制で学ぼうか迷っている皆さん、迷っている間に2年は経ってしまいます。まずは1歩前進してみませんか。きっと長い人生の中の2年間で得るものは多いと思います。踏み出す勇気を持ち、東亜看護学院のドアを開いてみませんか。そして看護師となる夢を叶えましょう。

小畑 エリ子さん
でぐち整形外科 長崎県【2012年卒】
自宅のパソコンの前で一人、「やった!」と大きな声を出して喜んだあの日を忘れません。 3月26日、看護師国家試験合格発表の日です。 准看護師として20年病院勤務をしてきましたが、幾度と無く看護師との差を感じさせられる事が多く、悔しい思いを沢山してきました。看護師免許取得は私の一つの目標であり、チャンスがあれば絶対にその目標を達成したいと考えていました。 2年前知人より東亜看護学院を紹介され、自分の生活スタイルに合わせて学習できるブロードバンド授業に魅力を感じ、今だったら私にも出来るかもしれないと東亜看護学院で学ぶ事を決めました。 1年目は自分のペースで学習する事が出来、学習した事を現場で活かし充実した毎日を送ることが出来ました。2年目は面接授業・臨地実習が始まり、紙上事例にも追われ時間の確保が大変でした。面接授業ではたくさんの方と知り合う事が出来、励まされることも多く、仕事・家庭・学習との両立の難しさ、課題レポート・紙上事例が上手く進まず、辛く一人落ち込むときもありましたが、励ましの言葉を思い出しながら頑張ることが出来ました。   国家試験の学習は、面接授業での先生のアドバイス・過去問題を中心に時間がある限り取り組みました。とにかく自分との闘いです。辛い・苦しいと思うことも沢山ありましたが、いつも背中を押して前に進ませてくれたのは、先生をはじめ学院で出会った沢山の励まし、そして笑顔です。 「努力は人を裏切らない」本当に努力は実るものと、今しみじみ思います。 自分で切り開いた道、努力で勝ち取った看護師免許、やっとスタートラインに立てたように思います。これからは、東亜看護学院で修得したことを看護の場で発揮させ、胸を張って頑張っていきたいと思います。 看護師を目指すなら、まず願書の申し込みをして下さい。あなたの夢がそこから開くと思います。

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岡 美恵さん
社会福祉法人ロザリオの聖母会海上寮療養所 千葉県【2011年卒】
私には四歳年上の兄がいました。兄は高校二年生の時に、交通事故で植物人間になりました。母の献身的な看護で、数年後に僅かな障害を残し回復しましたが、事故の後遺症と周囲の心無い言動に堪え兼ね自ら命を絶ちました。長男を失った悲しみに苦悩する両親の姿が私の脳裏に焼きつき、兄を助けることが出来なかった悔恨から、三十数年もの歳月を自責の念に駆られ続けました。 しかし東亜看護学院で学び、レポートの中に辛い体験を自分の看護観と結び付けて書いたことで、他言出来なかった苦しみを表出し、気持ちが楽になり救われました。そして、先生がレポートへ書いてくださったコメントは、自分の進むべき看護の方向を導く糧となりました。東亜看護学院で学ぶことができて本当に良かったと感謝しております。 私は幾度か看護師を目指し、進学を考え試みた経験があります。しかし子供が難病に罹患、家族の介護、身内の不幸などで中断しました。もう一度やり直そうと考えていた時に東亜看護学院の存在を知りました。しかしパソコン操作が全くできなかったため躊躇しましたが、パンフレットの中の「卒業生の声」を読んで、私にも出来るかもしれないと希望と勇気をもらい受験しました。入学後に教職員の方々の懇切丁寧なサポートのおかげで驚くほどスムーズに上達し、新しい知識を得るという喜びが芽生えました。その喜びが自信と意欲に繋がり、現在の自分があるのだと確信しています。国家試験に向けては、特に模擬試験と過去問題に力を入れて、不正解だった問題の解説を何度も読み返し、教科書や参考書で確認しながらノートを取りました。また、ブロードバンド授業や面接授業で先生が「ここは大切ですよ」と話された箇所や各授業で頂いたプリントは完璧に理解するように努めました。 東亜看護学院で学んだ2年間は、毎日がとても充実していました。そして学院で生涯の友と出会いました。3月5日の卒業式の日に、6日後の東日本大震災を想像もしませんでした。震災直後から、面接授業で一緒に学んだ学友から電話やメールを頂き感激しました。長期に断水が続く中、水を送って頂き本当に助かりました。そして、災害見舞に同封されていた手紙を読み、涙が溢れてきて声を出して泣きました。今回ほど人の情の深さを痛感した事はありません。 全国の准看護師として十年以上の経験をお持ちの皆さん、それぞれ不安や迷いがあると思いますが、東亜看護学院には皆さんを支えて下さる素晴らしい教職員の方々と、志を同じくする多くの仲間がいます。皆さんが東亜看護学院で学ばれることを切に望んでおります。

眞倉 多美子さん
医療法人長久堂野村病院 広島県【2011年卒】
准看護師歴28年、現在の病院に勤務したのは24年前でした。結婚後育児のため家庭に入りました。7年のブランクをかかえ再就職しました。准看護師では、役割や待遇面でも違いがあり正看護師資格の必要性を強く感じていました。娘も看護大学を卒業し保健師の資格を取り「お母さんも看護師の免許を取りんさい。頑張ったら取れるよ。」と勧めてくれました。長年の夢だった看護師でしたが、夢で終わるのだろうと思っていましたが娘の言葉に励まされ、本学院の入学を決めました。 入学してからの2年間はあっという間に過ぎてしまいました。一番の思い出は、面接授業でした。パソコンに向かい一人で学習する事は、思った以上に孤独でしたが、各教科の授業を視聴し臨地実習を終えると3日間の面接授業があります。低料金で宿泊できる寮を提供していただき、そこで同じ目標を持った仲間との情報交換が唯一の楽しみでした。夜遅くまで話は弾みました。 仕事をしながら同じ目的を持っている仲間は、気持ちが通じる事が多くあり、色々な苦労話を聞いたり話したりと励まされる事も沢山ありました。しかし楽しい事ばかりではありませんでした。2年生の9月には課題提出やブロードバンド授業の視聴、臨地実習等など、2年間で一番辛い時期がありました。その時ばかりは年齢を感じてしまいましたが、入学した時の気持ちを思い出し、また仲間も頑張っているのだと思い何とか乗り切る事ができました。 実際に国家試験勉強は、全ての単位を取得した2年生の12月の終わり頃から始めました。さすがに焦りはありましたが、学院の国家試験対策というサポートや、担任の先生の励ましの言葉などいただき、無事国家試験を合格することができました。2年間、学院の先生方、事務局の皆様本当にありがとうございました。今は感謝の気持ちでいっぱいです。 最後にこれから、看護師免許取得を考えておられる皆様に、先輩からのアドバイスとして、「夢は最後まで諦めない。自分の力を信じて試験に臨むこと。」この言葉を送りたいと思います。ちなみにこの言葉は、担任の先生からの励ましのメッセージでした。皆様の夢が叶うようお祈り申し上げます。

荒井 祥子さん
財団法人西熊谷病院 埼玉県【2011年卒】
東北地方太平洋沖地震を被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。 私は22年間准看護師として働き、自分を振り返ることが出来たのが一昨年でした。結婚を機に10年勤務していた病院を退職、精神科に憧れ精神科病院に就職後、不妊治療、出産、子育てと慌ただしい12年が経過し訪問看護スタッフとして働いていました。自分を振り返ることが少なくなっていた時期「このままでよいのだろうか?私に何かできることはないだろうか」という場に直面しました。高度な知識を身につけ、専門性の発揮できる訪問看護師になると決意し、学院内での単位取得に魅かれ埼玉県から東亜学院へ入学しました。 仕事と勉強の両立が難しく、授業を視聴しながら爆睡していたため、授業内容が頭に入るまで何度となく視聴し必死に進捗率・視聴時間をクリアしていました。その他、学院から次々と郵送される事例、レポートなど想像を絶する課題は過酷でした。自己との戦いで孤独な日々を送り2年に進級、今までの課題と2日間の実習・楽しい仲間と寮生活しながら3日間の面接授業・国試対策など課題が増しカレンダーを見るとすでに9月。3~4時間の睡眠で、勉強が身に入らず苦しい時は学院の友人に電話し「看護師という同じ目標を持って入学し、夢と希望の国試に向かってお互い頑張ろう」と何度となく共感しました。国試を目標とし国試対策Nプラスでの勉強と「数多くの過去問を解き根拠を考え国試対策を」と先生からアドバイスを頂き、1月からは学習時間を短時間集中3時間と決め、過去問とNプラスを納得がいくまで必死に解いた記憶は新しく感じます。これまで共に学んできた仲間と、お互いに励まし合い目標を達成し夢を叶えることができました。 共に支え合えた仲間が今となっては私の一生の宝です。同じ目標を持った仲間とならきっと乗り越えられると思います。准看護師10年キャリアの方、夢に向かって輝く東亜看護学院へ…心から応援しています。

矢木 真希さん
鳥取県【2011年卒】
東亜看護学院で学ぶ事が出来た私は幸せだったと思っています。 なぜなら、看護師になる為の学校は数多くあると思いますが、生き方をまでを学ばせてくれる学校は数多くないと思ったからです。 1年生の終わりに担任の先生から呼び出しがあったのです。私は何も疑うことなく、学院に行きました。するとそこで言われた言葉は目が飛び出るような言葉だったのです。「あなた性格を直しなさい」と言われたのです。私は耳を疑いました。親にも言われたことがなく、まして、自分の性格は悪いと思った事がなかったからです。予想もしない言葉にショックを受けました。他の話もしたと思うのですが、ほとんど覚えていません。これが気付きのスタートだったと私は思っています。その日から私は、自分の性格について深く考えるようになりました。今思えば、私の背中の部分をストレートに教えてくれたのだと思います。 そうこうするうちに、家族が入院し、私自身も病気になり、勉強する気力がなくなり、休学、退学も考えました。悩んで苦しんでいる時、担任の先生は、私と真剣に向かい合ってくれました。いろんなアドバイスもくれました。そして、見守り支えてくれました。その時、見守り、支えられる事がこれほどまでに心地よく勇気をくれるものだということ、身をもって感じたのです。 それからというもの私は、みるみる元気を取り戻しました。そして、対象に対してもそこの部分が看護を行うにあたって一番大切だという事に気づかせてもらいました。実習、面接授業で多くの事を学び、最終目標の国家試験に向け、コツコツと勉強しました。不安に押しつぶされそうになった事もありましたが、学院の教職員の皆様の励ましもあり、国家試験に合格することができました。 看護師として知識を習得することは当然ではありますが、それと同時に看護師である自分自身の生き方が対象に大きく影響するという事、これは東亜看護学院だったからこそ気付けたのだと思っています。2年間温かく見守っていただきありがとうございました。教職員の皆様に深く感謝しております。 これから通信制で学ぼうと思っておられる准看護師の皆様、2年の間にはいろんな事が起こると思います。足を止めてもいいと思います。しかし、自分がどうありたいのかという事を大切に考えて欲しいと思います。通信制でありながら生き方まで語れる東亜看護学院で看護師の夢を叶えましょう。

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山本 佐枝子さん
医療法人財団愛慈会相和病院  神奈川県【2011年卒】
私は高校卒業後、准看護師学校を経て働き始め、同じ医療系の職である夫と出会い、子どもが生まれました。子どもがまだ小さかった時から、育児をしながら仕事を続けておりましたが、看護師の資格を取りたいと考えてはいたものの、なかなか一歩踏み出せずにいました。子どもの高校生活も終盤になって大学受験の勉強を始めるようになりました。そんな息子を見ているうち、もう一度新たに学んで看護師の資格を取ろうという気持ちになりました。 そこで、多くの時間を費やして校舎に通うこと無く、自宅のパソコンからブロードバンドの授業で勉強ができ、実績のある東亜看護学院で学ぶことを決めました。実際には、パソコンのこともよくわからなかったのですが、とりあえず、同年代の人も出来ているのだから、私にも出来るはずと、楽観的に考え一歩を踏み出すことにしました。 決して勉強が楽であったとは思いませんし、どちらかといえば家事や仕事との両立で大変であったと思います。そんな2年間の仕事と学業の生活を支えてくれたのは家族や一緒に学んだ友人でした。 一家の大黒柱で、仕事で多忙な、夫は家事の手伝いをしてくれるだけでなく、同じ医療者としての知識を教えてくれたりしました。私が2年生になると大学に進学した息子も、進んで家事の手伝いなどをしてくれました。確かに受験勉強は大変なものでしたが、そんな中で私は家族のきずなを再確認することができたのではないか、と感じています。支えてくれた家族と、友人には感謝の気持ちでいっぱいです。 准看護師として十年以上勤務したのち、何十年ぶりに学生になる人や、育児を終えてから東亜看護学院に入学する方はたくさんおられます。一年生の頃は、久々に学び始めて、なかなか学習のコツをつかむ事が出来ませんでしたが、学校の友人や先生方のアドバイスで苦手なレポートなどなんとか乗り切ることができました。諦めなければきっと合格できる、と私はこの受験を経て思いました。卒業・国家試験合格までご指導いただきました教職員の皆様ありがとうございました。これから入学される方が夢の実現に向けて精進されます事をお祈り致します。

奥野 正江さん
宇部興産中央病院  山口県【2011年卒】
入学のきっかけは、山口県看護協会研修の准看護師のつどいに友人と参加したことでした。高校の衛生看護科を卒業し、准看護師で約20年、3人の子どもを授かり、家庭の事情で働く病院も変わりながら働いていました。衛生看護科に入学時に抱いた「看護師になりたい」想い以上に、看護の仕事が大好きな自分に気付いていましたが、生活に追われる働く母親という立場上自分の想いを封じこんでいました。 准看護師のつどいで配布されたパンフレットに国家試験に合格し生き生きとした高校の同級生が東亜看護学院1期生として載っていました。このパンフレットは東亜看護学院が開校して以来、毎年入学案内をとりよせて受験、進学することを悩んでいた私への受験する行動をおこすきっかけとなりました。受験の小論文、家族への相談と説得、職場への相談と協力依頼、学費資金、苦手なパソコンなど、ひとつひとつ解決して行き、合格できたくさんの教科書を購入した時に「勉強できる環境になれた」という思いでうれしかったことを思い出します。もちろん共に悩んでいた友人と一緒に入学できました。 母としての悩みの種である入学金と授業料は、看護協会の通信看護学校に通学する准看護師対象の奨学金を貸与でき学院に納金しました。在学中に長女の看護大学進学、長男の高校入学も重なり、引き続き借りました。勉強面では面接授業と実習、課題レポートが重なった2年次には、レポート作成で行き詰ってしまい、職場に半泣き状態で出勤してしまいました。そんな時に上司にレポートのアドバイスをもらい、職場の温かい協力を得てやっとの想いで完成にこぎつくなど、おさわがせな勤労看護学生にもなってしまいました。 この間、次男に発達障がいの診断がつき、「仕事している場合ではない、子どもだけに目を向け、時間をかける時なのに…。自分の想いを貫くために勉強を始め時間を割いて、子どもから理由をつけて逃げている悪い母親かも…」と何もかもに焦る私は勉強も思うようにいかずに行き詰まりました。イライラして子どもたちに対しても夫に対しても良い顔ができず、勤め先の病院でもいつもの看護ができなくて、そんな自分が嫌になるなどいろんな葛藤がありました。しかし、今までの知識をより掘り下げて考える方法を学習していた最中だったからこそ、いろんな視点から自分のこと、家族のこと、仕事のことが考えられるようになりました。 国家試験の2ヶ月前に師長から「試験勉強休みをとったら?」と声をかけていただき、1ヶ月前から年休を取り救急外来当直のみという勤務にしていただきました。自宅が病院の近くにある私は、家で勉強している時に救急車の音が聞こえると「わたしが勉強休みをもらっているせいで、みんないそがしいだろうな」と考え込んでしまい、せっかく勉強休みをいただいたのに集中できていませんでした。こんなことでは、家族や職場の仲間の私に時間をつくってくれた好意を無駄にしてしまうと考え直し、片道1時間の道のりを高速で車をとばして毎日学院の図書室に通い勉強することとしました。 学院にいくと仲間も無心に国試の受験勉強をしており、良い刺激となりました。お昼休憩のときは仲間と国試勉強の情報交換や悩みを打明け、充実したときを過ごせました。学院の先生方からも声をかけてくださったり、アドバイスをいただいたりと心強かったです。 そして記念すべき第100回の看護師国家試験に友人とともに合格することができました。家族、職場の仲間、学院の先生方や友人みなさんのおかげで自分の想いを叶えることができました。いろんな方面からのご協力ありがとうございました。これからもずっと看護の仕事に携わる働くお母さんとして、いろんな視点、立場で自分の経験を生かした看護を提供していきたいと思います。 看護師になる事を夢見ているみなさん、働きながら、子育てしながら2年間の努力で夢は実現出来ます。看護の仕事に誇りを持ち目標に向かって出発しましょう。

三國 和子さん
大阪府【2011年卒】
私が看護学校に入学を決めたのは友人の一言からでした。「私、通信制の看護学校に今年から行くんだけど一緒にいかない?」すでに看護師になることを諦めかけていた私の気持ちに背中を押してくれる言葉でした。 私は20代の頃一度看護学校に入学しましたが、学校と仕事の両立ができずに挫折した苦い経験があります。そして挫折したことをずっと後悔していました。しかし結婚、出産、子育てに、日々追われ歳月が流れる内に後悔しながらも気持ちは諦めへと変わっていきつつありました。しかし友人の一言から「もしかしたら私でもやれば出来るかも、これが最後のチャンスかもしれない」と考えパソコンで自分の時間に合わせて授業が受けられる当学院を受験して入学することができました。 1年生の時は、教養科目の課題レポートに悩まされ、これまで医学書以外の専門書などを読んだことがなかったのですがこの時は、たくさんの参考書や文献を読む日々が続きました。また、通信制であることから横の繋がりがないので勉強の仕方がわからず不安になったり情報もないことから孤独感に襲われることもありました。しかし1年生の終わりから面接授業が始まり同じ目標を持つ仲間に出会い話をする中で、みんないろいろの事情を抱えながら勉強、仕事、家庭生活を大変な思いをしながら頑張っている「自分だけが大変なのではない、みんな同じなんだ」とわかったことで仲間から大きな勇気とエネルギーを与えてもらうことが出来ました。 2年生になり臨地実習、面接授業、紙上事例、課題レポート、国試の勉強、仕事、家事と1日が48時間欲しい位のめまぐるしい毎日で、課題や紙上事例に追われ睡眠時間をけずり仕事で疲労した体を奮起させ、睡魔と闘いながら、深夜まで机に向かう日々が続きました。 でもそんな中でも折れそうになる自分の気持ちを支えてくれたのは、病院見学実習や面接授業で共に学んだ仲間でした。 実習も無事終了して、後は国家試験の勉強だけとなった時「自分にはもう後がない、もし受からなかったらどうしよう」とそんな不安ばかりが押し寄せて・・・・でも勉強の仕方もよくわからない、年齢的に記憶力が落ちていて若い時のようには覚えることが出来ない、不安と焦りを抱えながら手探り状態で毎日10時間を目標に、過去問題をなんども繰り返しわからない所を教科書で復習して、他の講習会などに出席して、それでも不安は消えなかったのでトイレや台所に問題と回答を貼り付け料理をする時も食事をする時も、問題を見ながら勉強をひたすら繰り返しする日々が続きました。 そして迎えた国家試験の日、緊張と不安でよく考えられないままに試験が終わったような記憶があります。でも国家試験は、無事に合格することができました。 国家試験の合格発表があり試験に合格できたことは、仲間の励ましやどんな時でも親身に親切にご指導して頂いた先生方、事務局の方々のご協力のおかげだと深く感謝しています。これまでの日々を様々な方に支えて頂けたからこそ今日を迎えることができたこと、看護学校に入学したからこそすばらしい方々と出会えることができたことを想うと感謝の念に堪えません。本当にこの学校に入学できて、学ぶことができて良かったと思っています。 そして年齢を経て通信教育で学んだ経験は、今では私の心の財産となっています。 今振り返ると2年間は、1秒にも匹敵する位早く、そして学生生活を経験したことはとても楽しい思い出となっています。 最後にこれから通信教育を学ばれる方、目標を達成することは学生生活で得た知識や経験が一人の人間として看護師として必ず看護の中に大きく反映していくものと思います。 夢と目標を持って頑張ってください。努力は、結果を裏切りません、願いは必ず叶います。


前田 よしみさん
社会福祉法人静和会 広島県【2010年卒】
准看護師暦33年、娘2人は既に保健師と看護師となり、母親の私は羨ましいばかりで、そんな娘たちを横目に漠然と看護師になりたいと思っていた矢先、 本学院を卒業して看護師になられた先輩と偶然にお逢いして、学院を知り応募しましたが締切日でその年は断念、翌年応募して夢の入り口に立ちました。 人生には山あり谷ありと言いますが在学中の2年間は深い谷ばかりでした。 入学年の秋に難病と向き合うこととなり、順調だった勉強が検査治療等で皆無となり仕事にも支障をきたすようになりました。手術して退院3日目が始めての登校日で、しんどくて勉強に身が入らず自信喪失と不安で夜は枕を濡らして朝を迎えました。2日目の個人面談の時泣きながら先生に話し、アドバイスを頂いた事で方向性を見つけることが出来て有難く感謝しました。 その後も病気と闘いながら、仕事、家事をこなし、勉強は頑張っても、頑張っても心身的について行けず、レポートや試験の苦しさは地獄でした。 2年生になり実母の認知症が全介助状態に進行して「これでもか」とどん底に叩き落され、この世に神様はいないのか、何で私ばっかりが苦しいのかと悲しくてなりませんでした。 そんな時期に学校に行き、つらい事を聞いていただく事が出来ました。「神様は乗り越えられる人にしか試練は与えないのよ、前田さんは我慢できるから試練を受けているの」と励まされました。もっとジーンと来た言葉は「応援していますよ」でした。背中をいっぱい押して頂き元気をもらいつらい時は自分を褒める事を知りました。 8月13日に母の葬儀を済ませ悲しむ間も無く17日から面接授業を受け、友達に母の死や自分の病気の事を話せて気持ちが楽になりました。国家試験まで後6ヶ月しかなく、のろくても着々一歩を重ねることだと思い、公休日は短時間でも府中市の図書館で勉強をしました。授業のプリント、テスト、国試の過去問題、模擬試験、を何度も繰り返して反復勉強しました。 治療の関係上、自分の勉強スタイルを作り、時間が無い焦りの中で孤独との戦いでした。 看護師となるために知識は絶対必要ですが、面接授業や実習を通して人間として、かけがえのない大切なことを多く学びました。思いやり、優しさに触れ、私自身頑張る意欲に繋がったと思っています。 どんな境遇にも負けず、どん底より下は無く一歩一歩這い上がり夢に近づいていけるのです。 ゲンかつぎも実力を発揮する為には、大切な儀式です。生き生きとした表情も幸運を引き寄せます。これから看護師を目指す皆さん、夢は叶えるためにあります自分を信じて諦めないで下さい、私も平成22年3月26日夢がかないました。登校日が少ない独自の教育を実施して働きながら学びやすい本校でよかったと思っています。ご指導いただきました教職員皆々様に感謝、御礼申し上げます。

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迫内 由美子さん
京都伏見しみず病院 京都府【2010年卒】
看護師2年課程(通信制)で学んだ人への感謝の気持ち 介護老人保健施設に8年間勤務していましたが、病院に転属となり、救急緊急病院で働き続けていく中で、もっと勉強して知識を身に付けたいと思っている時、病棟の師長・主任より「通信制の学校があるから頑張って正看護師の資格を取得してほしい」と言われましたが、京都には通信制の学校がなく、地方から数ヶ所の募集要項を取り寄せ、その中に『看護に喜びと誇りを持ち、高い専門性と自律性を発揮し、社会に貢献できる看護師の育成を目指す。さらに、豊な人間性を持ち、チーム医療のなかで適切な役割分担とコミュニケーションを向上させることのできる看護教育を行う』という学校の理念が強く印象に残りました。また、願書のことで学校に電話をかけた時、事務の方にとても親切で丁寧な説明をして頂き、最後に「御縁がある事を楽しみにお待ちしています」の言葉に感銘し東亜看護学院を受験しました。 幸いにも合格しましたが、仕事と勉強を両立することは想像以上に大変なものでした。仕事を終え、夜中にパソコンに向かって授業を聞きながらメモをとっているが、いつの間にかペンを手に握ったまま、パソコンの上に倒れかかった状態で眠ってしまい朝方あわてて出勤する日々が続きました。「この年になってこんな辛い思いはしたくない」何度も学校を辞めようと考えました。 しかし、そんな私の気持ちを面接授業の後、担任の先生は話を聞いて下さり、学校で知り合った京都の友達も「絶対一緒に卒業しよう」と声を掛け合えたことが、私の心の支えになっていたと思います。また職場では、勤務体制を配慮して頂いたり、実習や面接授業では休みを取るのに職場の同僚は大変な勤務になるにもかかわらず惜しみなく協力してくれ、先生方も本を貸してくださったり、パソコン操作の指導など色々助けていただきました。 国家試験前では脳神経外科医である院長が、試験に向けての脳神経に関する問題を提供してくださり「絶対に頑張れ」と勇気付ける言葉を掛けて貰い、私がこの二年間頑張ってこられたのは、学校の先生や友達の支え、職場のみんなの協力があったからと思い、心から感謝の気持ちでいっぱいです。 京都伏見しみず病院に入職して今年で21年目になります。学校で学んだ知識、職場で培った技術を少しでも病院や患者さんに貢献できるよう日々努力していきたいと思います。皆さん決して夢を諦めないで下さい。そして看護という仕事に誇りを持ち目標に向かって頑張ってほしいと思います。心から応援しています。

井原 紀代子さん
山口県【2010年卒】
「あの…、私は中学校までしか出ていないのですが…。」3年前の夏、恐る恐る学校に電話したことが昨日のように思えます。家庭の事情で高等学校に行けず、准看護師として49歳まで働いておりました。ずっと看護師としての知識を学びたい気持ちがありましたが、自分の学力では無理だと思い込んでいました。それでも定年まであとわずかとなり、一生懸命看護の仕事をしてきた自分は、看護師として終わりたい。その様に強く思うようになりました。 ちょうどその頃に職場の同僚から、東亜看護学院の入学案内を手渡されたのです。通信制なので、自分の都合に合わせて学習でき、また放送大学と提携しておらず手続きにも面倒がない事等から、自分に合った計画が立てられると思い、入学を決めました。 学生の中で自分がきっと一番年上だろうと思っていたところ、さらに10歳以上も上の方がおられて、驚くとともに、その向上心の高さに心を打たれました。社交的でもない私でしたが、面接授業や実習で励ましあううちに、いつの間にか携帯のアドレスが同級生の連絡先でいっぱいになっていました。学習の仕方で身についたのは、何事にも優先順位をつけて取り組む、という事です。 そしていよいよ国家試験。何とか滑り込みで合格を…と祈る気持ちでしたが、先生方のお陰で、思ったよりよい成績で合格することができました。おまけに、うつ病からひきこもりとなっていた22歳の娘が、「お母さん、ええ時間を生きちょるね、輝いてみえる、私も勉強したい、看護師になる!」と言い出したのです。現在は4年制の看護学校の1年生です。「勉強のことなら何でも聞きいや」等と威張っている私ですが、すぐに追いつかれる事でしょう。苦しい事もあったからこそ、今は全てが素晴らしい思い出となりました。強い想いを持てば誰にも道は開けるのだと、あらためて感じています。 10年以上の経験を持つ准看護師の方は、たくさんおられると思います。長い間、誇りを持って看護の仕事を来られたご自分の力を信じてください。学生となられて、もう一度、楽しい青春の時間を過ごされます様、心より応援しております。

長浜 秀子さん
沖縄赤十字病院勤務 沖縄県【2010年卒】
10年間准看護師としての勤務経験があれば通信制で正看護師の道が開かれています。 私は今の職場に就職してちょうど120ヶ月を満たすことができました。就職したばかりでしたので仕事にも慣れてきたころ2、3年経ってから通信制看護学校に行こうと考えていましたが、ダメでもともとという気楽な気持ちで東亜看護学院に入学しました。悩むより少しでも前への気持ちが今思えばよかったと思います。 東亜看護学院の一番の魅力はなんといってもインターネット学習ではないでしょうか。自宅にいながら24時間いつでも講義が受けられるのですからこんなに便利な学校はないと思います。3交代制での勤務で生活が不規則な病棟勤務の私にはぴったりの学習方法でした。毎日コツコツ勉強するのもよし、休みにまとめてするのもよし、深夜にするのもよしと自分流の学習スタイルで学ぶことができるのです。通学の負担がほとんどないので少し物足りないくらいです。職場や家庭になるべく迷惑をかけたくない方にぴったりの通信学校ですので自信をもってお薦めできます。 准看護師から正看護師へと考えられている皆さん、善は急げといいます。思い立ったが吉日とも言います。今年の国家試験に合格できたことで東亜看護学院を選択したことが間違いでなかったことが証明されたと思います。国家試験対策は厚生労働省が公表する出題基準をテキストで確認することで十分であると思いますので 、恐れず一歩前に進んで下さい。 私の勤務する病院は看護学生の実習指導を行っています。ついこの間まで看護学生だった私は今、看護学生の実習指導を行なう立場にいます。私自身今まで以上に研鑽を深めていかなければならないと気を引き締めるともにさらなる看護実践の向上を目指す決意を新たにしています。 東亜看護学院の教職員の皆様には大変お世話になりました。次のステップを与えてくださったことに深く感謝申し上げます。

小橋 優子さん
岡山県【2010年卒】
私は、准看護師の資格をとって働き始めた時から、正看護師の資格をとってバリバリ働きたい。もっと看護を学ぶ為にも学校にいきたいと考えていました。しかし、21歳で長男を出産し、24歳で双子の女の子を出産。育児だけでなく、家事や仕事にも追われ、あっという間に准看護師の資格を取って10年が経ちました。そんな時本学院に通っている先輩と会い、一緒に行こうと誘われた事がきっかけとなり、又、家族の理解も得られた為チャンスだ、今しかないと思い入学を決めました。 やる気一杯で入学し、授業やレポート作成が始まりました。しかし、レポート作成では思うようにまとまらず1枚の紙に書くのに時間がかかり、授業では何度も巻き戻して観なければ頭に入らずやっぱり大変だなと感じました。 その時思い出したのは子どもの頃祖母に言われた言葉でした。「何でもすぐ頭に入るならいいけど、そうでないなら人の倍以上努力しないといけない」その言葉を思い出してから私は人の何倍も努力しようと決めました。レポート作成には時間がかかる為、早くから取り掛かり、授業では自分の分かりやすいようにノートを作り大切な事を書き込み、空いた時間にノートや教科書を読む事を繰り返し、何度も頭の中に刷り込んでいくという勉強をしました。又、1年生のときから国家試験問題集を解き本番前に焦らないようにと毎日勉強を重ねました。 その甲斐あって国家試験にも合格する事ができ、本当に嬉しい気持ちでいっぱいです。国家試験合格を勝ち取ることが出来たのは、自分の勉強方法を見出し努力を積み重ねることは重要ですが、それだけでなく、家族や先輩、学校の先生の協力があったからこそだと今は確信しています。 チャンスは限られています。色んな人が色んな悩みを持って生活しているのは確かですが、チャンスを掴み取れるのは自分しだいだと私は思います。最後まで諦めないで合格という勝利を勝ち取って下さい。


黒川 美香さん
福岡県【2010年卒】
東亜看護学院を卒業し2ヶ月が過ぎました。東亜看護学院に入学、卒業できたことを、とても嬉しく思います。先生方には、とても感謝の気持ちで一杯です。 2年間はあっという間で、今、振り返ると、とても充実した2年間でした。 入学する前までは、准看護師として10年働いていましたが、日々このままでは、いけないと思い、仕事と勉強が両立できる通信教育の東亜看護学院を選びました。 仕事をしながらでの、ブロードバンド授業やレポート提出、テスト、実習、面接授業はどれも大変なものでした。特に私は、課題レポートに悩まされました。やっと期日までに仕上げたと思ったら、また次の課題が来るので、かなり苦しく辛い日々でした。でも、今では懐かしい思い出の一つとなってます。 今まで、頑張ってこれたのは優しい先生方を初め、家族や同じ苦しみを分かち合える仲間がいたからです。これから入学し頑張る皆さんは、一人ではなく、仲間や家族そして先生方が、一緒になって協力し、応援してくれるので無理せず頑張って下さい。 勉強方法としては、先生方がいつも言っていた、自分のノートを作ることです。私は当初どのようにノートを作ったらいいのか悩みましたが、先生方のアドバイスや自分なりの試行錯誤の結果、自分が理解していない所を、自分なりに調べて書いていけばいいのだと思いました。そして、それは今後の自分の財産の一つになります。 覚えることが沢山あり大変だとはおもいますが、国家試験では必修が点数取れていないと厳しいので、特に必修は一年生の終わり頃から、コツコツと勉強しておいたほうが良いと思います。 東亜看護学院は胸張って後輩に推薦できる学校ですので、皆さんは安心して頑張ってください。


神谷 宏子さん
新潟県【2009年卒】
准看護師として働いて十数年。看護師と准看護師との差を感じながら、子供にも手がかからなくなってきた今がチャンスと思いブロードバンド授業の魅力にとりつかれ本学院の願書を取り寄せていました。 もともとメカ音痴であり、パソコンの作業は予期せぬ出来事が沢山。しかし、教科が進むにつれパソコンの腕も上がり?「楽しい!」連続となりました。 また、病院見学実習では、良き指導者に恵まれ「楽しんで言ってね」の言葉に感謝しつつ、自分が行ってきた看護援助について見直すことが出来ました。 私は新潟県に在住しており遠方であるため、入学式に参加することが出来ず、最初の面接授業である基礎看護学のとき、初めて夜行列車に乗り十数時間かけての大移動!ホームシックにかかり何度帰りたいと思ったことか。 しかし、先生方や事務局の方々の暖かい心遣い、同じ志をもつ周囲の仲間に支えられ本当に楽しく勉強することができました。 仕事・家事・勉強との両立は人に言えない苦労の連続であり、家族の協力は最大の支えであり、職場では面接授業や病院実習のたびに長期休暇を取り周囲に申し訳ないと感じていました。また長期休暇後に職場に戻ると、ある患者から「姿が見えなくて寂しかったよ」「あなたが頑張っている姿を見ると、自分も勇気をもらえるから最後まで頑張ってね」と痛みと戦いながらも励ましてくれる人がいることを感じ、絶対看護師になると再び決心した思いなど、2年間本当に様々な出会いや思い出が、今は懐かしいです。国家試験勉強も大変でしたが、試験前日からは焦ることなく本当に、今までの成果を出す、何より「楽しむことができればいい」との思いで臨み結果合格することができ嬉しかったです。 後輩の皆さんへ、自分の可能性を信じること、周囲の人たちに支えられていることを忘れず、何より学生であること勉強できるチャンスがあることを大いに楽しんでください。これから学ぶ予定の皆さんへ、まずは一歩踏み出せば道は必ず開けます。まずは思い立つ事だと思います。学校案内を要望し、第一歩を踏み出して下さい。

楠瀬 理恵さん
大阪府【2009年卒】
看護学を深く学びたいと思いつつも先延ばしにしていました。また、医療界にもIT化が進められ看護業務に対してもシステム化へと移行している中、パソコン操作に不安を感じていました。そんな時、本学院のインターネットを利用した通信教育のことを知り「看護学もパソコンも学べる」と思い受験しました。 国家試験対策も充実しており、早期から模試やeラーニングなどの国家試験形式の問題に取り組んでいただいたおかげで、国家試験に合格できました。 学校生活では、次々と課題が出される中で「こんな生活が2年間も続くのか」と思うと正直うんざりしました。また、「通信教育は孤独で自分との戦い」と思っていました。しかし、学習や国家試験対策は勿論、プライベートに関することでも、困ったときには先生方にいつでも相談に乗っていただけたので、精神的に心強く愛情を強く感じました。 見学実習や面接授業を終えていく中で、同じ志を持つ様々な環境の同期生に出会いました。学業・仕事・家庭を成立させている仲間たちが頑張っている姿はよい刺激となり、お互いに高めあえる関係になりました。また、面接授業の際に、全国各地から来る人達と、利用した寮での語らいが旧知のような絆で結ばれたようにも思います。このような出会いや経験は、自己成長させる糧になり私の人生の中でかけがえのないものになりました。 質の高い看護を提供できるよう向上心を持ち、幅広い分野からも知識を求め、看護学を深めていきたいと思います。これから学びたいと考えている皆さん、努力は夢を現実にしてくれます。夢を諦めず叶えてください。

梶山 豊美さん
山口県【2009年卒】
私が看護師になろうと思い始めたのは、中学生の時からでした。経済的な理由から定時制の衛生看護科を卒業し、ずっと准看護師として働いていました。でも看護師の夢は捨てきれず、看護師になっていく同僚や後輩を羨ましく思っていたそんな時に通信制看護学校が地元に出来ると知り、ますます看護師への思いは強くなりました。2期生として入学し、1年生のときは何とか課題をクリアすることができたのですが、2年生で課題レポートや紙上事例につまずき、直接学院に行って先生方から多くのアドバイスを受けました。また、職場も協力して課題ができるようにと長期休暇をいただきましたが応えられずに1回目の留年。そして2回目の2年生(3年目)は入学の時の決意もなくなり、勉強も手につかず、学習についていけず、どうしたらいいのか、もうやめようか、でも、と考えているうちに期限が過ぎ2回目の留年。家族には、学院、職場に2回も同じことをして迷惑をかけているのだからもう辞めたらと言われましたが私のわがままを通し、3回目の2年生(4年目)をしました。実習に行き、4期生に「途中で辞めなかったのだから頑張りなさい、卒業を一緒にするんよ。」と励まされ、忘れていた入学時の決意を思い起こしました。面接授業で会えば、「どんな?できてる?頑張るんよ。」と気にかけてくれ、なんとか単位は取得できました。そして、「国試勉強も一緒にしよう。」と毎日夜遅くまで皆で勉強し、無事に国家試験の日を迎え、第一の目標である2009年3月卒業することができ、第二の目標である国家試験にも合格することができました。 2年で卒業できることを4年もかけて卒業した私ですが、ここまでこれたのも学院の先生方や事務の方々の温かい言葉、同じ目標をもち励まされ助けられた4期生の方々のおかげであり、家族や職場の協力と思います。 看護師になりたいと考えている皆さん、通信教育は自分との戦いであり、それなりの覚悟が必要ですが、私のようにマイペースでも、卒業できます。夢をあきらめないで、「国家試験合格」を最終目標に挑戦してください。新しい世界と新しい自分が見えてきます。

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添田 純男さん
福島県【2009年卒】
私は准看護師として、約20年間働いてきました。職場に本学院で学んでいる先輩がいて、その先輩から本学院の話をきいているうちに、看護師と准看護師では役割が違うことが分かり、勉強してみたいと思い入学しました。 ブロードバンド授業はパソコンの画面で受けるのですが先生方の授業を教室で受けている感じでとてもわかりやすかったです。また好きな時間に何度でも授業が受けられるので、理解できるまで授業を受けました。臨地実習では、実習先の指導者の方々がとても優しく、わかりやすく指導して頂き、面接授業では、仲間たちがいて、向学心の高さに驚き、また、モチベーションの高さにも刺激を受け元気をもらいました。 私の国家試験の勉強方法は、1年生のときは時間に余裕があるので、過去問題を解いていました。2年生になると、レポート、終了テスト、臨地実習、紙上事例演習、病院見学実習、面接授業等があり、時間に余裕がなくなり、国家試験対策がおろそかになりました。そこで、1月から国試当日まで有休で病院を休ませて頂き、学院寮に泊り込み、過去問題を中心に勉強しました。わからない時には先生方に教えていただき、国家試験対策の先生には問題を出して頂いたりと、集中して受験勉強が出来ました。 国家試験当日には、必修問題が午前と午後に突然変更になったため、パニックになり、戸惑っている人が多くいました。私も動揺してしまい帰ろうとしましたが、友人に止められて、最後まであきらめずにやり通した結果、国家試験に合格する事が出来ました。 勤務先の協力、先生方や事務の方の心あるサポート、同じ目標を持った仲間たちと支え合えたことが合格につながったと思います。 最後に、「あきらめなければ合格はかなう」この言葉を後輩に贈り後に続かれん事をお祈りいたします。

川瀬 文子さん
長崎県【2009年卒】
愛知県で准看護師の免許を取得し、長崎に帰郷したのが25歳のときでした。結婚し現在の病院で働くようになり30年になります。長年准看護師として働いていく中で、役割、待遇の面でも差を感じながら、もっと勉強しなければならないと常に感じ、看護協会の卒後教育など受講し、看護師の資格を取りたいという思いは胸の奥に常に思っていました。 通信教育での、看護師資格取得の道が開かれたとき、やっとそのときがきたと思ったものの、そのときは年齢的にも、もう無理だとあきらめていました。今回、本看護学院の卒業生から話を聞く機会があり、最後のチャンス、もう一度頑張ってみようと入学を決めました。2年間の学校生活は自分自身との戦いで忍耐の要ることでしたが、同じ目標を持つ仲間がいてお互いに叱咤激励しあい、また面接授業で知り合った同じ目標を持った仲間たちのそれぞれの環境の中で頑張っている姿を見て随分と励まされました。レポートの提出期限に間に合いそうになく何日も徹夜したことや、資料を探しに図書館へ通ったこと、記憶力の悪さに年を感じたことなど、何回も、もうついていけないかも、と思ったこともありました。でもそのたびに入学を決めたときの気持ちを思い出し、頑張ろうと自分に言い聞かせていました。 今、念願の看護師の資格を取得することができました。あきらめないでよかったとつくづく思っています。56歳にして看護師として新たなスタートです。これからも本看護学院で学んだ知識と今まで身につけた経験を元に看護に誇りを持ち精進していきたいと思っています。後輩の皆さん、希望を持ち最後まであきらめないで頑張ってください。 また、看護師資格を目指す方は、私でも通信教育で出来ました。夢を持ち続ければいつか必ず叶います。夢の実現へ邁進してください。

金満 浩美さん
広島県【2009年卒】
正看護師の資格が取りたい!永年の夢でした。数年前に通信制が始まりずっと気になりながらも日々の生活に追われ勤務する中、業務内容は同じでも資格の違いを感じていました。そんな中、看護部長よりの准看護師のつどいに行ってみない?という言葉に背中を押され参加しました。数校の通信制の説明会がありその中で、東亜看護学院の先生の人柄にひかれ話を聞くうちに、自分の中で学びたい気持ちが高まり期待を胸に志願しました。 入学後は、仕事と家庭との両立に加え、予想以上の課題レポート量、実習、カリキュラムをクリアしていくことは容易ではなく、期待が不安に一気に変わっていきました。精神的にも落ち込んだり、身体的にも不整脈が出たりもしましたが、それを救ってくれたのが仲間や先生方、私のチャレンジを暖かくサポートしてくれた家族でした。家事はほとんど出来なかった主人が、子供と一緒に悪戦苦闘しながらやっている姿に感謝の気持ちで一杯でした。通信制は孤独と思っていましたがそうではありません。辛いのも自分だけではありません。学院では二年間で数日しかない面接授業ですが多方面、幅広い年齢層の方たちと出会い、初日から初対面とは思えないくらい打ち解けられ、学びを共有し励ましあい、時には悩みを相談したり、同じ目標に向かって努力したことは、大きな財産となりました。しかし、国家試験は自分との戦いであり、一言では言い表せないくらい勉強しました。国家試験を終えた直後は、休みの時間の使い方がわからないほどでしたが、合格通知を手にしたときの感動は計り知れないものでした。やりとげたという達成感は大きな自信となりました。 今一度初心に戻り学ぶことで、看護師としての自分自身を見つめ直すいい機会であったと思います。私は東亜看護学院で学び、人としても成長させていただいたと感じています。 これから、学びたいと思っている方、一歩の前進を惜しまず夢をあきらめないで進んでほしいです。


濱名 富子さん
雲雀ヶ丘病院 福島県【2008年卒】
子供が大きくなってから、手がかからなくなってから…と思いつつ気がつくと十分過ぎるほど大きくなっていました。本校の体験発表を聞きに行きパソコン?得意でもないのに願書を手にしたのが始まりでした。合格通知に飛び上がり、胸を躍らせ新しい体験への期待と希望、ペンを持つ自分が嬉しく勉強する事に楽しさを感じました。 2年生になった桜満開の時でした。ストマ造設して3年目の弟の入院。終末期を告げられ、限りある命に傍にいてあげよう、学校は来年もある…。数日後、担任の先生から励ましの電話を頂きアクセルを全回転。消灯後弟の呼吸を観察、トイレのポータブルの蓋を机にして課題に取り組みました。狭いトイレでは足がしびれ苦悩の時間が流れました。それを悟ったのか1ヶ月と2日で旅立ちました。 断念も考えた私でしたが、先生方の温かい言葉、たった一人の生徒のために何度も涙を流して励ましてくれた先生のお陰で、卒業式には総代までも務めさせて頂きました。そして、念願の「国家試験合格」あの時辞めないで本当によかったと感謝しております。 人生は順風満帆な時間ばかりが流れているわけもなく、時には嵐の様な災難にぶつかる。辛い時こそ前進する気持ちをもてば、目標は達成できることを実感しました。これから先、昨日の自分を越え明日の可能性に向かい、自分らしく精進していきたいと思っております。 准看護師から看護師を目指しておられる皆さん、念じていれば何時か必ずチャンスがあると思います。夢は決してあきらめないで下さい。それから在校生の皆さん、一歩の前進を惜しまないで頑張ってください。


永田 和子さん
赤十字血液センター 大阪府【2008年卒】
私は結婚して以来、流産・死産を繰り返し子供が授かりませんでした。40歳を迎え、『子供のいない人生もあるかな?』と考えたことを機に、念願であった通信制看護学校に行こうと決意しました。 自宅で、自由な時間に授業を繰り返し視聴できるブロードバンド授業に魅力を感じ、私は迷わず本看護学院で学ぶことを決心しました。幸いにも入学させていただき国家試験にも合格しました。 学校生活は波乱に満ち、1年目はまさかの妊娠!でも基礎実習の日に流産し1年間休学しました。2年目も妊娠しましたが、検査でダウン症と判明したのです。命の選択を迫られながらも出産を決意し、8ヶ月目には大きなお腹で病院実習、面接授業にも行きました。3年目は新生児を抱えて課題、実習、国試の勉強。面接授業は子供を残しての出席です。 正直、数え切れないくらい退学を考えました。しかし、副学院長、担任の先生や面接授業で出会う先生方が、みなさん自分の事のように親身になり何度もメールや手紙で背中を押してくださり、精神的に大きな支えとなってくださいました。また、志を同じくするココロノ友にも励まされ、助けられました。今、看護師になり、わが子を抱くことができるのもアットホームな本学院であったからだと思います。 通信教育は孤独というイメージがありましたが、実際は多くのすばらしい出会いや心の交流を体験し、人生の宝となりました。ぜひ、みなさんも素敵な夢をかなえてください。

中村 朱美さん
特別養護老人ホーム 洗心園 広島県【2008年卒】
私は特別養護老人ホームで主任看護師として働いていました。 福祉の現場は2008年度介護報酬が大幅に変わり、終末期の看取り加算も正看護師が1名以上勤務していることが条件となり、私の職場は5名全員が准看護師のため求人を出しては見たものの・・・誰も来てくれません。なぜ?それは給料があまりにも低いためでした。 だったら55歳の私が資格を取得するしかないと思い、友達が受験して知っていた東亜看護学院に2006年に入学しました。 1年目はパソコンに泣き、2年目は実習と課題に泣き、地獄のような2年間でした。 ある日、私は施設の理事長(内科医)に「何で私はこの年になって通信教育なんか通おうと思ったのか、仕事と勉強と地獄なんですよ。」と話しました。すると先生は「地獄の向こうには極楽が待っているよ、頑張りなさい。」と、今思うととても心強い言葉でした。そのときの私は公休日に面接授業で下関の学校まで車で行き、学院の寮に泊まっているときもオンコールの携帯がなることもあり、時間と身体にゆとりなどない状態でした。 しかし、楽しいことも沢山ありました。学院では全国から同じ目的を持った、20才台から60才台までの幅広い層の人が来ていましたから、授業終了後は沢山の同期生と近くのホテルに行き、バイキング料理に舌づつみ、川棚温泉でふぐ料理、食堂にて美味しいビールなどを飲みながら夢を語り合ったり、・・・ある日は授業中パソコンのコードを踏まれてデーターが全て消えたため深夜まで仲間とグループワークをするはめになって落ち込み、皆で励ましながら頑張った事もありました。 課題レポートの赤ペン先生が意外にも素敵な先生であった事など、地獄の生活も今は懐かしい思い出となりました。 国家試験の勉強は12月ごろから時間を決めて毎日数時間座椅子に穴があくほど頑張りました。近くにいる友人(同級生)三人と一緒に我が家で国家試験対策もしました。 3月26日、妹から合格の知らせを聞いた時は飛び上がって「ヤッター」 看護師は生涯学習が必要であり、正しい知識と経験を生かしてまだまだステップアップしたいと思います。今年はリスクマネージャーMRM資格取得を目指します。後輩の皆さん、2年間はすぐです。思いたったらあっという間に終わります。地獄と思った2年間が今では幸福の通過点だったと思えます。今は遅ればせながら韓流ドラマにはまって楽しい毎日を送っています。皆さんも思いたったが吉日です。少しでも早い決断をされて2年後の幸せを自分のものに致しましょう。

~妹さんのブログ日記より 2008年03月26日やったねお姉ちゃん 今日は、嬉しくって、嬉しくって、 4才上の実姉が、56才と11ヶ月で今日、正看護師の試験に合格したのです。姉は、高校卒業後、看護師になりたいからと、準看護師の学校に入学し2年間の准看護師勉強中に今の旦那さんと知り合い、正看護婦への道より、結婚への道を選び、准看護師資格のまま、卒業と同時に結婚しました。長男の嫁として、1男2女を育てながら消防士の兄と共稼ぎで頑張ってきました。看護師の仕事が大好きな姉、病弱な姑さんを抱えながらも、看護師の仕事を続け、3人の子供も結婚させて、子育てから解放された2年前、突然「私、2年間通信教育で勉強しながら正看護師目指す事にしたから」と、皆をビックリさせたのです。 年齢を考えて、皆はビックリですよ? でも、姉は頑張りました。2年間、仕事、家事、ある時は孫の子守りをしながら、若い世代に交じって勉学に励んでおりました。看護師の仕事だけでも大変なのに…あれだけのパワーがどこにあったのかと思いますが、でも、無事合格し、今までの苦労も報われたと思います。数日前から、ネットで合格発表を調べてと頼まれていた私も、午後2時の合格発表と同時に検索するのに必死。 皆が一斉に見るから、なかなか繋がらないんですよねぇ~ もう、イライラしちゃいましたよ(笑) ちなみに姉は65才まで働く気満々です。凄いパワーの持ち主です。


大西 亜希子さん
名寄市立総合病院 北海道【2006年卒】
最初に勤務した病院が廃業し、現在の市立病院で働くことになって以来十余年。看護師と准看護師の役割の差を感じつつ、もっと勉強し知識を身に付けたいとの思いがマグマの様に段々と大きくなってきていました。 そのような時に通信制の看護学院が認可されました。家庭もあり子育ての真最中の私にとって、「資格取得のために勉強できる環境はここしかない!」と思いを決め最北端?の北海道名寄から見ず知らずの地にある本校の受験を決めました。 幸いにも合格しましたが、仕事・家庭・子供を持ちながら勉強することは想像以上に大変でした。数分しかない乗り継ぎ時間で、バスまで重い荷物を抱えて走った事。子供からの電話に思わず涙した事。疲れた身体に襲う睡魔等々。 それでも面接授業で知り合った幅広い年齢層の同期生達が、それぞれの環境の中で同じ目標に向かって勉学に励んでいる姿に励まされました。また、懇切丁寧に指導してくださった諸先生方や関係者の方々のお陰で無事卒業し、かつ念願の国家試験にも合格することが出来ました。 しかし、これからが看護師の自分としての新たなスタートです。本看護学院で学んだ知識と現場で培った技術を糧に、次の目標に向かって精進したいと思っています。在校生の皆さんも、最後まで諦めない気持ちで頑張ってください。

上原 りえ子さん
かりゆし病院 沖縄県【2006年卒】
私の住む石垣島は沖縄本島より更に南西400kmに位置し、高校は県立が3校のみで大学や専門学校はありません。そのため進学希望の若者は島外に道を求めるしかなく、私も准看護師の免許を兵庫県で取得し、帰郷後に看護師の職に就きました。 働き続けていく中で「看護を深く学びたい、正看護師の免許をとりたい」と強く思いつつも、結婚、出産、育児と多忙な日々に明け暮れ、私の希望も夢で終るのかと半ば諦めかけていました。 そんな矢先、通信教育で資格取得の道が開かれたとの情報を聞き、その瞬間「夢を実現させるには今しかない!」と思い、迷わず本看護学院を志願しました。その時は距離的や経済的な事は問題とは思いませんでした。 しかし在学中の2年間は孤独な自分との戦いの日々でした。温暖な沖縄とは異なり、布団に入ってもガタガタ震えて一ヶ月過ごした厳冬期の寮生活。今でも鮮明に脳裏に蘇ります。でもそこでの仲間達の語らいにどれほど慰められたことか。計画を立て、暗記項目をトイレ、部屋、車中、あらゆる場所に貼り付け国試一色の環境を作りました。 3月末、「合格」の通知を手にした時、身震いして涙が止まりませんでした。「やれば出来る」と実感した瞬間でもありました。今も「出来ない」ではなく、「どうすれば出来るのか」と考え、工夫しながら自分自身の看護師像を追い求めています。 在学生のみなさん、決して夢を諦めないでください。

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